2020年11月2日月曜日

すでに0.02ミリシーベルト被曝…(福島第一潜入記 2/2)

  文春オンラインに、30年近くヤクザを取材してきたジャーナリストの鈴木智彦氏の著書『 ヤクザと原発 福島第一潜入記 』(文春文庫)から一部転載されました。

 2回ものの後半部です。
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すでに0.02ミリシーベルト被曝……福島1F勤務初日の“緊張の一瞬”
                       文春オンライン 2020年11月1日
「核分裂反応です。ここテストに出ます」 東電関係者が1F爆発直後に放った“ブラックジョーク”とは から続く
 30年近くヤクザを取材してきたジャーナリストの鈴木智彦氏は、あるとき原発と暴力団には接点があることを知る。そして2011年3月11日、東日本大震災が発生し、鈴木氏は福島第一原発(1F)に潜入取材することを決めた。7月13日、1F初勤務の様子を『 ヤクザと原発 福島第一潜入記 』(文春文庫)より、一部を転載する。(全2回の2回目)
                   ◆◆◆
めんどいマスク
 私の初勤務、7月13日当時、作業員にとって最大の敵は熱中症だった。その抜本的な防止には、こまめな水分補給やクーラーの効いた場所での休息などが欠かせない。が、それらはすべて原発の復旧作業において不可能である。作業中は法律で全面マスクの着用が義務づけられているため一切水が飲めず、現場にはスポット以外のクーラーはない。

そのため、熱中症対策には、副次的な要素が重要視される。
 一例をあげれば、深酒を避ける、十分な睡眠を取るなどだ。それと並び、朝飯をとることは、かなり有効な予防策とされる。旅館の朝食をとってこなかった作業員のため、前述したように東電はこうした食料面のバックアップをしてくれていた。ただ、でかでかと一人1つずつでお願いしますと貼り出してあるのに、4、5セットの食料を持って行く作業員は毎日数人目撃した。
 本当に仲間のためだったケースもあるだろう。が、その後、私が質問した作業員は13人中13人が、自宅で家族に渡していると証言している。水や飴なら安価だが、食料にはかなりのコストがかかる。廃止されたのは不正防止という可能性も捨てきれない。
 食料を詰め終わると、今度は一段下がった場所に下り、原発で作業するための装備を受け取る。紺色(後、水色、白色なども支給された)の長袖長ズボンの肌着上下、軍足、髪の毛に放射性物質が付着しないための帽子、綿手、ゴム手、靴カバー、バスの中で着用するサージカルマスクなどだ。
 作業中の内部被曝を防ぐための全面マスクだけは正面出入り口付近にあり、ざっと5種類ほど形の違うマスクがプラスチックケースに山積みされていた。金属製のパーツがふんだんに使われているスタイリッシュなマスクを選んで、先輩と一緒に廊下で着替えた。
「お前、そのマスクにしたの? それ、一番めんどいヤツだぞ。フィルターがピンクのが一番いい。すぐ外せるし、眼鏡をしててもリークもあまりしない」
 私が選んだマスクは、ほぼ初期型に近いモデルで、放射性物質を取り込まないようにする機能は同等でも、装着に時間がかかり、ベテラン作業員がもっとも嫌がるマスクだという。
「今度からそうします。でも、なぜパンツだけが自前なんでしょう?」
 先輩が笑顔だったので気になったことを質問した。
「お前、せこいねぇ。昔は他の原発で、パンツも支給してるケースがあったみたいだけどさ。それくらいいいっぺよ。パンツ買う金ないなら貸してやっから、さっさと着替えて! 急いで‼」
 汗だくになって着替え、鞄と食料を持ってJヴィレッジのロータリーに出た。ロータリーは汚染地帯を走った車が利用するので一般車の立ち入りが禁止されている。4、5台のマイクロバスや乗用車がタイベックを着込んだ作業員を乗せていた。中には“わナンバー”、つまりレンタカーもあった。このまま返却できないので、おそらく買い上げだろう。その後、どこに売られるのか判然としない。
 最近、中古車販売店が参加するオークションではトラブルが頻発しているという。格安中古車を海外に輸出している業者が、港に運んだ車両の放射能汚染チェックに引っかかり、買った車を再びオークションに出品するのだ。返却された汚染車両は、国内販売の業者に買われ、中古車市場に出回っている。業者たちにとっては死活問題のため、誰もがこの事実に沈黙している。
目立てない作業員
 ロータリーでも何人かの作業員がタバコを吸っていた。新米の上、元来、のろまな私にそんな時間はなく、輪の中には入れない。ニコチン摂取を渇望する強烈な中毒症状を必死で押さえ込み、待機していた岡野バルブ製造のバスに乗った。
 原発のプロフェッショナルだけあって、岡野バルブのバスのシートや内装は、放射性物質が付着しないようあちこちがビニールシートで養生されていた。ラジオからは地元FM局の番組がかなりの音量で流されており、AKB48の『会いたかった』が聞こえた。事前に行われた東芝の講習会で「1Fに向かうバスの中ではサージカルマスクを着用してください」と言われていたが、見渡すとマスクをしている人間は運転手だけだった。自分だけマスクをするわけにもいかないと判断、他の作業員と同じように行動することに決めた。なにしろ、浮くわけにはいかない。目立てない。
 もちろん私は正規の手続きを踏み、一切の不正をせず、1Fの作業員となった。その点、やましいところはみじんもない。噓を誠にするため、履歴書に書いた前職の鳶も、東京と福島県内で合計3日経験している。違法行為がどれだけ自分の足かせとなるか、私は暴力団取材によって熟知している。
 考え方も、自分ではまっとうだったと思う。具体的にいうなら、取材は二の次、与えられた原発の復旧作業を全力でこなすことが第一義と考えていたのだ。しかし、いくら仕事の邪魔にならないようにと意識したところで、その背景には取材という目的がある。知り合った関係者すべてを騙し、その意図を隠して就職した不道徳な作業員である以上、目立ち、目をつけられ、余計なトラブルを起こすのは避けたい。
一般人の立ち入りが禁止されている20キロ圏内へ
 バスはロータリーを出て、警察による検問でストップした。腕章をみると、九州地方の警察官だった。その様子を見ているうち1Fに向かうという実感に包み込まれ緊張した。なんとか落ち着こうと思い、ショートホープに火をつけた。こんなときはタバコがいい。これ以上、心が落ち着く嗜好品を私は知らない。
 普段は1ミリグラムの軽いケントを吸っていた。銘柄を変えたのは、職人たちはニコチン・タールの含有量が高いタバコを吸っているほど尊敬されるのではないか、という根拠のない幼稚な想像のためである。今度のバスには灰皿がなかったのでペットボトルを灰皿代わりにするため、ミネラルウォーターを一気飲みした。無事に警察の検問を抜けたバスは、一般人の立ち入りが禁止されている20キロ圏内に入っていった。
〈よし、いよいよ実戦だ〉
 心でそうつぶやき、ショートホープに火をつけた。慣れない、重いタバコの煙を肺の奥まで届けるため、私は思い切り煙を吸い込み、そしてゴホゴホとむせ込んだ。 
 咳が落ち着き、なんとかタバコを吸い終えても、心はまったく落ち着かなかった。他にすることもないので、窓からの風景を眺めた。警戒区域が設定される前日、1Fの正門や無人となった街を撮影した経験があったので、なじみのある光景である。
飼い主を失ったペット
 約20分後、バスはガソリンスタンドの前で停車し、運転手と作業員の約半数が全面マスクを装着した。後部座席に座る私の同僚たちは、ゆっくりタバコを燻(くゆ)らし、世間話に興じている。
〈これじゃあ内部被曝するんじゃないだろうか? 大丈夫なのか? でも仕方ない。彼らがマスクをつけるまで待とう〉
 平静を装ってバスの外に目を向けると、たくさんの犬や猫—震災で飼い主を失った動物たちが遠巻きにこちらを凝視していた。犬も猫も体毛はぼろぼろで、体が極端に痩せている。まだらハゲとなり、あばらが浮き出た雑種犬が一匹、よろよろとバスに近づいてきた。その首には飼い主がはめただろう真っ赤な首輪があった。私が泊まっていた旅館のフロント前には、動物愛護団体が持ってきた餌が置かれている。その理由が飲み込めた。自分たちが20キロ圏内に入れないため、作業員に餌やりを託しているのだ。
〈すまん、今日、俺、勤務初日なんだよ。次は餌を持ってくる。約束する〉
 バスは3分ほど停車し、1Fに向かった。バスが見えなくなるまで、動物たちはずっとその場所に立ち尽くしていた。
復旧作業に当たっているのは原発作業員だけではない
 再出発後、同僚はあと5分で到着するだろうという時間になってようやく、手早い動作で全面マスクを装着した。
 道路を含め、警戒区域内は想像していたよりも復旧していた。もちろん、バスが通った道から見た風景だけで、一歩町中に入れば、震災や津波の爪痕はいまもはっきり残っている。途中、なんども復旧作業に当たっている人間を見かけた。1Fの事故収束にあたっているのは、1Fの敷地で働く原発作業員だけではない。
 地元の消防職員、消防団(彼らはわずかであっても給料をもらうため準公務員扱いである)、福島県警、全国から応援に駆けつけている警察官、自衛官、土木建築業者をはじめとする民間業者、ボランティア、そして地元住民など、たくさんの人間たちがさほど脚光を浴びず、賞賛されず、放射能の恐怖と戦いながら黙々と復旧活動を行っているのだ。作業員の健康被害ばかりがクローズアップされるが、本来はこうした人間すべての健康状態を心身ともにフォローし、対策を講じなければならない。
 しばらく走ると1Fがある双葉町に入った。3キロ圏内にあるトヨタのディーラーでは、店舗前に展示されていた新車がまだそのまま放置されていた。並んでいるのは新車ばかりだから、車泥棒なら涎(よだれ)が出るだろう。トヨタが無事だった反面、ATMなどが荒らされているコンビニや、入口が破壊されている店舗が目立った。20キロ圏内に初めて入ったとき、ほぼこのあたりは無傷だったように思う。最初、放射能が怖くて一帯に立ち入らなかった窃盗団たちが、いまは暗躍しているのだ。
 卑劣で不道徳な火事場泥棒を摘発・逮捕するのは警察にしかできない仕事である。福島県警には自身が被災者である警察官がたくさんいると聞いている。自分のことを後回しにして、市民のために奮闘する様子をみると、尊敬の念しか湧いてこない。
シェルターに到着
 バスは約20分で東芝のシェルターに到着した。1Fのすぐ脇にある駐車場に新設されたここは、文字通り放射能と戦う作業員のシェルターであり、世界有数の技術力を持った東芝の英知を結集して作られた最前線基地だ。
 シェルターはかまぼこ状の外見の建物を複数連結させる方式だった。外見は濃いブルーが基調で、おそらく、この形にも色にも科学的必然があるのだろう。かなりのエアコンが稼働しているようで、業務用の強大な室外機が多数置かれていた。東芝製かどうかは未確認だ。ちなみに内部にあるシルバーの冷蔵庫はシャープ製である。その他、放射性物質を含んだ外気を取り込むことのないよう、いくつもの空気清浄機が稼働している。
 シェルターの主な出入り口は2つあり、ひとつはJヴィレッジからやってきた作業員を受け入れ、仕事が終わった後、作業員が出てくる場所である。もうひとつは完全防備をした作業員が担当する現場に向かうためと、帰ってきたときのための通用口だ。シェルターの造形の見事さに見とれていた私は作業員の一団からはぐれ、最後尾から内部に入った。やっと自分の番が来たので入ろうとしたら、入口のファスナーが閉められ私は困惑した。
「俺、作業員なんです。入れて下さい!」
 シェルターの出入り口はどちらも、一般の住宅にあるようなドアを持っておらず、テントのようにファスナーで開け閉めを行う。外部から勝手に開けることはできず、常時、専門の係員が内部にいて、ドアの中央にある特殊な窓から訪問者を確認し、開閉してもらわなければならない。大勢の作業員を迎え入れるときは、外気の侵入を防ぐため、係員の判断でいったんドアを閉める。そうした事情がわからない原発素人の私は、てっきり遅刻の罰と思い込み、テンパったのだ。
「俺、作業員なんです。今日が初勤務なんです。入れて下さい!」
 全面マスクをしながらそう叫んだところで、中の係員に聞こえるはずもない。係員は落ち着いた様子で左手を挙げ“待て”の動作を続けていた。1分あまり待たされたあと、ようやく私はシェルターの内部に入ることができた。
「まず靴カバーを脱いで下さい。そしたら靴のままあがって下さい」
 てっきり、すべての装備を一新すると思っていたので「タイベックとマスクは脱いでいいんですか?」と訊いた。係員は無言でシェルターの奥を指さした。私の目の前にさらに扉があった。そこを開けてもらい、全面マスクを外す。タイベックはそのままだ。
 本当の入口を抜けると、左端に机があり、数人の係員がいた。反対側には新しいタイベックなどの装備が山積みされている。説明されなくとも、作業後、ここから新たなタイベックを持って行けばいいとわかった。シェルターの廊下を10メートル程度歩き、左側に我々の会社にあてがわれた部屋があった。
無理はしないで下さいと繰り返す責任者
 外見がかまぼこ状なので、内部も同様である。隅っこに座っていたら、ミーティングが始まった。現場の責任者などから注意点などが説明された。彼らは何度も「無理はしないで下さい。辛かったら、ここで待機し、現場にも出ないように。うちの現場ではないですが、昨日も1人熱中症で倒れました。大げさではなく、毎日といっていいほど無理をして倒れる人が発生しています」と繰り返した。
 メモする時間も余裕もなかった。ただ、私は宿を出た瞬間から、3つのICレコーダーを最高音質でフル稼働させている。初日はシェルターの廊下でスイッチを入れた。そのうちの2つ、ないし1つは、現場作業中も携帯し、全作業中の会話をすべて録音してある。
 取材メモ代わりであることはもちろん、訴訟対策でもあった。言った言わない、という水掛け論で論争になるのはこりごりだ。名誉毀損やプライバシーの侵害など、1000万円以上の賠償金を請求された経験から、証拠がなければ辛い裁判になると分かっていた。
すでに0.02ミリシーベルト被曝
 ミーティングが終わると、体温や血圧を測り、それを健康チェックシートに書き込まなければならない。バスを降り別の車で免震棟に向かった作業員が戻ると、ようやく線量計(APD)が手渡される。水色の(ピンク色もあった)パナソニック製で、タバコのパッケージ程度の大きさだった。数値をみると、すでに0.02ミリシーベルト被曝していた。
「これ、おかしいですよ。数字がゼロじゃないです。壊れてます」
「あのね、APDは毎日免震棟に取りに行くわけ。免震棟は敷地内の中間付近にあるのよ。だからどうしてもここまで持ってくるだけで線量を食うの。わかった? 3月、4月、5月と、線量が高かったころは、受け取ったときに0.04被曝してたこともあったわ。だから普通。素人がギャーギャー言わない」
 これにクイクセルバッジと身分証を連結し、首からさげ、肌着の左右の胸にあるポケットに格納する。一般的にはクイクセルバッジで判明した被曝量のほうが多くなるという。
 最後にその日の作業内容に沿って、4次請け会社(東芝系列は、東電—東芝—IHI—IPCの下にある協力会社)ごとに、KYと呼ばれる危険予知ミーティングを行い、重要ポイントを全員で唱和する。
今日もゼロ災で行こう、よし!
 当日、グラインダーを使う作業が多い場合なら、リーダーが「グラインダーを使う際は保護眼鏡、保護マスクをして作業しよう」とかけ声をあげ、続いて「保護具の使用はよいか!」と作業員たちに問いかけるのだ。
 すると作業員たちは声を揃え、
「保護具の使用よし! 保護具の使用よし! 保護具の使用よし!」
 と、3度復唱する。最後は全員の、
「今日もゼロ災で行こう、よし!」
 という台詞で締めくくられる。
 ゼロ災は“災害ゼロ”の意味で、この部分は毎回同じだ。最初はなにをやっているのか、なにを言っているのかわからず、口パクでごまかしていた。
(鈴木 智彦/文春文庫)