東京新聞も、女川原発の再稼働に地元の3首長が同意を表明したことを、周辺自治体の意見をくみ取ることに時間をかけず、避難計画の実効性は置き去りにした拙速な判断であると指摘しました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
女川原発の再稼働へ 「金が落ちるならしょうがねえ」 住民避難の不安は残したまま
東京新聞 2020年11月12日
東日本大震災で被災した東北電力女川原発の再稼働に原発が立地する宮城県、女川町、石巻市の3首長が11日、同意を表明した。周辺自治体の意見をくみ取ることに時間をかけず、原子力規制委員会の審査終了から9カ月のスピード判断。事故時の避難計画の実効性は置き去りのまま、震災の爪痕が残る地で原発が稼働へ突き進む。(小野沢健太、小川慎一)
◆とんとん拍子で進んだ地元同意
「事前了解がなければ着手できない工事もある。このタイミングでないと支障があったのも事実」。村井嘉浩知事は45分の記者会見が終わる直前、スケジュールありきを否定しながらも、東北電の都合に合わせたことを事実上認めた。
地元同意手続きはとんとん拍子で進んだ。県内の市町村長から意見を聞く場は、会談2日前にあったばかり。事故時の避難計画が義務付けられている原発30キロ圏内にある美里町の相沢清一町長が「県民に新たな不安を背負わせる」と反対を表明したが、少数意見として受け入れられなかった。
早期の同意となった背景には、地元の商工会や漁協の要請も影響した。津波で800人以上が犠牲となり、人口減少が続く女川町では経済のてこ入れとして原発への期待が大きい。2年前には「福島みたいになりたくねえ」と語った同町の60代の男性漁師は、「金が落ちるならしょうがねえ」と諦めたように言った。
◆市民団体「慎重な姿勢まるでない」
地元同意を得る手続きを巡っては、福島原発事故後に茨城県で大きな動きがあった。同意を得る「地元」の範囲が従来は原発立地自治体に限られていたが、日本原子力発電(原電)の東海第二原発については30キロ圏内の6市村の同意が必要と変わったことだ。
原発事故が起きれば、影響は広範囲に及ぶ。茨城では震災後5年半にわたって原電と交渉し、18年3月に新協定にこぎつけた。
宮城でも、地元の範囲拡大を求める議論があった。女川町と石巻市を除く30キロ圏5市町は、東北電と結んだ新協定で事前了解の権限を得ることを模索したものの実現せず。協定締結直後の15年春、村井知事は「立地自治体の判断で十分だと思う」と強調していた。住民投票の実施を求めていた市民団体役員の多々良哲さん(62)=仙台市=は「被災した原発なのに、慎重に判断しようとする姿勢がまるでない」と嘆いた。
◆避難計画の実効性は置き去り
牡鹿半島の付け根近くにある女川原発。30キロ圏7市町には約19万9000人が暮らす。もし事故が起きれば、半島の住民たちは原発の近くの道路を使って避難せざるを得ない。
ところが、災害時の孤立が頻繁に起きている。震災時は津波で主要道路が浸水。昨年10月の台風19号では冠水や土砂崩れが相次ぎ、女川町の一部が約17時間にわたって孤立した。
人口が多い石巻市では車で西に避難しても、9割が避難先に到着するまで最長5日以上かかると、県は見込む。離島の住民計約570人は船で石巻港や女川港に避難する計画だが、石巻市は訓練をしておらず、担当者は「避難にどれくらい時間がかかるか分からない」と頼りない。市も女川町も避難道路の整備を求めているが、予算の裏付けもなく、いつ工事が始まるかすら決まっていない。