文春オンラインに、30年近くヤクザを取材してきたジャーナリストの鈴木智彦氏の著書『 ヤクザと原発 福島第一潜入記 』(文春文庫)から一部が転載されました。
2回ものの前半です(今回は後半部が未掲載のため、前半部だけの紹介になります)。
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「これからは休みはない。月月火水木金金だ」 福島1F“百機タンク”設置作業は「灼熱地獄」
鈴木智彦 文春オンライン 2020年11月22日
30年近くヤクザを取材してきたジャーナリストの鈴木智彦氏は、あるとき原発と暴力団には接点があることを知る。そして2011年3月11日、東日本大震災が発生し、鈴木氏は福島第一原発(1F)に潜入取材することを決めた。7月中旬、1F勤務した様子を『 ヤクザと原発 福島第一潜入記 』(文春文庫)より、一部を転載する。
(全2回の1回目/ 後編 に続く)
汚染水で被曝
サリーの作業はいよいよ本番を迎えつつあった。相変わらず私の仕事は掃除と熟練工の補助である。
「おい、バンセンもって来い!」
しかし、そのバンセンがなにか分からない。
素直に訊けばいいのだが、一応、鳶職経験者ということになっているので、「バンセンってなんですか?」とは言えない。仕方ないので他の会社の人間に「バンセン余ってたら分けてもらえますか」と頼んだ。渡されたのは強固な針金をトングのような形に折り曲げたものだった。
その他、スコッチ・ブライト、キムタオルなど、初めて聞く道具ばかりで、そのたびごとにテンパった。
助けてくれたのは、九州の大牟田(おおむた)・荒尾(あらお)から来ていた下請け作業員たちで、抗争事件の取材でよく通った場所だけに、休み時間にはよく地元の人気店や居酒屋などの話で盛り上がった。
「そういえば、わし、鈴木さんの姿をみたことあるばい。○○鉄工所で働いとったろ? タバコ吸うときそこにいた……思い出した」
そんな事実はもちろんない。私が九州に出かけるのは、暴力団の取材をするときだけだ。ど素人ではあっても、労働者の雰囲気が身についてきた証明と感じた。完全な勘違いだが嬉しかった。
サリーに制御盤が持ち込まれ、錆を防ぐための塗装が行われると、汚染水処理の巨大な装置が運ばれた。目測でおよそ10メートルの高さで、“のっぽのサリー”と東芝の社員が冗談を飛ばしていた理由が納得できた。作業はトラブルもなく無事に終了した。すぐに試運転が開始され、汚染水がサリーに流された。翌日、テレビや新聞で試運転が報じられると、翌日のミーティングで現場責任者が「テレビで報道されたようにサリーは無事完成しました」と大喜びしていた。
責任者が名前を出したテレビ局の報道部には、私の友人がいる。その日の作業が終わったあと、シェルターからすぐ電話をかけた。
「あんたのとこのニュース、現場で話題になってるよ。でもね……」
電話したのは報道されなかった部分を伝えるためだった。サリーに汚染水が流されたあと、追加工事が行われ、作業員がかなりの被曝をしたからだ。人間である以上、100パーセント完璧な作業はあり得ない。が、試運転を急ぐあまり、汚染水を流した後、現場に作業員を入れるのは本末転倒だろう。そのうえ、この作業には私のような無能な人間も出動させられた。私自身はどれだけ被曝してもかまわない。現場をみられるなら喜んでどこでも出かける。が、何度も掃除した床を掃くだけの作業に、他の作業員がかり出されるのをみると無性に腹が立った。汚染水が流れているすぐ脇で、ただ時間が過ぎるのを待ち、積算被曝量が無駄に増えるのだ。
まだ20代の責任者に詰め寄ったが、「もともと決まっているシフトだからかえられねぇんす」と言われた。頭に血が上った私は傍にあった段ボールを蹴飛ばし、「ふざけるなよ。意味ないじゃん。これで現場から出されちゃったらどうするんだよ。必要のない人間まで現場に出すことねぇだろう」と毒づいた。
私の部署の被曝限度は25ミリシーベルトである。ホールボディカウンターを使って内部被曝を計測するのは月に1回で、その分を考慮し20ミリが管理値で、これを超えると放射線業務停止命令が出され、1Fには入れない。この日の被曝量は1時間の作業で0・6ミリだから、普段の10倍だ。被曝量が多いと分かっていたからだろう、この日の作業は2度に分けて行われた。シェルターでの休憩中、作業員の一人がAPD(線量計)を置いていったのは、限度を超え現場に出られなくなるのが嫌だったからだ。一度目の作業は彼もAPDを携帯していた。まったく被曝していないと不正がばれるため、シェルターに戻り、その数値をみた後、休憩時間にAPDを自分の鞄に隠したのだ。
「絶対やばいと思った。(APDを)置いていってよかった」
が、彼の努力は報われなかった。この日の作業でフクシマ50のメンバーや多くの熟練工など、初期の段階から1F入りしていた作業員のかなりが被曝限度を超え、翌日から現場に入れなくなったのだ。APDを置いて行った彼もその1人だった。私に八つ当たりされた責任者もまた現場を離れることになった。
百機タンク
努めて目立たぬよう努力していた私は、翌日からその努力を放棄し、撮影に専念した。無意味な作業である以上、命令に従う必要はない。これまでも腕時計型カメラを使い、作業の合間に撮影はしていた。腕時計をはめている作業員はほとんどおらず、しょっちゅう時計をいじっていた私をみて、同僚たちは常に時間を気にする駄目作業員と思っていただろう。
「馬鹿野郎。時間ばっか気にしやがって。そんなに帰りたいなら辞めちまえ。仕事しろ、仕事!」
実際のところ、腕時計カメラで撮影した時は作業の合間で、私からすれば理不尽な�責である。が、熟練工の怒声を浴びるのも、使えない作業員の仕事なので割り切っていた。それに馬鹿野郎とののしられるのは、暴力団取材で慣れている。作業現場では常に怒声が飛び交い、シェルターではおとなしい人間でも人格が変貌するため、いちいち気にしていては身が持たない。
また作業員の多くは、現場での言動を引きずらず、作業が終われば皆あっけらかんとしている。その場で怒鳴っても、後々まで引きずることは少ない。もちろん作業員によって性格はまちまちで、ときおりねちっこい人間に当たることもあった。私の会社の下請けとして入っていたKという電気屋の親方はその筆頭で、ICレコーダーに録音された�責を聞き直すと、いまだに気分が滅入る。具体的に書き出そうと思ったが、差別語のオンパレードになるため自粛する。暴力団のカマシ以上に強烈で、ライターの私でも考えつかないほど、エグい言葉を見事に操る。考え方を変えれば一種の才能で、天才的といっていい。
サリーの作業が終わると、今度は百機タンクと呼ばれる汚染水処理タンクの設置に取りかかった。名前の由来は私の担当する部署の受け持ち分が、ちょうど100機あったことだった。プラントメーカーの会議に、なぜか私も呼ばれた。
「これからは休みは一日もない。月月火水木金金だ」
現場監督は会議室で、「これからは休みは一日もない。月月火水木金金だ」と言い放った。日常的に無駄な被曝を強いるメーカーのやり方に不満が蓄積していたし、もう目立たないように行動するつもりもなかったので、横柄な若手の現場監督を選び、突っかかってみた。
「ただでさえ年配の作業員が多いのに、休みなしだと能率が落ちるんじゃないの?」
「甘いこと言わないでくれる。現場なめてんの?」
言い争いになっている最中、この監督は手帳に挟んでいたICレコーダーを発見した。
「なんでそんなもん持ってんの?」
「あとあと言った言わないでもめるの嫌だし、俺、原発は初めてなんで、旅館に戻って復習するんです」
このとき、メーカーはおそらく私の怪しさに気づいただろう。
休憩時間に私の班でもっとも仕事が出来ると評判の作業員から「休みなんてこっちが勝手にとればいいんだ。交代交代で休むから安心してよ」と慰められた。
さらに過酷さが増す設置作業
百機タンクの設置は、サリー以上に過酷になると予想されていた。4号機の傍にある丘の上が現場で、そこは通称ピラミッドと呼ばれている。一応除染作業を行い、表面の土を撤去されていたが、地中に埋め込まれたタンクの上に鉄板が敷かれ、日差しを遮るものがないため、フライパンの上で作業するに等しい。これまでのんびりしていたプラントメーカーも、さすがに百機タンクに関しては慎重で、ようやく現場にクールベストが配布された。私が持ち込んでいたアイスノンを装着するタイプではなく、特別な金属を縫い込んだ高価な商品だ。
この金属は通常の体温を超えた段階で、ようやく冷却効果を発揮する。そのためはっきりとした涼しさは感じられず、多量の金属が使われているためかなり重い。日立の現場ではすべての作業員がこのベストを着用するよう指導されていたらしい。日立の現場からやってきた熟練工は「あんなもん少しも涼しくない。ただ重いだけだ。意味ない」と批判し、実際、我が班でベストを着用していたのは、私だけだ。そのほか、電動ファン付きのジャケットも配られた。現場には仮設テントをはじめ、応急処置のできる特別なバスが配備され、監督たちは瞬間冷却剤や飲料水が入ったバッグを持ち歩くと説明された。作業中に水を飲むことは絶対のタブーだ。が、そのタブーを反故(ほご)にしなければならないほど、百機タンクの設置作業は過酷なのだ。
ラドン効果で肩こりが……
評判の悪いクールベストは、実際に着てみるとそれなりの効果があった。熟練工とは違い、ひたすら動くことが仕事の私は、運動量が多い。クールベストがなかったら倒れていたかもしれないと思う。実際、作業後体がだるく、Jヴィレッジにある医療センターに出かけたことがある。
「どんな些細なことでも、体の調子が悪ければ遠慮無くここに行って下さい。お金はかかりません。すべて無料です」
メーカーからそう言われていたが、医療センターは閑散としていた。理由はすぐに分かった。自家用車でJヴィレッジに通ってくる地元作業員ならいいが、旅館に寝泊まりしている作業員は、診察が終わったあと、自力で旅館に戻らねばならない。タクシーを使うと、いわき湯本まで1万5000円ほどかかる。歩けないほど具合が悪いならともかく、少々気分が優れない程度なら、バスで旅館に戻った後、湯本の病院に行くほうが遥かに安い。診察後の移動手段が確保されていない状況では、わざわざここを利用する人間は少ないだろう。
東電お抱えの医師はろくな診察をしてくれなかった。しかし他の医療スタッフは非常に献身的で、その落差が異様だった。ここで診察を受ける際は、上会社と住所・氏名を記入しなければならない。問診ではどうしても会社批判になりがちのため、ここで診察を受けたことは報告されないと説明された。不思議に思っていたことも質問した。1Fで働くようになってから、慢性の肩こりと鼻づまりがなくなったのだ。
「先生、これがいわゆるラドン効果でしょうか?」
有名な玉川温泉など、微量の放射線は健康にいい、という話もある。これまでの日常生活についての問診を受け、先生は冷静に診断を下した。
「運動不足が解消されたからでしょう」
隣の女性看護師が苦笑していた。
放射能より世論の弊害
熱中症で倒れる作業員が続発すると、「作業員の安全を確保せよ」と、マスコミは連日のように騒ぎたてた。政治の世界も同様で、Jヴィレッジやいわき市を視察した議員は少なくない。が、東電の案内でJヴィレッジを視察したところで、現場の実態が分かるはずもない。その程度の実感でヒステリックに「作業員を守ろう」と正論を振りかざしても、作業の足枷になるだけだ。実際、線量が低く、全面マスクが不要な場合でも臨機応変な対応がとれない。東電やプラントメーカーにとって怖いのは、放射能より世論だ。
百機タンクの設置でも、その弊害がもろに出ていた。汚染水処理施設で水漏れが多発し、政治家たちが騒ぎ立てたため、タンクの設置が済んだ後、装置全体に空気を送り込み、圧力をかけて漏れがないのをテストしなければならなくなったのだ。
「まったく迷惑な話だ。もし爆発したらあたり一面が吹っ飛ぶ」
素人の私には実感がないが、メーカーの人間はその危険性をなんども強調した。
「そんときは俺たち、敷地の外から双眼鏡で見てるんで、点検するのはよろしく」
冗談とは思うが、下請け作業員にとっては笑えないジョークだ。
「お前、マスコミなんじゃねえのか?」 福島第1原発に潜入して身バレした記者の“顛末” へ続く
(鈴木 智彦/文春文庫)