2020年11月9日月曜日

「死ぬ。マジで死ぬ」 ひ孫請け作業員の“悲哀”(福島第一潜入記 1/2)

  文春オンラインに30年近くヤクザを取材してきたジャーナリストの鈴木智彦氏の著書『 ヤクザと原発 福島第一潜入記 』(文春文庫)から一部転載されました。

 2回ものの前半部です。
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「死ぬ。死ぬ。マジで死ぬ」 福島1F勤務、ひ孫請け作業員の“悲哀”
                  鈴木智彦 文春オンライン 2020年11月8日
 30年近くヤクザを取材してきたジャーナリストの鈴木智彦氏は、あるとき原発と暴力団には接点があることを知る。そして2011年3月11日、東日本大震災が発生し、鈴木氏は福島第一原発(1F)に潜入取材することを決めた。7月中旬、1Fに勤務を始めた様子を『 ヤクザと原発 福島第一潜入記 』(文春文庫)より、一部転載する。
                          (全2回の1回目)
「人の倍動く」戦略で突然息苦しくなって
「死ぬ。死ぬ。マジで死ぬ」
 尿意はさておき、スキルのなさをやる気と元気でカバーする。具体的には人の倍動く。それが原発作業における私の基本戦略だった。ゆっくり歩く場面を走り、走る場面はダッシュする。初日は失敗したが、他人よりたくさん汗をかけば、尿意のコントロールも容易だろう。
 翌日も走った。最初はよかった。
 突然息苦しくなったのは、1時間ほど経った頃だったろうか。
「これ片づけておけ!」
「はぃ!」
 この日の仕事もプロセス主建屋の掃除・片づけだった。来るべきサリーのメイン装置が運ばれる日に備え、散乱したゴミや工具を整理し、奥の搬入口にまとめるのだ。サリーの配管裏にあった配管切断に使うバンドソーは、ものによっては100キロ近い重量がある。体感的に40〜50キロの電動工具を抱え上げ、表を走っている最中、顔面すべての肌が発火した。
〈やばい。倒れる〉
 4号機の真横でバンドソーを置き、砂利道に手と膝をついて深呼吸するが、チャコールフィルターを通して吸い込まれる空気は熱く、薄く、いっこうに楽にならない。倒れ込むとバンドソーに貼られたガムテープに黒マジックで『不二代建設』と書いてあるのが見えた。そういえば不二代建設の現場監督が死亡したのも、プロセス主建屋で電動工具を運搬している時だった。
「おい、鈴木さん、大丈夫かよ?」
「これ呪いのバンドソーっすね。不二代って書いてありますもん。たぶん大丈夫……っす。まだいけます」
 強がっても体を動かすことができない。その時のICレコーダーを聞き直すと、「死ぬ。死ぬ。マジで死ぬ」と呪文のように繰り返しており、心底、苦しかった記憶が蘇る。体中が火照(ほて)りという言葉を遥かに超えた熱を持ち、未経験でもこれが熱中症の第一症状だろうと分かった。
 全面マスクを外そうと思ったが、表には東芝の放管がいた。放管とは放射線管理員の略で、作業員が被曝しないよう現場にへばりつき、作業内容を監督する監視員だ。もしマスクを外せば、会社の責任者が�られる。どんな場合であれ、マスクを外すのは法令違反、違法行為だ。
 法令違反と言っても死ぬよりはいい。不二代建設での死亡事故は、データを見る限り、放射能とは無関係で、新規参入組だったので、かたくなにマスクを外さなかったために起きた事故である可能性は高い。10月6日には建設会社の下請けとして汚染水貯蔵タンクの設置作業に従事していた50代の作業員が死亡した。通算46日間の勤務で、通算外部被曝量は2・02ミリシーベルト。その後、発表された死因は後腹膜膿瘍(のうよう)による敗血性ショックで、この事例も放射能との因果関係があるとは考えにくい。
 8月30日、40代の男性作業員の死亡が発表された際は、死因が急性白血病だったために、被曝による犠牲者ではないかと疑われた。東電の発表によれば、8月上旬から1週間の勤務で、被曝線量は0・5ミリ。事前の健康診断でも異常はなかったという。専門医の話によると、「この被曝量で白血病を発症することは100パーセントに近い確率でない」らしく、健康診断後に発症し、突然急死するケースも珍しくないそうだ。1Fの勤務に限って言えば無関係だろう。

作業を担当する人間が使えない瞬間冷却剤
「歩けるかい?」
「ちょっと無理です」
 同僚に抱えられ、ゆっくりとプロセス主建屋の中に戻った。バンドソーはHさんという上会社の社員が、がらがらと引きずりながら運んでくれた。
〈すげぇ重かったんだよなぁ。抱えなくてよかったのか……〉
 ボーッとした頭でその様子をみていると、瞬間冷却剤を首の付け根に当ててくれた。プロセス主建屋の裏口、線量のもっとも高い場所に冷凍庫が置いてあり、そこに無数のアイスノンや凍らせたペットボトルが入っているのだ。これまで瞬間冷却剤は作業員が自腹で購入し、現場に持ち込んでいた。シェルターの冷凍庫に保管されていたアイスノンは汚染を防ぐためタイベックの下に装着しなければならないが、現場に、そのためのベストは装備されていなかった。私は保冷剤を5つ装着できるタイプを薬局で購入し、叩くだけで急速冷却される保冷剤を20個ほど持参、仲間に使ってもらうよう差し入れていた。 
 死亡者が出て、作業員の熱中症が多発して初めて、プラントメーカーはこうした原始的かつ実効性のある装備を現場に配備した。が、普段、こうした冷却剤は放管や安全(係)と呼ばれる人間や、現場監督が実質、占有している。作業を担当する人間は、冷却剤の存在すら忘れて作業に没頭しており、それを使う暇すらないし、いざ使おうと思っても、すでに冷凍庫は空なのだ。辛そうな作業員を探し、気を利かせて配ればいいのに、放管や安全は決して自分では動かない。おそらくこれが原発村のルールなのだろう。
 遮蔽板の上に腰掛け、放管の姿が見えないのを確認し、右手でアイスノンを首に当てながら、左手でマスクをずらした。冷たい外気を吸って4、5分、私はなんとか復活した。 
 熱中症は自覚症状がなく、いきなりぶっ倒れる。手足が痙攣(けいれん)するような段階まで来たら、死はすぐそこだ。涼しい場所での休憩や水分補給が難しい以上、個人の自己申告を尊重するしか有効な防止策はない。辛いときは我慢せず、辛いと申告し、シェルターに戻らねばならない。
 が、現場が一丸となって作業している中、自分だけが離脱する罪悪感はかなりのものだ。1Fの作業員には、日本のピンチを救うという使命感があるからなおさらである。

作業員のヒエラルキー
 熱中症には、作業員のポジションも大きく影響する。下請け、孫請け、ひ孫請け……さらには7次、8次と続くヒエラルキーの中、ピラミッドの底辺に向かうほど現場での発言力は弱くなり、それに比例して無自覚にSOSをためらってしまうのだ。不満があってもたいていはそれを飲み込むしかない。
 同僚のFさんは、恩人のサポートのために1F入りした電気屋だった。50代で腰に持病があり、そのせいで締結(配管の接続)の実習を休んだことがある。
「辞めさせるか? 田舎に帰ってもらってもいいっぺ」
 無断欠勤ではないのに、所長は現場でそう息巻いた。Fさんはクールな二枚目で、「さすらいの遊び人」を自称していた。が、腕は超一流で、復旧作業の戦力としては申し分ない。
「俺は直接言われなかったけどね。そんなこと言われたらすぐ帰るよ」
 かといって、Fさんも恩人との関係があり、自分勝手な行動はとれない。腰にたくさんのサポーターを巻きながら、黙々と作業をこなす。他の電気屋が数回かけて溶接する箇所を、Fさんはすべて一発で決めていた。
 我が班の場合、発電機を運ぶような肉体的に辛い、もしくは時間のかかる作業は、下請け、孫請け作業員の担当だった。また安全講習における面談などでも、上会社の所長や専務たちは真っ先に面談を済ませ、自宅へと帰って行く。会場で何時間も待機させられるのは、私のような孫請け、ひ孫請けの作業員たちだ。
 オールジャパンにはそぐわない作業員格差—それでも下請け作業員が不満を口にすることはない。原発を生活の糧としていない私のような作業員ならともかく、5次請け、6次請け、7次請けの作業員にとっての恐怖は、仕事を失うことだからだ。
「わしらみたいな人間、正社員でもあるまいし、ここでがんばらないと次がない。いつまで働けるか分からんけど、辛いなんて口が裂けても言えんばい。倒れたなら不可抗力で、限界までがんばったと評価されるが、途中で逃げ出しては根性のないヤツと思われる」(九州から出稼ぎに来ていた6次請けの作業員)
 誰もが気軽に「もう駄目です」とギブアップできる雰囲気を作らない限り、熱中症はなくならない。

無理をせずうまくサボる
 無謀の結果、自身の限界を知った私は、翌日から走るのをやめた。重量物を運ぶ際には、牛のようにゆっくり歩くようにした。走らなければならないときは6割程度のスピードに抑える。無理は禁物。10メートルの全力ダッシュが命取りになる。毎日のように熱中症で作業員が倒れた。なんとかシェルターにたどり着き、部屋の隅でぐったりしている作業員を見かけるのは日常的な光景だった。
 手抜き—コツを覚えたせいで、雨の中の作業もぶっ倒れずに済んだ。普段の装備の上にアノラックと呼ばれるカッパを着込むと、通気性ゼロのうえ湿気が多いので熱中症の危険が倍加する。こうした際、現場作業に慣れている正社員たちは、けっして無理をせず、うまくサボっていた。皮肉ではない。普段の半分しか動いてはならないのだから、これが正しい姿である。
 ただ正社員の中にも、責任感の強い人間はいる。工程表通りに作業を進めたい……私の上会社にいたAさんは、俗に言うフクシマ50であり、現場の頼れる先輩だった。彼のように責任感の強い人間にとって、雨は大敵だ。
 5、6号機近くの作業場でプレハブの物置を撤収し、敷地内にあるIHI協力会社のビル前に移設したときのことである。アノラックを着込んだ作業員はみな、自分の身を守るため、ゆっくり無理をせずに作業をした。当然作業は遅延する。遅れをカバーしようと躍起になったAさんはあちこち走り回り、突然地面にひっくり返った。雨具と全面マスクを外し、肩でハァハァ息をする。雨の日だけあって外は涼しく、数分の休憩で復活したが、その日の作業は打ち切られた。
 Aさんのようなベテラン作業員さえ倒れる姿を見て、数日後、熱中症に関する記事を婉曲に「週刊ポスト」に書いた。発売日の翌日、朝のミーティングで、東芝の放管および、IHIの現場監督から自分が書いた記事そのままの内容—「熱中症は自己申告が頼りなので、みなさん、辛いときには我慢しないで下さい」と言われた時は、不謹慎ながら笑ってしまった。
 工程表通りに作業を進める。が、無理はするな。現場は完全に矛盾していた。

外国人技師への不満
 小便ならともかく、汚染水が漏れては洒落にならない。アレバとキュリオンという外国勢主体で設置が進められた汚染水処理施設は、あちこちで汚染水漏れを起こし、作業を中断させていた。
 なぜ作業が遅延したか? 複合的な要素が絡み合っており、一言では言えない。
「漏れていたのはたいてい、弁のところ。つまり装置自体に欠陥があったんですよ。日本の作業員は悪くない。もともと欠陥品ということだ。キュリオンとかアレバ—日本人は外国製の機械を触れないんです。ほんとは日本側で全部チェックすればいいんでしょうけど……あるんですよ。縄張りが。それぞれ自分たちの責任はこっからだ、ってなっちゃってるのが現実です。
 海外のものはネジを締めるにしても雑なんです。耐圧試験もやっていないからドンと流した瞬間にバーッと漏れた。どっから漏れたっていったら継ぎ手がちゃんと締まってなかった。日本だったら接合部から漏れがないようシールテープを巻くんですけど、そのまま締めてあるだけ、とか。あれだけの高いお金を払って、電力さんどうしたの、ってのはありますね。手直しに行った作業員だってそう思ってるはず。東芝や日立製ならこんな事態は起こらなかった。なぜ自分たちが手直ししなきゃならないのか……」(アレバの作業を手伝った30代の作業員)
 とはいえ日本側の作業がパーフェクトだったわけではない。そういったクレームはアレバやキュリオンの技術者からも出されていた。配管の中にゴミが入っていた、傷ついた接合部分をそのまま締結した、などだ。個人的には、言いがかりに近いと感じる。酷暑の中、重装備で作業しているのだから、あれだけの遅れで済めば上々だったと思う。

個人的見解では、外国人技師の参入は大きなプラス
 作業遅延の理由の一つに、助っ人外国人との文化の違いがあったことも事実である。あるとき、日本人作業員の遅延により、AO弁という部品の開閉テストが延期されたことがあった。日本人ならそのまま現場に待機したろうが、アメリカ人は帰った。
「いわき市で休んでます。いつでも電話下さい」
 が、作業可能な環境になってもいっこうに携帯電話が通じない。こうしたロスは、外国人技術者のサポートをしていた作業員にとっていつものことだったという。
「俺たちにはオウ・ノウしか言わない。なにを訊いても『私たちの指示通りやればいい』の一点張りで、食事や休憩の時間も長いんでイライラする」(前出の作業員)
 その国の慣習に従うという美徳は、外国人技師にはない。起こるべくして起きた遅延といえる。
 専門家の中にも、「汚染水処理はすべて日本の技術で可能だ」という声があった。巨費を投入した米仏の装置がトラブル続きで、バックアップ装置のはずだったサリーが主役となった事実をみれば、外国製品の導入は失敗だったようにもみえる。
 が、個人的見解で言えば、外国人技師の参入は大きなプラスになったと感じている。現場はきわめて日本的な村社会の構造となっており、業者間の癒着が情報を隠蔽しているからだ。その壁をぶちこわすのは簡単ではない。外国人が入ってくれたおかげで、村社会に存在するオメルタ—マフィア的沈黙の掟は、ようやくほころび始めた。外国勢という異分子が悪役となることで協力企業の不満が爆発し、情報の防御壁が壊れたのである。これまでのように仲間内での作業なら、内情を知ることは難しかったろう。
                             (鈴木 智彦/文春文庫)