2020年11月2日月曜日

「核分裂反応です。ここテストに出ます」(福島第一潜入記 1/2)

 文春オンラインに30年近くヤクザを取材してきたジャーナリストの鈴木智彦氏の著書『 ヤクザと原発 福島第一潜入記 』(文春文庫)から一部転載されました。
 2回ものの前半部です。
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「核分裂反応です。ここテストに出ます」 
東電関係者が1F爆発直後に放った“ブラックジョーク”とは
                   鈴木智彦 文春オンライン 2020年11月1日
 30年近くヤクザを取材してきたジャーナリストの鈴木智彦氏は、あるとき原発と暴力団には接点があることを知る。そして2011年3月11日、東日本大震災が発生し、鈴木氏は福島第一原発(1F)に潜入取材することを決めた。1Fに向かう前に、Jヴィレッジで東京電力の講師から、放射能教育の研修を受けることになった。『 ヤクザと原発 福島第一潜入記 』(文春文庫)より、一部を転載する。(全2回の1回目/ 後編 に続く)
                   ◆◆◆
放射能教育
 宿に到着したのは、まだ午後4時前だった。茶髪の責任者は外出中で、部屋の鍵をもらって、彼の帰りを待った。パチンコから戻った彼は、「ちぇっ、負けちゃいました」と舌打ちした。さりとてそう悔しそうにも見えなかった。
 手土産を渡すと「上会社の所長に渡してください」とアドバイスされた。現場責任者だけあって的確な判断だ。

「明日は……朝8時に上会社の事務所に行ってもらって、そのあとJヴィレッジでAB教育を受けてください」
「AB……C、F、Gはあるの?」
「どーでしょう。俺、聞いたことないっすね」
 彼のいうAB教育とは、本来a教育、b教育と小文字表記で、福島原子力企業協議会が定めた放射線防護教育のことである。主催者の福島原子力企業協議会のホームページには、以下のような説明が掲載されている。
「福島原子力企業協議会は、東京電力の福島第一原子力発電所及び福島第二原子力発電所の定検・保修工事、委託業務等に携わる元請企業とその協力会社の全てを会員とし、会員企業の自主的責任において運営される横断的組織で、法人格を持たない任意団体です。
 福島地区における原子力発電所の定検・保修工事、委託業務等の円滑な推進と会員企業の健全な発展に寄与することを目的としています。
 企業協議会は、会員企業に共通する技能訓練・教育等の実施、会員企業並びに従事者のコミュニケーション増進のための文化・体育活動の実施、原子力理解活動の展開、及び地域社会との協調推進活動等の事業を行っています」(http://www.kyougikai.com/
 そのため、他の原発で働いたことがある熟練工でも、福島県内の第一、第二原発に就労する際は、この教育を受けねばならない。放射能に関する基本的知識の教育だ。
「なに着ていけばいいんだろう?」
「その作業着でいいと思います。あっ、そうだ、これあげます」
 責任者の佐藤は原発作業員に支給される水色のつなぎをくれた。
「鈴木さんは初めて原発に入るから、これを着てればなめられません!」
 背中には大きく「3L」と書いてあった。着てみるとブカブカでいかにも借り物にみえた。
身元管理はしていない
 翌日8時、約束の時間きっかりに上会社の事務所を訪れた。所長に手土産を渡し、書類を数枚渡された。その中に現場で見聞きしたことを口外しない旨の誓約書があった。かといってなんの説明もなかった。ただ機械的に署名するよう言われただけだ。
 私はペンネームを使っていない。平凡な名前のため印象に残りにくいだろうが、ネットで当たれば一発で氏名、年齢、写真が見つかり身元がばれる。労働者名簿や誓約書を書きながら、いまのところ嫌疑がかかっていないと確信した。原発の潜入取材に当たり、私はルールの厳守を心がけていた。もちろん退職後は実体験を書くつもりだから、その点に関しては約束を破る。が、書面を偽造したり、持ち出し禁止の書類を盗み出すなどインチキをすれば、そこを狙われ足を掬(すく)われる。違法行為はもってのほかで、もし身元がばれた場合は、母親の兄弟の養子となり、戸籍を変えようと思っていた。ファーストネームは変えられないが、母親の旧姓は珍しいので、十分な迷彩になるはずだ。
 所長の様子をみて、東電や東芝、IHIも作業員の身元を一括管理していないのだろうと思った。だとすれば現場に暴力団が入り込むのも容易(たやす)い。組員名簿に名前が載っていない隠れ組員なら警察に照会しても無駄だ。
 手土産のせいか、所長は機嫌がよかった。所長のトヨタ・プロボックスバンの後ろに付き、ワゴンRを走らせた。Jヴィレッジまでは下道を通って30分程度で着いた。ここから1Fまで約20キロ少々だから、1Fは想像以上にいわき市から近い。初めて訪れるJヴィレッジは、駐車場にかなりの自家用車が停まっていた。福島以外の他府県ナンバーも多くあった。駐車スペースがなく、構内の歩道に停めるよう言われた。
「管理区入域前教育(a・b教育)」
 ロータリーのある正面入口は通行証を持った車しか入れず、裏のテラスから建物に入った。
「教育の場所……この階段あがったとこに、書いてあっから。終わったら戻っていい。明日また同じ時間に来い」
 会議室に通されると、まず所属会社(私の場合はO社)と氏名を記入し、段ボール箱にある「原子炉施設特別教育テキスト」を取って座るよう指示された。グリーン地の中央にイメージイラストがあしらわれた表紙のサブタイトルには「管理区入域前教育(a・b教育)」とあり、福島第一、福島第二、柏崎刈羽(かしわざきかりわ)という3つの原子力発電所の名前があった。最下部には東京電力の名前とテプコのロゴ、その横に囲みで「本書の内容を本来の目的以外に使用することや、当社の許可なくして複製・転載することはご遠慮下さい」と書いてある。98ページもある分厚いもので、ぱらぱらとめくっても、そこまで神経質になる理由が分からなかった。原発反対の団体から、作業員を洗脳していると批判されるのが怖いのかもしれないが、とても丁寧な教科書といった感じで、たとえば「原発がなければ日本のエネルギー政策は成り立たない」などといった文章は一つも載っていない。
チャラい東電講師
 会議室にはすでに100人以上の作業員がいた。もっと多かったかもしれない。a・b教育は特定の曜日にしか開催されず、すべて予約制のため、常に満員なのである。端っこの後ろ側を選んで座った。しっかりメモをとるためだ。
 講師となった東電社員は、茶髪でブランドものの高価なTシャツを着て、金属製の派手なネックレスをしていた。もらった給料をどう使おうと個人の自由である。ただ、これだけの危機的状況のなかでは、完全に浮いていた。もっとも私以外、誰一人としてそれを気にしている様子はなかった。
「おはようございます。東電環境(エンジニアリング)の○○と申します」
 チャラい外見に似合わず、丁寧かつソフトな語り口だった。
 遅れてきた作業員が私の隣に座り、「それ(テキスト)どっからもってくんの?」と小声でささやく。
「入口の段ボールの中です」
 作業員たちは、たいてい、会社ごと4人〜10人のグループになっており、私のように単独だったのは数名だった。
「今日は11時ころからテストやって……早く終わった人から休憩できます。で、13時半からb教育ですね。これもまた最後にテストがあります。80点以上が合格となりますんで、みなさんがんばってください。あとトイレは向こうの扉(会議室後ろ、演壇から向かって右側)にありまして、タバコ吸う人は2階ですね、テラスに行けば吸えますんで、まぁ、休憩の時にでも行ってください」
 訛りはほとんどなかった。が、福島県内の方言はイントネーションが伝染しやすい。すでに私も訛っていた。講師は幾分私より標準語に近い。
「まずはじめに動画のほう、説明いたします」
 室内が暗くなり、映像が映し出される。
(チャーラッチャチャー)
 軽快なBGMに乗せ、軽快な男性の声で解説が始まる。
「豊かで快適な暮らしを支える電気。日本ではその電気を生み出すエネルギー資源の80パーセント以上を海外から輸入しています。なかでも効率よく発電できる石油は98パーセント以上を輸入に頼っています。しかし、その効率のよい石油も、燃やした時に出る炭酸ガスが地球温暖化などの環境問題を引き起こしています。そこで限りある資源を守るために、また住みよい地球環境を守るためにも、石油に代わるエネルギーが求められています。こうした中で原子力発電は環境負荷が少なく、効率のいい発電方法として、現在では全発電量のおよそ3分の1を担う電力供給の主役となっています。国内の原子力発電所は17カ所。みなさんがいらっしゃる東京電力の発電所はご覧の場所にあります。ではこれから原子力発電所で安全に作業を進めるために必要な放射線防護に対する知識を一緒に学んでいくことにしましょう」
冒頭から超弩級のブラックジョーク
 1Fが放射性物質をまき散らした現況からすれば、冒頭から超弩級のブラックジョークだった。楽しく観ていたら、映像はたったこれだけで終わってしまった。
 講師が言う。
「いまビデオの中でですね、原子力発電が全体の3分の1近く占めるとありましたが、いま停まっている状況が多いので、まぁ、このへんは……ということになっています」
 講師もやりにくかったのだろう、最後は口ごもってごまかした。
「では、本題に入りまして、5ページですね」
 ウラン235が1グラムで、石油2000リットル、石炭3トンに匹敵するということから、教育が始まる。
〈こんな初歩からやるのか……〉
 付け焼き刃とはいえ、あれこれ情報収集をして、その程度の知識はあった。経験者にしか分からないだろうが、全体的に運転免許の講習と雰囲気が似ている。
 面白いのはポイントごとに、講師が「ここは試験に出ます!」と教えてくれたことだ。
「原子力発電の燃料……これは核分裂反応による熱で水蒸気を発生させ、タービンを回します。核分裂反応です。ここ大事です。テストに出ます!」
 とにかく親切で、テキストもよくできており、わかりやすい。市販すれば売れるだろう。かなりの部数がはけるはずだ。
現実とかけ離れた講義
 時間が経つに連れ、私語が目立つようになってきた。遅刻してきた隣の作業員にも4人の仲間がいて、前後に座った同僚に向かい、「おい、飯どうする」とか、「お前、テストに落ちたら恥ずかしいぞ」などささやいていた。時折教育とは無関係の部分で笑い声が聞こえたりする。真剣な顔で、一字一句聞き逃さないよう必死にメモを取っていたのは私だけだ。
 不埒な作業員である私にとっては教育と同時に取材なわけで、他の作業員にとっては退屈だったろう。なにしろa・b教育は平時の作業員のために行われている。
「法令ではですね。実効線量限度は5年間で100ミリシーベルト、年間で50ミリシーベルトと定められています」
 と説明されても、1Fはその定義に当てはまらない。そのたび、講師も困った顔になっていた。
「まぁですね。第二原発に行かれる方はともかく、第一原発ではご存じのような状態で……」
 説明のたび、語尾が尻切れトンボになるが講師を責めるのは酷だ。突っ込まれれば言葉がない。現実とかけ離れた講義は、説明している側の方がつらい。
85点で合格
 試験問題用紙には、柏崎刈羽原子力企業協議会と書かれていて、新潟から運んできたものだった。福島のテキストはおそらく1Fにあって持ち出せないのだろう。全20問で、解答は3択である。答案用紙に○を付け、その上から正解部分のますを格子状に切り抜いた厚紙を重ねると、瞬時に採点が終わる。試験問題は2種類あるようで、採点時には女性社員が手伝いにきた。解答し終わった人間から順番に並び、講師に答案を渡す。隣の作業員は「おほほ、俺、100点満点!」と喜んでいた。あれだけ懇切丁寧に解説され、問題は初歩中の初歩だから当然である。
「自分、何点だったんですか?」
「85点です」
 言い訳をさせてもらえば、試験はカンニングし放題だったのだ。仲間同士で相談し合うのだから単独の私は不利である。どちらにせよ試験は全員が合格する。合格点をとれなかった作業員は、その場で答案用紙を戻され、もう一度同じテスト問題を解き、二度、三度と採点してもらうからだ。客観的に無意味とは思うが、それでもまったく知識のない人間にとってはためになるだろう。ただ、1F作業員にとっては、無意味な知識が多かった。
 午後のb教育は、講師にとっていっそう過酷なものとなった。
 放射能や原発の基礎的知識を教えるa教育と違い、管理区域の説明など、実務的教育だからである。管理区域の区域区分や標識は、1〜3の数字とA〜Dまでのアルファベットを組み合わせて分類される。数字は放射線量を表し、1の区域は線量当量率が0.05ミリシーベルト未満、2は0.05〜1.00ミリシーベルト未満、3はそれ以上となる。アルファベットは汚染度を示しており、Aは汚染のない区域、Bは汚染がないように管理されている区域、Cは汚染に注意する区域、Dは汚染のある区域を意味する(表面汚染密度、空気中の放射性物質の密度はベクレル)。この分類で行けば1Fは構内すべてが3Dだ。
 区域ごとに必要な装備を解説する講師も、さすがに苦笑いだった。b教育はなにもかも1Fでは無意味といってよかった。
我々は原子力発電所で生きて行かねばなりません
 翌日、Jヴィレッジに隣接する二ツ沼総合公園の施設を利用した東芝の事務所で、メーカーによる防護教育があった。参加者は10名足らず。昨日のa・b教育を受けた人数からこれをさっ引けば、東芝系列の作業員割合が推測できた。
「事態がどうなっても、我々は原子力発電所で生きて行かねばなりません」
 東芝の講師はそう言い切り、「鈴木さん、前科持ちでしょう」と質問してきた。意味が分からない、というか、暴力団取材をしていることがばれたのかと焦りながら、クビを横に振る。
「そのツナギを着てるからてっきり経験者と思いました」
 前日に茶髪の責任者からもらったツナギが理由とわかり安堵した。
 講習の内容は極めて実践的で、防護マスクを使った実地訓練では、その状態で3分間足踏み昇降をし、息が切れるかどうかテストし、血圧などを計った。
「先日……家に帰ったとき、洗濯物を家族のものと一緒に洗っていいか、という質問がありました。まったく問題ないんですが、気になるなら別々に洗って下さい」
 質疑応答も実践的だった。
すでに0.02ミリシーベルト被曝……福島1F勤務初日の“緊張の一瞬” へ続く
(鈴木 智彦/文春文庫)