文春オンラインに、30年近くヤクザを取材してきたジャーナリストの鈴木智彦氏の著書『 ヤクザと原発 福島第一潜入記 』(文春文庫)から一部が転載されました。
2回ものの前半部です。
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小名浜ソープ街バブル「4人で50万円払った」 3.11後、原発作業員が殺到した“ヤバい”店 (全2回の1回目)
鈴木智彦 文春オンライン 2020年11月15日
30年近くヤクザを取材してきたジャーナリストの鈴木智彦氏は、あるとき原発と暴力団には接点があることを知る。そして2011年3月11日、東日本大震災が発生し、鈴木氏は福島第一原発(1F)に潜入取材することを決めた。7月中旬、1Fに勤務した様子を『 ヤクザと原発 福島第一潜入記 』(文春文庫)より、一部を転載する。
任侠界から来た男
Jヴィレッジやシェルターでも、刺青を入れている人間をよく見かけたが、堅気の一般人もかなりいた。刺青や小指の欠損はヤクザの象徴であっても、それだけで暴力団と断定するのは乱暴だ。その反対に、外見上、ヤクザとしての記号を持たない組員・幹部もたくさんいる。また虎の威を借りて周囲を恫喝するため、ヤクザを自称する似非(えせ)組員も多く、「俺はヤクザだ」という自己申告も鵜呑みにできない。1度だけ、過去に取材した指定暴力団員と出会った。
「あんた、『実話時代』の人じゃないの?」
「昔の話ですよ」
「俺、昔グラビア載ったんだよ。親分の後ろにちいちゃく、だけど」
話を聞くと、その取材をしたのは私だった。かつてある指定団体に所属しており、10年ほど前に破門となったという。
「ヤクザなんて汚い世界だ。嫌になっちゃってよ。辞めたんだよ」
彼とはその後、何度か飲みに行った。ヤクザを辞めたとは言いながら、らしい匂いが残っていたからだ。完全な形でヤクザと決別した人間は、顔つきがすっかり変わってしまう。ここまで残留濃度が高い人間は、なにかしらの形で暴力団と繋がっている——1例を挙げれば企業舎弟やフロント企業である可能性が高い。
暴力団社会に繋がる蜘蛛の糸
「ほんとに辞めたんですか?」
「真面目にやったって無駄だし、喧嘩したら叱られるし、今のヤクザは馬鹿らしい」
嘘をついているようには見えなかった。
「全然交流ないんですか?」
「なんて言うか……あのさぁ、鈴木さん、なんで原発で働いてんの?」
話をはぐらかされても、ゆっくり戻した。2度目、3度目、回を重ねるごとに打ち解けた。
放射能まみれの1Fから、暴力団社会に繋がる蜘蛛(くも)の糸……。
組織→原発というルートを周辺取材で確認したうえ、原発→組織という逆方向のラインで裏付けが取れれば、確証を持って両者の関係性をクロと断定できる。ここまで来たら確たる証拠を見つけたい。
蜘蛛の糸は切れなかった。
「まともなヤクザなんていねぇけど、うちの兄貴は特別なんだ」
4度目のスナックで、彼は暴力団の仲介で現場に入っていると打ち明けた。正確に言うなら、彼の会社と上会社の間に明確なペーパーカンパニーは存在していない。契約上、両社は直結した業務関係であり、仲介料は彼の会社から元の兄貴分にバックされている。詳細は割愛する。現在進行形だからである。
「まともなヤクザなんていねぇけど、うちの兄貴は特別なんだ。本当の男なんだ。会ってみりゃ分かる。でも取材は無理だろう。今は上がうるせぇから」
彼の兄貴分が特別なヤクザかどうかはともかく、手口としてはよくある話だった。名前だけ訊いた。とある組織の名簿に兄貴分の名前が載っていた。
風呂の他は、夕食の時間が作業員の話を訊くチャンスだ。宿泊先の夕食は豪華で、カニや刺身などがふんだんに出され品数も豊富だった。ご飯と味噌汁は食い放題だ。作業員にだらだらと飲み続けられるのは困るからだろう、焼酎や日本酒などは頼めなかったが、ビールだけは有料で飲めた。話を訊くと、東北や北海道から来ている作業員が多く、年齢層は高い。40代、50代が中心で、20代の作業員はちらほら見かける程度だ。
不思議なことに、話を訊いた大半が独身だった。
「結婚してたけどよ、もう10年以上前に別れた。女が浮気したんだ。仕方ねぇべ。あちこち出張って、家に帰らなかったからなぁ」(北海道から出張してきた50代の作業員)
同僚にも独身者が多かった。妻帯者もいるが、地元に住む彼らは作業後自宅に戻ってしまうので、ゆっくり話す機会がない。
「放射能? 関係ねえべ。被曝ならもうみんなしてるって」
ラッキーだったのは、部屋の冷蔵庫に鍵がかかっていたことだ。ゆっくり酒を飲もうと思えば外に出るしかない。手当たり次第誘って飲みに出た。作業員のストレス解消法は、酒か博奕か女である。20歳から20年、福島の原発で働いてきたベテラン作業員が嘆く。
「もうどうしようもないっぺ。どうやって収拾付けたらいいのか、電力も東芝も、正直言えばわかんないんじゃないの。嫁さんかい? 行くなとは言わない。働かないと飯食えない。放射能? 関係ねえべ。被曝ならもうみんなしてるって。作業員だけじゃない。みんなそうだ」
彼の見解には信憑性があった。1Fでの作業は、あくまで外堀を埋めているだけで、本格的な復旧作業は手つかずなのだ。とりあえずの冷温停止には、めどが付いている。トラブルがなければ成功するだろう。が、そのあとが問題である。巨大なドームで建屋を覆ったところで、根本的な対策にはほど遠い。
9月、1号機の原子炉建屋対策に、東電が新兵器を開発した。鉛と鋼鉄で作られた特別装甲車で、これに乗った作業員がぎりぎりの地点まで近づき、そこから遠隔操作のロボットを使って作業をするのだ。試作品のテストは失敗した。5.5トンも重量があり、上手く走らないのだ。
ソープ街は原発バブル
7月からお盆までは、仕事のあと、飲みにいったり、小名浜のソープランドに出かける作業員は多かった。最高気温に達する午後2時〜3時付近の作業を避け、早朝、もしくは夕方の涼しい時間に就業するサマータイム・シフトが導入され、作業時間が短縮され、夜間の作業は原則的に中止されていた。
「暗がりの中で転倒したり、側溝に落下して骨折した事故などが続いたからだろう。1Fの周囲は真っ暗で、外灯もなく、ライトを点けても視界が悪い。太陽が昇って気温が上がってしまうと長い時間働けないが、そのぶん、安全に作業が出来る。実質的な作業時間を考え、安全確保に時間をとられる深夜の作業より能率的と判断したんだと思う」(5月の連休明けから1Fに就労した作業員)
サマータイムの導入と熱中症対策のため作業時間が短かった上、週に1、2度、休日があったため、休みの前日のいわき湯本は多くの店が作業員で満席だった。湯本のみならず、いわき市の中心部も原発バブルが訪れていた。都心顔負けの高級店も繁盛していた。私が支払った最高額は18万円だが、エレベーターで一緒になった協力会社幹部は「この前、4人で3時間で50万円払った」と苦笑いしていた。
「3月の売り上げはさんざんだった。というよりそれ以前から景気は最悪で店を畳もうと思ってた。けど今は震災前の数倍の売り上げがある。いつまで続くか分からないけど、なんとか持ち直したよ」(いわき市平のスナック経営者)
料金を支払い、時間いっぱい話を訊く
ソープランドには何度も通った。とある暴力団組長から「知り合いがやってる店があるから紹介しようか?」と言われたが、その手の店は避けた。選んだ店は小名浜で最初に店を再開したソープで、毎度同僚を連れていくうち、経営者とも話すようになった。身分は明かした。ソープランドの人間は口が堅い。
「マスコミ、いっぱい来るよ。菓子折持ってきて、『話を訊かせてくれ』っていうからさ。まずは店にあがってくれって言ったんだ。結局帰ったよ。馬鹿だんべ」
私は料金を支払い、部屋にはあがった。が、服も脱がず、風呂も入らず、時間いっぱい話を訊くだけだ。3日にあげずソープに通いながら、まったくセックスをしない私は、いつしか店の有名人となっていた。店に出向くと経営者のおばちゃんが満面の笑みで迎えてくれる。
「おなか減ってないかい? 出前頼むからさ。なんでも食べたいもの言って。この辺じゃ蕎麦屋がおすすめ。鴨南蛮がうまいっぺ」
他の客がいるのに、待合室で出前を食うのは気が引けたが、素直に甘えることにした。原発の取材に来た女性を店に連れて行ったこともある。おばちゃんはこちらの要望を快諾し、店の中をくまなく見学させてくれた。ロンドンの大学に留学していた彼女は、「原発作業員の健康管理」という卒論を書くため帰国し、ツテをたどって私にコンタクトしてきた。極めてセクハラに近いが、一般の女性がソープランドの店内に入る機会はほとんどないため、彼女もノリノリだった。
「あんた、うちで働かないかい? ほれ、ここが仕事場。スケベ椅子知ってる? 全部教えてやっから。大丈夫、あんたならナンバーワンになれるっぺ」
「ケツ持ち(用心棒)はあっこだと思うよ」
ただ、暴力団との関係だけは教えてもらえない。これはソープ嬢から聞き出した。毎回取材する女性は変えた。5回目の女性からはこう言われた。
「ああ、やっと会えたっぺ。嬉しい。あんたの話、みんなから聞いてたんだ。いい人だって。会いたいなって。暴力団の仕事もしてるんでしょ」
ソープ嬢の仕事はかなりの重労働である。原発バブルのせいで、休み時間はほとんどなく、飯を食う暇もない。いい人とは、仕事をせずに済むいい客という意味だ。時折、部屋で一緒に飯を食った。自宅や本名、昼間の仕事も教えてもらった。
「昼間は看護師やってんの。震災の時は大変だったわ。でもうち、誰1人辞めなかったんだ。みんな店に戻ってきた。経営者がいいんだ、ここは。優しい。すごく頑張り屋だし。ケツ持ち(用心棒)はあっこだと思うよ」
彼女は近隣の指定団体の名前を口にした。裏は取っていないが信憑性は高い。
原発関係のお客さんを断るソープ嬢も
面白いことに、ソープ嬢のすべては地元出身だった。本来、こうした仕事は地元を避け、他の地域で行う女性が多い。
「1度同級生が来たことあんだわ。お互いびっくりしたけど仕事だから、ちゃんとしたよ。あんた原発行ってるんだってね。作業員、いっぱい来るよ。『こんなに給料が安いとは思わなかった。騙された』って必ず言うからわかるっぺ」
彼女の感性が独特なのかは分からない。が、地元の人間ばかりということは、ソープランドの経営者、そしてソープ嬢たち全員が被災者ということである。
「震災翌日、電気や水道が止まっているのに、洗面器にお湯を貯めて営業した店があったみたいだけど、やっぱり評判が悪くて給湯施設を設置しようとなった。うちは4月の第2週に工事を終えて店を開けたんだわ。この辺は中央の施設から給湯され、個人の家にもボイラーがなかったんです。お風呂に入りに来てもらってるんだから、絶対にお湯が要るでしょう。オーナー、無理して資金を集め、数100万円かけてボイラーを付けたみたい。現金が用意できず、泣く泣く廃業した店も3、4軒ある。
話を聞いてあげるのもソープ嬢の仕事だし、私は嫌じゃないけど、原発関係のお客さんを断り、常連客しか接客しない女の子もいるね。ワケを聞いたら、悪夢を思い出すからと言ってたよ。『原発事故の時は放射能が怖くって全然眠れなかった。作業員の人たちが危険な仕事をしてくれているのは分かってる。でも話を聞くと悪夢を思い出しちゃう。つい最近、やっと普段の生活を取り戻したのに、原発や放射能とか、そんな言葉を聞くだけで気分が滅入っちゃう』って言ってました」(自称28歳の女性従業員)
「東電関係者は絶対イヤ」
原発作業員を嫌がるソープ嬢も指名した。彼女は店が再開してからずっと、「なにかあればいつでも店を飛び出せるよう鞄を部屋に置いている」と笑った。3月11日の大震災時は昼間だったのでスーパーで買い物中だったが、4月11日夕方、大規模な余震が発生していわき市内一帯が停電となった時は接客中だったそうだ。
「長い揺れが続き、5分も経たずに電気が消えたんだ。パニックになっちゃってもう条件反射で逃げたっぺね。裸足のまま荷物を抱え、一目散だ。申し訳ないけどお客さんに気遣ってる余裕なんてなかった。ボーイさんがきちんと誘導したみたいだけど、私、完全無視ですもん。さすがに店には怒られました。でも関係ねぇかんね。人間、生きる死ぬってときは。車に飛び乗って真っ直ぐバイパスに向かったけどすっごい渋滞で、おまけに大雨が降っててさぁ。偶然、すぐ近くに雷が落ちたんだっぺ。バチバチって音と火花が散って、電線が切れちゃって、すごく怖かった。思い出すんだ。あの時を。作業員の人に恨みなんかない。頑張ってくれてるのも分かってる。でも東電関係者は絶対イヤ」
彼女のように原発作業員を嫌がるソープ嬢は少数派だ。たいていの女性は客が暴力団でも、警察官でも、原発作業員でも気にしない。
最後に指名した女性とは酒盛りになった。ビールは店がサービスしてくれた。
「おっかねぇとか怖いとか、あと、会社への文句とか、密室でなら、なにを言っても他人に聞かれないで済むかんね。気が楽なんじゃないの? プレイ時間中、ずっとおしゃべりしてる作業員の人もいたっぺ。自分で酒とつまみを持ち込んだりする客もいる。さっきもここ居酒屋みたいになってたんだ(笑)。そうだ、前のお客さんが置いていったキュウリの漬け物あるよ。私、キュウリ食べないんだ。よかったらどうぞ」
彼女は自分が作業員のカウンセラー的存在になっていることを自覚していなかった。が、ソープ嬢は紛れもなく原発作業員にとって強力な後方支援部隊だ。キュウリの漬け物は浅漬けの割に辛く、肉体労働者向けの濃い味だった。会計は総額1万5000円。キュウリの分、1000円チップを置いた。
東京電力の社員の姿も何度か見かけた。たまたまだろうが、必ず協力社員と一緒で、私が見た限り、勘定は下請け会社が出していた。
(「1度原発で働いたヤツは、原発に帰ってくる」 作業員を離さない、福島1Fの“うま味”とは へ続く)
(鈴木 智彦/文春文庫)