2022年9月19日月曜日

規制委発足10年 原発事故の教訓を原点に/批判も大きい

 原子力利用の安全確保を担う原子力規制委員会は19日で発足から10年を迎えます。
 福島原発事故から11年を経過して早くも政府・与党産業界「原発回帰」を強める中、惨事を繰り返さぬ安全のとりでとして規制委の真価が問われています。
 規制委は、基準地震動を既設の原発が稼働できるように極めて低く設定したり、火山条項で一旦は厳格な基準を設定しておきながら運用で大幅に緩和したり、原発の運用期間を40年と決めながら現実には例外的とされた20年延長が常態化するなど、首を傾げる事態が頻発しています。
 3代目委員長を引き継ぐ山中伸介氏は「日本40年ルール世界的に見ても短い」と発言したそうですがそもそも地震頻発国の日本の基準を世界の趨勢に合せようという考え方自体が問題です。
 京都新聞が「規制委10年 原発事故の教訓を原点に」とする社説を出しました。
 併せて時事通信の記事を2つ紹介します。原子力規制庁にも厳格さが求められることは言うまでもありません。
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社説:規制委10年 原発事故の教訓を原点に
                            京都新聞 2022/9/18
 原子力利用の安全確保を担う原子力規制委員会が、あす発足から10年を迎える。
 東京電力福島第1原発事故の反省を踏まえ、2012年に設置された。電力需給の不安や脱炭素化を理由に、政府・与党や産業界が「原発回帰」を強める中、決して惨事を繰り返さぬ安全のとりでとして規制委の真価が問われている
 原発事故時、経済産業省の下にあった原子力安全・保安院が機能不全を露呈した。原子力の推進と規制を共に所管した矛盾が事故を招いた一因と批判され、規制委は独立性の高い「3条委員会」として強い権限を与えられた
 地震や津波などの対策を強化した新たな規制基準を策定し、10原発17基の適合を認めた。老朽原発を運転させない「40年ルール」は、規制委の判断で最大20年の運転延長が可能となり、骨抜きとなった。
 国民の原発再稼働への懸念は根強く、その評価は分かれる。ただ独立性や透明性を理念に掲げ、慎重な審査に徹した10年間だったとはいえよう。
 いま規制委は転機に直面している。
 岸田文雄政権がウクライナ危機に伴う燃料高騰や電力逼迫(ひっぱく)などを逆手に取り、原発回帰へかじを切ったからだ。次世代型原発の開発・建設や原発の運転期間延長に言及し、適合審査の長期化も問題視され、規制委を取り巻く環境は厳しい。
 更田豊志委員長が21日に退任し、発足時のメンバーはいなくなる。元大阪大副学長の山中伸介委員(原子力工学)が3代目委員長を引き継ぐが、40年ルールを「世界的に見ても短い」と発言し、市民団体などから「委員長となる資格に疑問を持たざるを得ない」と批判を浴びたのが気がかりだ。いかなる事情があっても安全を二の次にしてはなるまい。
 積み残された課題も多い。
 原発事故を想定した避難計画は再稼働の判断に欠かせない。だが規制委は作成に関与せず、原発周辺の自治体任せになっている。規制委が専門家としての知見を生かして妥当性を確認するなら、より実効性や信頼性の高い計画となろう。
 ウクライナ危機は有事の際、原発が攻撃対象となる危うさを浮き彫りにした。原発を標的としたサイバー攻撃も現実味を増す。原子炉等規制法は「攻撃を受けた場合の対応計画を策定する」などと定めており、さらなるセキュリティー対策の強化が急務といえる。規制委の役割と責任は一層重くなっている。
 信頼を失墜した原発や規制当局への国民の視線はいまだ厳しい。原子力災害が長期間にわたって甚大な被害をもたらすことは、収束の見えない福島事故からも明らかだ。
 規制委は、情報公開の徹底を原則に、時の政権の思惑から距離を置き、科学的なデータに基づいて厳格な審査や検査を重ねてこそ国民の信頼を得ることができる。
 安全に絶対はない。問題があれば、必ず安全の側に軸足を置く、というのが福島事故の教訓であり、規制委の原点である。


原子力規制委、発足10年 基準厳格化、もんじゅ廃炉で存在感 運転延長、処理水など批判も
                            時事通信 2022/9/19
 原子力規制委員会は19日、発足から10年を迎える。
 東京電力福島第1原発事故を防げず、「規制のとりこ」とまで酷評された旧規制当局の反省を基に出発した規制委。厳格化された新規制基準に基づく審査や、高速増殖原型炉「もんじゅ」(福井県)の廃炉につながった勧告権の行使などで存在感を示した。これまで10基が再稼働したが、9年以上たっても審査が終わらないケースもあるなど長期化も目立つ。
 規制委の発足は民主党政権下の2012年9月。福島県出身で、元日本原子力研究所副理事長だった田中俊一氏が初代委員長に就任した。13年7月には、重大事故対策の義務付けや、地震・津波想定の厳格化などを盛り込んだ新規制基準に基づく審査を開始。電力会社側の地震・津波想定は軒並み引き上げられ、九州電力川内原発1号機が初めて再稼働するまで、2年余りを要した。
 15年11月、多数の点検漏れなどが相次いだもんじゅを運営する日本原子力研究開発機構について、「運転する資質がない」として、文部科学相に運営主体の交代を勧告。もんじゅは翌年12月、廃炉に追い込まれた。
 規制厳格化による安全対策費用の増大で、規制委発足後に再稼働をあきらめ、廃炉となった原発は15基(福島第1を除く)に達した。一方、「極めて例外的」(細野豪志・原発事故担当相=当時=)とされた、運転開始から40年超の老朽原発の審査では、申請された4基すべての20年延長が認められた。また、福島第1原発から出る放射性物質トリチウムを含む処理水の海洋放出には早期から理解を示すなど、「脱原発」の立場からは批判も受けた
 透明性を重視するあまり、電力会社とのコミュニケーションが不足しているとの指摘も受けた。14年からは、各社の経営陣と公開で意見交換を重ねるなどの模索も続く。
 間もなく更田豊志委員長が任期を終え、発足時の委員はいなくなる。電力需給の逼迫(ひっぱく)などを背景に、政府や経済界の再稼働圧力が強まる中、科学的判断のみに依拠して「人と環境を守る」(規制委の組織理念)、発足当初からの使命を果たし続けられるかが問われる。


「透明性、規制委の命綱」 設立準備室長務めた森本さん 原子力規制委10年
                            時事通信 2022/9/19
 原子力規制委員会の設立準備室長や、発足後の原子力規制庁次長を務めた森本英香さん(65)は、発足前後の多難な時期を振り返り、「規制委は透明性と独立性が命綱だ」と語った。
 環境省の官房審議官だった森本さんが、細野豪志原発事故担当相(当時)から、設立準備室長に指名されたのは2011年7月。帰還困難地域に残されたペットの里親探しに取り組んでいた時期だった。畑違いの仕事に戸惑いつつも、「やれと言われればやるのがスタンス」と引き受けた。
 経済産業省、文部科学省、警察庁などとの寄り合い所帯。白羽の矢が立った理由を「マイルドな性格で、全く違う人たちが『呉越同舟』でやるのにちょうどいいと思われたのでは」と自己分析し、「一番苦労したのは役所間の調整だった」と振り返った。
 準備室には、新たな規制の行方に気をもむ電力業界からも要望が寄せられた。森本さんは「非公開で聞けば、信頼は失われる」とすべてオープンにして対応。困惑したのか、陳情はなくなった。
 規制委は12年9月に発足。森本さんは規制庁次長に就任した。新規制基準や防災指針改定などの懸案に追われる中、半年もしないうちに存立を揺るがす事件が起きた。
 13年1月、日本原子力発電敦賀原発の敷地内活断層調査で、規制庁の担当幹部が同社側に公表前の報告書案を手渡した。公開対象外だった「儀礼上のあいさつ」の場でのやりとり。幹部にも問題意識がなく、他の職員に話したことが判明のきっかけだった。
 「公表前に明るみに出れば、規制委はアウト」。危機感を抱いた森本さんは、この幹部から直接事実関係を確認。すぐに臨時記者会見を開き、幹部は更迭処分となった。規制庁は「あいさつ」も含め、複数の職員が立ち会うよう改めた。
 約2年間次長を務めた後、森本さんは環境事務次官などを経て、現在は早稲田大で環境法などを教える。

 発足から10年を経た規制委について「透明性は維持できている。本音で話せないという声も聞くが、裏で話し始めたとたんに存在意義を失う」と強調。世間から事故の記憶が薄れる中、「科学にちゃんと基づいているという自信がよりどころ。科学のみによって、はね返すべきははね返せるかどうか、今が正念場だ」とエールを送った。