2022年9月18日日曜日

「フクシマの反省や教訓は邪魔でしかない」 再稼働ありきの原子力行政

 ジャーナリスト日野行介氏(インタビュアー)は、東海第二原発の30キロ圏内から避難する人を受け入れる避難所が、実際の受け入れ能力よりも過大に見積もられていたことを調査によって明らかにしました。日野氏が1年がかりでこれを調査した際に、アドバイザーとして「伴走」したのが東京女子大学の広瀬弘忠名誉教授でした。
 広瀬教授は、「避難計画がなければ再稼働が認められないということになったので作っているものの、周辺自治体がつくっている避難計画は、実効性のあるものとはとても思えない。どう作っても実現不可能な避難計画になる。だから机上の空論、絵に描いた餅と同じ」、そもそも「フクシマのような事故は起きないことを前提に原子力防災行政が進められている」と原発避難計画の虚構性を一貫して指摘しています。
 原発を稼働するにあたって最も重要なのは重大事故時に住民が被曝することなく安全に避難できるかどうか(⇒原発 深層防護第5層)で、実効性のある避難計画が作られていなければ稼働は認められるべきではありません。

 プレシデントオンラインに、日野行介氏の著書『原発再稼働 葬り去られた過酷事故の教訓』(集英社新書)から「広瀬教授のインタビュー」が載りました。
 原記事とは順序が逆になりますが、まず登場人物を紹介します。

広瀬 弘忠(ひろせ・ひろただ) 東京女子大学名誉教授
1942年生まれ。東京大学文学部卒。東京大学新聞研究所助手を経て東京女子大学教授。2011年に定年退職して現職。専門は災害リスク学。株式会社安全・安心研究センター代表取締役。著書に『巨大災害の世紀を生き抜く』『人はなぜ逃げおくれるのか――災害の心理学』(いずれも集英社新書)など。

日野 行介(ひの・こうすけ) ジャーナリスト、作家
1975年生まれ。元毎日新聞記者。社会部や特別報道部で福島第一原発事故の被災者政策や、原発再稼働をめぐる安全規制や避難計画の実相を暴く調査報道に従事。著書に『福島原発事故 県民健康管理調査の闇』(岩波新書)、『除染と国家 21世紀最悪の公共事業』『原発再稼働 葬り去られた過酷事故の教訓』(集英社新書)など。
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「フクシマの反省や教訓は邪魔でしかない」とにかく再稼働ありきの原子力行政の"非人道ぶり"
                      プレジデントオンライン 2022/9/17
原発事故への備えは万全といえるのか。東京女子大学の広瀬弘忠名誉教授は「周辺自治体がつくっている避難計画は、実効性のあるものとはとても思えない。フクシマのような事故は起きないことを前提に原子力防災行政が進められている」と指摘する。ジャーナリスト・日野行介さんの著書『原発再稼働 葬り去られた過酷事故の教訓』(集英社新書)より、広瀬氏のインタビューを紹介しよう――。

■フクシマ後も変わらない原発行政の虚構
 広瀬弘忠さんは災害時の住民心理の専門家で、フクシマ後は鹿児島県(九州電力川内原発)、静岡県(中部電力浜岡原発)、新潟県(東京電力柏崎刈羽原発)で住民へのアンケート調査を実施。原発避難計画の虚構性を一貫して指摘している。
 私⇒日野の調査報道により、日本原子力発電東海第二原発(茨城県東海村)の30キロ圏内から避難する人を受け入れる避難所が過大に見積もられていたことが判明した。この調査報道では、1年間にわたって粘り強く伴走してもらい、専門的視点から貴重な助言をもらった。
 今回の調査報道で取り上げた東海第二原発の避難計画を入り口に、フクシマの反省や教訓の形骸化から、数字やロジックの辻褄合わせに終始する役人たちの習性まで、フクシマ後も変わらない原発行政の虚構について語ってもらった。
■全住民を受け入れる避難所の確保は「最低限」
 ――1年間にわたる伴走、ありがとうございました。
 「今回の報道には本当に驚きました。これは原発避難計画をめぐる新たな指摘です。今までは避難経路とか高齢者や病院など、どう避難させるかの方法にだけ焦点が当てられてきました。だが、避難させた後はどうなっているのかと言えば、実は避難場所にスペースがなく、ロジスティックスも杜撰でめちゃくちゃな状態だった
 実効性の有無どころか、「絵に描いた餅」「机上の空論」でさえない、形ばかりで、中身のない実態を示した報道でしょう。分かりやすくて痛いところを突いている。しかも地道に証拠を積み重ねているから役所は逃げ隠れができない」
 ――それでも、避難所不足がバレると、役所の担当者たちは一様に「住民全員が逃げるわけではない」と開き直りました。
 「確かに、これまでの住民アンケート調査を見ると、『避難しない』と答えた人も結構います。ただそういう人がいるからキャパ(避難所)が少なくてもいいのかというと、そうではない。福島第一原発事故みたいに、最終的にはいや応なく避難しなければならない事態になり得る。全住民を受け入れる避難所を確保しておくのは、行政として最低限の前提です。
 さらに言えば、災害避難の現実ではキャパギリギリは機能しない。収容人数の90パーセントが埋まるような計画では100パーセントを超えているのと同じです。十分な余裕を持った計画でなければいけない
■茨城県の数字の書き換えは確信犯的
 ――県議会での指摘を受けて、茨城県が2018年に実施した避難所面積の再調査では、トイレや玄関などの非居住スペースを除いた数字を出すよう市町村に指示しておきながら、自分たちは非居住スペースを含む総面積の数字に書き換えたりしています。杜撰を通り越して、本気で過大算定を改めるつもりなどなく、形ばかりの計画で良いからとにかく作ってしまえ、と考えているとしか思えません。
 「杜撰というのは怠慢ゆえのうっかりミスですが、過大算定になると知りつつ意図的に数字を書き換えているなど、ある意味では確信犯的なところがある。策定プロセスを公表しておらず、途中で修正する復元力が働かなかったことは大きな問題です。避難者全員を収容できないことが明らかになると計画自体が瓦解しかねないため、隠して数字を書き換えたのでしょう」
 ――実効性の有無以前の問題ですね。これでは検証などまったくできない。
 「そうです。避難計画がなければ再稼働が認められないということになったので、作っていますが、どう作っても実現不可能な避難計画になるだから机上の空論、絵に描いた餅と同じです。骨抜きよりもっと悪質で、官僚の作文によって実効性を虚偽的に作り出している。
 避難計画には実効性がありますよと安心材料を県民に提供しているつもりでしょう。根拠となるデータを国も県も隠すとなると、まったく検証ができない。安倍政権で相次いだ公文書スキャンダルと同根です。旧日本軍の役人たちが鉛筆をなめて勝手に戦果を水増しし、損害を小さく見せたような話です」
■避難計画は再稼働するための方便
 ――役所は「核燃料がある限りは危険がある」という論法で、避難計画が再稼働とは無関係であるかのように装っています。しかし再稼働すればリスクは格段に増します。極端なことを言えば、再稼働しなければ良いだけなのですが、そう指摘されないよう装っているように見えます。
 「確かに稼働していなくても事故は起きますが、運転しているとリスクは格段に大きくなる。それは言わずに、『核燃料があるから避難計画に協力してください』と迫られると、避難先の自治体や住民は『それならいいよ』と受け入れざるを得ない。そうすると、原発を再稼働するときに反対したとしても、『避難計画を受け入れただろ』と反論を受けてしまう。
 こうした詐欺的な手法を『フット・イン・ザ・ドア』と言います。何かを売りつけるときに、ドアをノックして、開いた瞬間に足先だけ差し込んで、断れない状態にしてしまう。避難計画は再稼働するための方便ですよね」
■デタラメなのは東海第二原発だけではない
 ――役所は避難計画が再稼働の前提であることを再稼働寸前まで隠しています。
 「再稼働ありきではない、安全第一だと彼らは言います。避難計画の確実性、安全性、実効性がちゃんと担保されてから再稼働に進むのが本来のあり方のはずです。ところが実際は逆です。まず再稼働したいという強い欲求だけがあって、それを実現するためにいろいろごまかしたり、隠したりしながらデタラメな避難計画を作って最後になるべく簡単にすり抜けるというやり方です。
 どう考えても実効性のある避難計画ができるわけがないけれど、できるように装うことはできるから、非常に危ういと思います。騙し方が極めてうまいですよね。微妙なところは後出しにして再稼働まで持っていく。問題はそこまでして原発を動かす必然性があるのかということですが、あまりにすべてがウソだらけだから、かえってウソを指摘しにくい」
 ――デタラメなのは東海第二原発だけでしょうか? 
 「いや、どこも同じようにデタラメだと思います。避難計画も自治体が作る原子力防災計画も、どこも同じ金太郎飴で、道路の名前や施設の名前を変えているだけです。これは内閣府がテンプレートを作って道府県に下ろしたものがそのまま使われているからです。
 どこの避難計画も作り方は同じです。避難所がこのくらいあって、収容人数のキャパがこのぐらいだから、30キロ圏内の人口のうちこのぐらいを収容できるとして各自治体に割り振る。パズルを当てはめるような形式的なやり方ですね。しかも、今回の報道が示したように実際には使えないスペースまで入れているとなれば、最初から本気で避難計画を作るつもりはなく、再稼働を進めるためのめくらましということでしょう」
■避難先がなくなる事態は起きないことにした
 ――内閣府から開示された非公開会議の議事録で、規制庁(内閣府)の担当者が、自治体が楽に避難計画を策定できるよう、事故時の想定を引き下げたとも受け取れる発言をしています。その結果、UPZ(5~30キロ圏内)全域の避難は考えられないから、避難所の融通もできると、自治体に説明しています。
 「一番簡単で経済的なやり方は30キロ圏内一律避難ですよ。『俺はどこに避難するのだろう? 』と、住民が自分の避難先を知らないような計画が機能するはずがない。最悪のシナリオを想定するどころか、都合の良いシナリオしか想定していません。そもそも全村避難になった飯舘村は福島第一原発から40キロも離れているのに、なぜ防災対象範囲を30キロにしたのか理解できません。
 そこまで考えたら、避難先がなくなってしまう。だから、そんな事態は起きないことにしている。最初から破綻しているのに、なんとか辻褄を合わせて一応取り繕うだけの避難計画ということでしょう。これでは30キロより外側の人々には、『逃げるなら自己責任で』となりかねません
■「事故が起きなければ大丈夫」という矛盾
 ――30キロより内側も全住民を避難させるつもりがない。これではフクシマの反省で防災対象範囲を30キロまで広げたとは言えない気がします。
 「その通りですね。フクシマは例外としか見てないのでしょう。実際には福島第一原発事故はもっと大きな災害になった危険性があったと思うのですが、それすら今後は起きないことを前提に原子力防災行政を進めている。フクシマは想定外の大事故であって、想定できる事故はもっと小規模でマネジメント可能なものだと思い込んでいるだけです」
 ――事故に備える避難計画なのに、事故が起きない前提になっているのでは? 
 「そういうことです。形式的でも一応体裁だけ整えればいいという発想でしょう。避難計画が形ばかりでも実際に事故が起きなければ大丈夫だと思っている。そもそも事故が起きたときに必要になるのが避難計画なのに論理矛盾ですよね。事故なんて起きるはずがないからいいかげんなものでも大丈夫だなんて、わずか10年で事故が起きない前提に逆戻りしている」
■日本の原子力行政は「非人道的」
 ――ヨウ素剤の事前配布もフィクションです。UPZは屋内退避するという「二段階避難」と論理的に矛盾するから配らないのでしょうが、事故が起きた後、集合場所で配布するなど誰が考えても非現実的です。
 「国が屋内退避しろと指示しても多くの人は従わないでしょう。私のアンケート調査でも半分を超える人が自分の判断で避難すると答えています。UPZで事前に配りたくないのは、二段階避難ができるというフィクションを守りたいからでしょう。
 結局、彼らはフクシマの反省や教訓が邪魔でしかたないのでしょう。福島第一原発事故をまともに評価したら、再稼働なんてとんでもない、という結論になりますからね。肝心なところが隠されたまま、なぜか再稼働だけが進んでいく。日本の原子力行政は一言で言えば『非人道的』です」
 ――広瀬先生は以前、東京電力が設置した有識者会議のメンバーだったことがあるそうですね? 
 「(原子炉内部の機器にひび割れを発見しながら公表しなかった)トラブル隠し問題(2002年)を受けて設置された原子力安全・品質保証会議の委員をしていたことがあります。なぜ東電が私を選んだのかは分かりませんが、米国のスリーマイル島原発事故(1979年)のころから私は原発に批判的だったので、取り込もうと考えたのかもしれません。
 委員になったことで原発の中を見る機会も多く、いろいろな内部的な報告も受けることができ、私にとっては貴重な経験になりました。最後まで東電のシンパにはならなかったわけですが(笑)」

■「シナリオ」に沿わない有識者ははじき出す
 ――どのような仕事だったのでしょうか? 
 「トラブル隠し問題など東電は当時からさまざまな不祥事、不正を起こしていました。なぜこんな事態が起きるのか、という原因究明ですね。でも、これではダメだと思ってフクシマの数年前に辞任しました。
 会議は年に3、4回あるのですが、事務局があらかじめシナリオを作っていて、こういう資料で、こういう方向性で行きますと説明に来ます。各委員に説明して、会長や社長、原発所長の前で全体会議をするわけですが、私がシナリオとは違う意見を言うために、東電の担当者が困ってしまった。内側からの批判には限度があると感じました。
 一定範囲は許容されるのですが、それを超える批判はできないし、そうする人ははじき出す。東電だけではなく官庁もそうですが、だから意向に沿った有識者を選ぼうとするのでしょう」
 ――フクシマ後も原発行政が生まれ変わったようには思えません。
 「あまりに巨大なシステムのため身動きが取れないのだと思います。東電の有識者会議の委員だった際に最も問題だと思ったのは、東電の技術者たちが、原子力安全・保安院など規制側よりも知識や技術を持っていると慢心していたことです。実際そうだと思うのですが、これでは根本的な変革はできません」

■原発存続には国民を欺くウソが不可欠
 ――東電だけではなく、規制する側も自らの「権威」を守ることに汲々としています。また、決して誤りを認めないようにしなければ原発を進められないと考えているようにも思えます。危険なものを危険だと感づかせないように広報するという時点で、すでにウソが始まっています。
 「そうですね。最近はよく『原発はゼロリスクではない』と宣伝されています。確かにその通りではあります。危険な放射性物質を使うというのも本当です。ところが、これが環境に漏れてもちゃんと防護対策が取られて、汚染が広がらないように規制しているから原発は安全という話になってしまっている。
 『ゼロリスクではない』が、いつの間にか『100パーセント安全』になっているわけですから、どこかでレトリックが破綻しているのですが、気づかれないよう工夫して国民の感情に訴えている。原発が生き残るには国民を欺くウソが不可欠です。結果として、社会を支えるモラルや民主主義が破壊される恐れがあることに気づくべきでしょう」