2022年9月22日木曜日

規制委・更田委員長が退任会見

 原子力規制委の更田豊志委員長は21日、退任前最後の定例記者会見で「規制委は事業者の追認機関ではない。最終段階でのちゃぶ台返しも恐れない姿勢が大切」『事故は必ずまた起こる』と思って審査に臨んだ。楽観幻想でなく、常に見落としがないか心理的負荷をかけてきた」「仮に規制レベルを引き下げることになれば、原子力の利用は前へ進まず、頓挫する」と回顧しました。

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「ちゃぶ台返し恐れずに」 規制委・更田委員長が退任会見
                             河北新報 2022/9/22
 原子力規制委員会の更田豊志委員長は21日、退任前最後の定例記者会見で「規制委は事業者の追認機関ではない。最終段階でのちゃぶ台返しも恐れない姿勢が大切」と述べた。今後は一人の技術者として東京電力福島第1原発の廃炉に貢献したいとの意向も示した。

■当初メンバー姿消す
 更田氏の退任で、規制委発足当初のメンバーは全員が委員を退くことになる。「福島事故の記憶が生々しい中で組織ができ、『事故は必ずまた起こる』と思って審査に臨んだ。楽観幻想でなく、常に見落としがないか心理的負荷をかけてきた」と回顧した。
 10年間で審査を通った原発は17基で、うち再稼働は10基にとどまる。「数なんて配慮しない。個別の判断。要求レベルを引き下げることはない」と断言した。
 福島の廃炉に関しては「固体廃棄物をどう安定保管するか、汚染濃度や発生量も概算しか分からず、長期間の闘いになる。処理水は正直、もっと早く実行(海洋放出)に移せなかったのかとも思う」と述べた。
 退任後は原子炉内の調査など廃炉作業への関与に意欲を示す。「自分でしゃしゃり出るわけにはいかず、声をかけられたら。東電の迷惑にならない範囲で原発にも入りたい」と語った。
 日本原燃の使用済み核燃料再処理工場(青森県六ケ所村)については「仮に審査中の工場がフル稼働しても現存する燃料を全て再処理することはできない。(国の核燃料サイクル政策は)第2工場の建設を前提としており、現時点で全量再処理政策は完結しない」と指摘した。
 更田氏は21日に任期満了を迎えたが、後任となる山中伸介委員の皇居での認証式の日程が決まらないため当面は職務を継続する。


「規制レベル下げれば原子力利用は頓挫」 委員長が退任会見でくぎ
                             毎日新聞 2022/9/21
 原子力規制委員会の更田豊志(ふけたとよし)委員長は21日、9月中の退任を前に記者会見を開いた。原発を巡っては、岸田文雄首相が新増設の検討を指示するなど、活用を進める姿勢を鮮明にしている。こうした動きに対して更田氏は「規制の要求レベルを下げろという議論は無い。(規制委は)今後も厳正な規制に努める」と述べた。その上で「仮に規制レベルを引き下げることになれば、原子力の利用は前へ進まず、頓挫する」とくぎを刺した。
 更田氏は日本原子力研究開発機構副部門長などを経て、2012年9月に発足した規制委の最初の委員5人の一人に。17年9月に田中俊一氏の後を継いで2代目の委員長に就任した。
 更田氏は「規制委は東京電力福島第1原発事故のような事故を決して起こさない決意のもとに作られた」と強調。「常に事故を起こさないと決意しているからこそ、また必ずあのような事故は起きるものだと思いながら、仕事に取り組んできた」「安全神話の復活を許さないという姿勢は貫けた」などと、この10年間を振り返った。
 一方、福島第1原発の処理水の海洋放出については「政府が十分な説明責任を果たして、もっと早く実行に移せなかったのか」と述べ、海洋放出が計画通りに実行されるべきだとした。
 更田氏の委員長在任時に規制委は、東電が再稼働を目指す柏崎刈羽原発6、7号機(新潟県)を巡って、審査の通過を認めたが、その後、21年にテロ対策の不備などが発覚。東電に対して原子炉等規制法に基づき改善命令を出し、再稼働に向けた手続きを凍結した。
 更田氏の退任により、規制委発足当初からの委員はいなくなる。【吉田卓矢】


原発の「安全神話」許さぬ姿勢 更田規制委員長が退任会見
                             共同通信 2022/9/21
 原子力規制委員会の更田豊志委員長は21日、退任を前に記者会見し「(原発事故は起きないと考えていた)『安全神話』復活を許さない姿勢を貫くことをできたと思うが、緩んだら神話は復活する。将来もずっと注意が必要だ」と述べた。
 更田氏は同日に任期満了になるが、当面の間は職務を継続する。後任の山中伸介委員は皇居での認証式を経て次期委員長に就任するが、認証式の日程が決まらないため。
 更田氏は規制委の発足当初から委員と委員長を務めた10年間を振り返り「常に悲観的に、何かに気付いていないのでは、と自分に言い聞かせているからこそ次の事故は防げる」と強調した。