福島市で避難生活を続ける窪田和男さん(70)と、たい子さん(66)夫婦は、和男さんの母ツヤさん(95)と一緒に住んでいます。浪江町の羽附にある自宅は、近くの田畑には高さ3mにもなる木が茂り、葉タバコのビニールハウスは骨組みだけになり、家もイノシシなど動物に荒らされているため、片付けるのを諦めました。
「ずっと仲が良かった」家族でしたが避難後にばらばらになり、朝早くから畑仕事などをしていたツヤさんは家にこもることが多くなり、認知症になりました。
たい子さんは以前の平和な家族に戻りたいと、自宅周辺の除染との自宅の解体をしてもらい、更地にして家を建て直し、ツヤさんと一緒に3人で戻りたいと考えています。
「一度でも除染されたら頑張ろうと思えるのに…。なぜ他の区域は全域除染をしてから帰すのに、一番線量が高い帰還困難区域は帰ると決めないと除染をしてくれないのか」と、除染が進む地域を見るとはらわたが煮えくり返る思いをしているということです。
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福島第一原発事故から11年
全域除染から後退に住民怒り「汚したら、きれいにして返すのが当然じゃないか」
東京新聞 2022年2月19日
東京電力福島第一原発事故から間もなく11年となる。帰還困難区域内に家を残す多くの人たちは、いまだ将来を見通せぬままだ。政府は昨年、避難指示解除が見通せなかった区域について、帰還を希望する人の自宅周辺に限り除染する新方針を示した。これまでの「全域除染」から後退した姿勢に、住民らは「帰ると決めないと除染をしてくれないのか」と怒りを隠さない。(片山夏子)
帰還困難区域の避難指示解除 政府は2021年8月、福島県7市町村に残る帰還困難区域について、戻って暮らしたい人の求めに応じて29年までに自宅や道路などを除染して部分的に避難指示を解除する方針を決めた。24年度から除染を始める計画だ。帰還を望まない人の家や土地の扱いは未定。区域内で優先的に除染を進めた「特定復興再生拠点区域」は、帰還困難区域の約8%にとどまる。 |
「家の周りも畑も手がつけられないほど樹木がはびこっている…」。福島市で避難生活を続ける窪田和男さん(70)と、たい子さん(66)夫婦は、福島県浪江町の帰還困難区域内にある自宅に帰るたびため息をつく。
原発から北西へ約30キロ、浪江町津島の羽附はつけ地区に家はある。田畑は高さ3メートルにもなる木が茂る。「カヤも鎌じゃもう刈れない」と和男さん。葉タバコのビニールハウスは骨組みだけになり、太い枝が下から突き上げる。家もイノシシなど動物に荒らされ、片付けるのを諦めた。
それでも、たい子さんは羽附に帰るとほっとする。「自然に囲まれ、四季を感じる。家の脇の小川にはワサビが生え、サンショウウオがすんでいた。一日も早くここさ帰りたい」
周辺の除染と家の解体をしてもらい、更地にして家を建て直し、和男さんの母ツヤさん(95)と一緒に3人で戻りたいと考えている。
「羽附で暮らせたら家族はずっと仲が良かったのに」と、たい子さんはこぼす。原発事故前はどこに行くのも一緒だった家族は、避難後にばらばらになった。
朝早くから畑仕事や好きな花の手入れをしていたツヤさんは家にこもることが多くなり、認知症になった。家族はギスギスしてけんかが増えた。地域のつながりを失い、たい子さんは介護を相談できる人もなく、円形脱毛症になり、通院を続けた。
同じ町の津島には、先行して除染が進む「特定復興再生拠点区域(復興拠点)」があり、面積は津島全体の1・6%。一方、復興拠点の西側にある羽附は空間放射線量が比較的低いものの幹線道路沿い以外は除染されていない。
たい子さんは浪江町内で何度も除染された所を見ると、はらわたが煮えくり返る思いがする。
「一度でも除染されたら頑張ろうと思えるのに…。なぜ他の区域は全域除染をしてから帰すのに、一番線量が高い帰還困難区域は、帰ると決めないと除染をしてくれないのか」
長男は「子育てが終わったら羽附で畑をやりたい」と話しているという。だが、帰還希望者の生活圏に限る除染は「まだら」になり、汚染された場所が多く残る懸念が強い。
だからこそ、和男さんは憤る。「やっぱりここさ帰りたい。親が開拓して受け継いだ土地。次の世代に残してやりたい。汚したら、きれいにして返すのが当然じゃないか」
11年の月日は長い。「帰りたい。羽附になんじょしても帰って死ぬ」と言っていたツヤさんが、「もう諦めた。駄目だ駄目」と話すようになった。
たい子さんは祈るように言った。「私たちもいつまで体が動くか。一日も早く除染してほしい」