櫻井ジャーナルが「9年経っても原発事故は収束せず、放射能汚染は続き ~ 」とする記事を出しました。
記事は、福島第1原発の事故に関する正確な情報は未だに伝えられていないとして、そもそも福島原発からの放射性物質の拡散量は公称の100倍レベルという指摘があることや、炉心の燃料棒等の破片が敷地内だけでなく広く周辺に散布されたという、公にされていない事柄に触れています。
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9年経っても原発事故は収束せず、放射能汚染は続き、犠牲者は増える
櫻井ジャーナル 2020.03.12
東京電力福島第1原発が福島県沖を震源とする巨大地震に見舞われたのは今から9年前、2011年3月11日のことだった。その地震によって発電所が破壊されて炉心が溶融、放射能を環境中へまき散らすことになった。現在でも内部の詳しい状況は不明で、事故が終結したとは到底言えない。
本ブログでは繰り返し書いてきたが、イギリスのタイムズ紙はこの原発を廃炉するまでに必要な時間を200年だと推定していたが、数百年はかかるだろうと考えるのが常識的な見方だ。廃炉作業が終了したとしても、その後10万年にわたって放射性廃棄物を保管する必要があると言われている。
新型コロナウィルスの問題でもそうだが、福島第1原発の事故に関する正確な情報は未だに伝えられていない。公表されている情報を信用しても、事故の規模はチェルノブイリ原発事故を大きく上回っている。
事故に伴って環境中に放出された放射性物質の放出総量はチェルノブイリ原発事故の1割程度、後に約17%に相当すると発表されているが、その算出方法に問題があると指摘されている。計算の前提では、圧力抑制室(トーラス)の水で99%の放射性物質が除去されることになっているが、今回は水が沸騰していたはずで、放射性物質の除去は困難。トーラスへの爆発的な噴出で除去できないとする指摘もある。そもそも格納容器も破壊されていた。つまり、99%の放射性物質は環境中へ放出されたと見なければならない。
原発の元技術者であるアーニー・ガンダーセンは少なくともチェルノブイリ原発事故で漏洩した量の2~5倍の放射性物質を福島第一原発は放出したと推測している(アーニー・ガンダーセン著『福島第一原発』集英社新書)が、10倍程度だと考えても非常識とは言えない。
事故の翌日、2011年3月12日には1号機で爆発があり、14日には3号機も爆発、15日には2号機で「異音」がり、4号機の建屋で大きな爆発音があったとされている。その後、建屋の外で燃料棒の破片が見つかるのだが、この破片についてアメリカのNRC(原子力規制委員会)新炉局のゲイリー・ホラハン副局長は2011年7月28日に開かれた会合でこの件について語っている。発見された破片は炉心にあった燃料棒のものだと推測するというのだ。マンチェスター大学や九州大学の科学者を含むチームは原子炉内から放出された粒子の中からウラニウムや他の放射性物質を検出している。
医療法人の徳洲会を創設した徳田虎雄の息子で衆議院議員だった徳田毅は事故の翌月、2011年4月17日に自身の「オフィシャルブログ」(現在は削除されている)で次のように書いていた:
「3月12日の1度目の水素爆発の際、2km離れた双葉町まで破片や小石が飛んできたという。そしてその爆発直後、原発の周辺から病院へ逃れてきた人々の放射線量を調べたところ、十数人の人が10万cpmを超えガイガーカウンターが振り切れていたという。それは衣服や乗用車に付着した放射性物質により二次被曝するほどの高い数値だ。」
事故の直後に相当数の人が放射性物質が原因で死んでいる可能性が高いが、事故当時、双葉町の町長だった井戸川克隆によると、心臓発作で死んだ多くの人を彼は知っているという。セシウムは筋肉に集まるようだが、心臓は筋肉の塊。福島には急死する人が沢山いて、その中には若い人も含まれているとも主張、東電の従業員も死んでいるとしている。
被害状況を知るためには住民の健康調査は重要だが、国の機関も県の機関も調査には消極的。隠蔽工作には医師も協力していると伝えられている。秘密保護法が情報を隠すために利用されていることだろう。
今でも福島第一原発の残骸は太平洋を放射能で汚染しつづけていると思われるが、昨年12月23日に安倍晋三政権は同原発が生み出す放射性物質トリチウム(三重水素)を含む汚染水に関する報告書案を公表。保管できる敷地が2022年末には限界達することから、薄めて海に放出するか、蒸発させて大気へ放出するか、ふたつを併用するかの3案を示したというが、希釈は「安全」や「科学」と同じように、水俣病の時にも使われた戯言だ。放射性物質の総量は同じ。原発事故が収束する見通しは立っていない。