岸田首相はコロナ感染後の8月下旬、原発再稼働を進め、新設(建て替え)も進めるなど、原発についての政策も大転換しました。その背後に嶋田隆・主席首相秘書官がいたことは知られていましたが、もう一人、経産省出身の荒井勝喜首相秘書官もいるということです。
とは言っても世の大勢は決して原発新設は勿論、再稼働を進める雰囲気ではなかった筈です。それを燃料高騰や冬の電力不足が懸念されることが追い風になったとはいえ、あんな風に簡単に経産省の原子力ムラの軍門に下ったのは、「歴代政権が手を出せなかった『原発回帰』を断行した首相という政治的遺産=レガシーを得られる」と、彼らに吹き込まれた可能性があるということです。信念を持たないといわれている岸田氏なら大いにあり得ることです。
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「岸田政権のレガシーになる」変心の背景に2人の官邸官僚
西日本新聞 2022/12/26
原発の建て替えや新増設を容認し、2011年の東京電力福島第1原発事故後の原発政策を大転換した岸田文雄首相だが、元々は現状維持を前提に考えていた。変心の背景には、原発推進をいわば使命とする2人の官邸官僚の存在が浮かび上がる。電力不足や電気料金の高騰といった外的要因も重なり、原発回帰へと軸足を移していった首相。わずか4カ月の検討期間での大転換を疑問視する声は、達成感に浸る官邸内でかき消されつつある。
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「安全性と地域の理解の確保を大前提に、建て替えを具体化するなどの歩みを進めていく」。23日午前、東京都内で開かれた講演会で首相はこう強調した。
福島第1原発事故後、原発政策は“脱原発依存”が基軸だった。安倍晋三、菅義偉両政権下でも既存原発の再稼働こそ進めはしたものの、世論の反発を恐れて建て替えや新増設までは打ち出せなかった。官邸筋によると、首相も当初は「いつかやれればいいよな」と周囲に語る程度で、原発政策に強い思い入れはなかったという。
そんな首相の重心を徐々に原発重視に傾けていったのが2人の官邸官僚。嶋田隆首相秘書官と荒井勝喜首相秘書官だ。元経済産業省事務次官で政務を担当する筆頭秘書官の嶋田氏は、原発事故後に東京電力取締役に出向した経験があり、同じ経産省出身の荒井氏も原発推進派として知られる。
今回の原発政策転換を盛り込んだ脱炭素化の基本方針も官邸主導で作成した。「原発回帰は歴代政権が手を出せなかった分野。岸田政権のレガシー(政治的遺産)になる」-。いつしか官邸内には共通認識が生まれていた。
くしくもこの頃、ロシアのウクライナ侵攻に伴い、日本を含む国際社会がエネルギー危機に直面。寒気が強まった3月には、経産省が東京電力管内に電力需給逼迫(ひっぱく)警報を初めて発令する事態に陥った。夏場の6月にも首都圏で電力不足が表面化し、「安定電源としての原発の重要性が広く再認識された」(政府高官)。
経産省では元来、50年までに温室効果ガス排出量を実質ゼロにする政府目標を達成するには、「原発活用が不可欠」との認識が強かった。脱炭素戦略の枠組みの中で原発政策を議論することは、建て替えや新増設への批判を極力避けたい首相の思惑とも合致した。
広く社会の理解を得る姿勢も見せず、拙速に原発回帰への道筋を付けた岸田政権。官邸幹部はこう話す。「原発政策はこの10年で大きく遅れた。今回の見直しで、一から仕切り直す」 (岩谷瞬)