2022年12月2日金曜日

喉元過ぎればアッケラカン 姑息な原発延長を許す国民も問題だ

 経産省は28日、総合資源エネルギー調査会(経産相の諮問機関)の原子力小委員会で、今後の原子力政策の方向性を示す「行動計画案」を公表しましたこれには既存の原発が60年を超えて運転できるよう制度を変更するほか、「新たな安全メカニズムを組み込んだ次世代革新炉の開発・建設を進めていく」「廃止決定した炉の建て替えを対象とする」との方針が盛り込まれた。

 これについては直近のブログでも紹介していますが、原子力小委員会のメンバーである長崎大学教授の鈴木達治郎委員は、「明らかに『原子力回帰』で、2050年までは原発を間違いなく使い続けるという宣言だ。長期的に見てすべて必要なことかというと説明ができていないと思う。なぜいま維持、拡大するのか説明が必要だ(要旨)」と指摘しています。
  (11月29日)原発の最大限活用へ経産省が行動計画案 政府方針明確に転換

 また、辛坊治郎氏は29日のニッポン放送「辛坊治郎 ズーム そこまで言うか!」で、「現実味のない話が暴走している岸田政権が1基の出力が30万キロワット規模と現行の100万キロワットの標準型より小さいものを考えていることについては、それでは従来の3倍以上の基数が必要になるので、現在の国内環境を見渡せばまず無理である。そして安全対策のコストを考えても原発は圧倒的に経済的に見合わないので、トータルのコストで安い再生エネ(自然エネ)の方に切り替えるべきであり、岸田政権のやり方は同政権がなぜ駄目かを端的に象徴している」と全否定しています
  (11月30日)政府が原子力政策大転換 「現実味のない話が暴走」と辛坊治郎氏が批判
 
 今回の日刊ゲンダイの記事も基本的には同様の趣旨ですが、それに加えて、政府にそれを許している国民の側にも責任があるのではないかと指摘しています。
 敢えて紹介させていただきます。
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喉元過ぎればアッケラカン 姑息な原発延長を許す国民も問題だ
                      日刊ゲンダイ 2022年11月30日
                       (記事集約サイト「阿修羅」より転載)
 国民が望む政策には腰が重いが、世論の反対が強い政策を決めるのはやたらと早い。第2次安倍政権以降、嫌というほど見せつけられてきたとはいえ、今度ばかりは正気の沙汰とは思えない。ウクライナ危機に乗じて岸田政権が原発政策の大転換を企んでいることだ。
 経産省は28日、総合資源エネルギー調査会(経産相の諮問機関)の原子力小委員会で、今後の原子力政策の方向性を示す「行動計画案」を公表。既存の原発が60年を超えて運転できるよう制度を変更するほか、「新たな安全メカニズムを組み込んだ次世代革新炉の開発・建設を進めていく」「廃止決定した炉の建て替えを対象とする」との方針が盛り込まれた。
 2011年の東電福島第1原発事故後に改正された原子炉等規制法では、原発の運転期間は原則40年、原子力規制委員会の認可で1回に限り最長20年延長できることが決まった。
 ところが今回、経産省は「最長60年」では稼働できる原発が減ることや、電力の安定供給や岸田政権が掲げる脱炭素化には既存原発の最大限の活用が必要──などとして、安全審査や運転差し止め命令などで停止していた期間を運転期間のカウントから除外することで、事実上「60年超」運転を可能とする仕組みを整備する方針を打ち出したのだ。
 年内に「GX(グリーントランスフォーメーション)実行会議」(議長・岸田首相)で行動計画を決定し、政府は来年の通常国会に電気事業法改正案を提出するという。

40年制限は安全性を確保するために必要な制度
 計画案では、次世代型原発の建設に伴う初期投資を電力会社が着実に回収できる制度や、使用済み核燃料から取り出したプルトニウムを原発燃料として再利用する「プルサーマル発電」を推進するため、立地自治体向けの交付金を新設する方針も打ち出されたのだが、まるで時計の針が事故前に逆戻りしているかのような原発回帰の策ばかり。11年前に起きた福島原発事故という大惨事を忘れたかのようだ。
 大体、原子炉等規制法で原発の運転期間が原則40年と決まったのは理由がある。2012年6月の衆院環境委で、当時の細野環境大臣(現自民党)は運転期間を40年とした理由について、「作動するそれぞれの機器の耐用年数というものも考慮にした中で40年というところの数字を導き出した」と答弁。
 さらに、同年8月の衆院議院運営委では、参考人として答弁した、後の初代原子力規制委員会委員長、田中俊一氏が「40年運転制限制は、古い原子力発電所の安全性を確保するために必要な制度」「40年を超えた原発は、厳格にチェックし、要件を満たさなければ運転させないという姿勢で臨むべき」と説明していた。
 それなのに今回、これまでの国会審議を反故にするかのような方針転換が許されるはずがないだろう。国際環境NGO「FoE Japan」の満田夏花・事務局長がこう言う。
「(経年劣化などの)原発のリスクは11年前と変わっていません。にもかかわらず、原子力規制委は運転期間の上限を『規制ではなく利用政策』などと言って経産省任せにしたのです。おそらく、次は運転期間の上限規定の削除を電気事業法に盛り込むつもりでしょう。国民の安全を犠牲にする行為であり、撤回を求めたいと考えています」

福島事故を振り返り、再稼働や運転延長の是非を問い直すべき
 原発は停止期間中でも原子炉や配管、ケーブルなどの経年劣化は進む。実際、東電柏崎刈羽原発(新潟県)で10月末、再稼働を目指す7号機のタービン設備の配管に直径6センチの穴が開いていることが判明。
 配管内部に傷がつき、腐食が進んで損傷していたというのだが、原発ではどんな小さな損傷も大事故につながる可能性があり、いったん事故が起きれば制御不能になりかねない。だからこそ、福島原発の事故を踏まえて運転期間の厳格化を決めたのではないのか。
 福島原発事故後に厳格化された新規制基準の下で再稼働した原発は10基にとどまり、残り17基は停止期間が長期化。安全対策費も膨らみ、柏崎刈羽原発では1兆円を超えたという。
 経産省は、再稼働後も残余の運転期間が短いと、各電力会社が費やした巨額投資の費用対効果がうしなわれると判断したらしいが、冗談ではない。
 そもそも政府や電力会社は再稼働の前にやることがあるだろう。福島原発ではいまだにメルトダウンしたデブリが残り、手付かず状態のまま。たまり続けている汚染水についても、東電は地元の漁協などとの約束を無視する形で強引に海洋放出を進めようとしているのだ。
 まずは全力で福島原発の廃炉作業に取り組むべきなのに、ウクライナ危機や燃料高、脱炭素社会──などとさまざまな理屈をこねくり上げ、原発回帰を推し進めようとしているのだから言語道断ではないか。

事故が起きればコスト負担が計り知れない
 過去に積み重ねてきた国会審議や政府答弁を反故にし、閣議決定という名のもとにやりたい放題。「国民の声を聞く」とか言っていた岸田も結局、安倍・菅政権と同じで、自分たちと電力会社の都合で勝手にルールを変える暴挙に出ていると言っていい。
 そして、そんな姑息な手段に出ている岸田政権の姿勢を黙認している国民も国民だろう。原発を再稼働しないと電気代が上がり続ける、などと説明されると「はい分かりました」と何も考えず受け入れてしまう。
 だが、果たしてそうなのか。福島原発事故から学んだように、原発はいったん事故が起きれば、国民生活に与える影響や賠償額は将来にわたって増大する上、捨て場のない核のゴミ処理費用や廃炉費なども含めれば、火力コストなどとは比べものにならないほど高いだろう
 だからこそ、事故後、太陽光や水力、風力、地熱……など自然エネルギーの開発に力を入れるべき──といった声が高まったのではないか。
 本来であれば政府や電力会社は原発再稼働や運転期間延長に力を入れるのではなく、福島原発事故をきっかけとして新たな電源開発を進めるべきだったのだ。それなのに積極的に取り組むこともなく、「ウクライナ危機だから」「円安だから」と責任転嫁して国民に負担をツケ回し。
 挙げ句、やっぱり原発しかないよ──とあおっているわけで、まともな感覚を持った国民であれば「ふざけるな」と怒って当然。何でも政府や電力会社の言いなり。喉元過ぎれば何とやら。アッケラカンとしているのだから唖然呆然としか言いようがない
 こんな思考停止の状態では、この国の国民は恐らく、もう一度、戦争の苦しみを味わうだろう。原発問題の取材を長く続けているジャーナリストの横田一氏がこう言う。
エネルギー高の一因はアベノミクスの失敗によるところも大きいのに、それを原発再稼働の運動にすり替えられ国民が信じてしまっている。福島原発事故の教訓は、原発は事故が起きたら取り返しがつかなくなること。国民の生命、財産が脅かされるのです。国民は今こそ、事故を振り返り、再稼働や運転期間延長について冷静に考えるべきです」
 福島原発の影響で今も故郷に帰れない住民がいる現実を忘れてはならない。