2022年12月30日金曜日

30- 原発事故以来の卯年へ 戻らぬ時を思う年の瀬(毎日新聞)

  新年の2023年で福島原発事故後「えとは一巡します。

 年末を迎え2人の男性のそれぞれの胸に去来するものは  毎日新聞が取材しました。
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原発事故以来の卯年へ 戻らぬ時思う年の瀬
                            毎日新聞 2022/12/27
 2022年が暮れようとしている。東京電力福島第1原発事故に伴う帰還困難区域が広がる福島県には、12年ぶりに年越しを住み慣れた場所で過ごす人もいれば、長く暮らした古里の自宅への帰還を許されない人もいる。東日本大震災が起きた11年から、23年で えと は一巡する。それぞれの胸に去来するものは――。

 27日の昼下がり。福島第1原発から約4キロ離れた双葉町の町営住宅の縁側で、男性(63)が一人、日なたぼっこをしながらコーヒーを飲んでいた。「暖かいからいいね」。日課の散歩を終えたばかりという。
 双葉町では、帰還困難区域のうち優先的に除染が進められた特定復興再生拠点区域(復興拠点)で、8月末に避難指示が解除された。それまでは唯一、全町民の避難が続いていた。10月に町営住宅への入居が始まると、男性は「町のにぎわいの先頭に立ちたい」と、慣れ親しんだ町に戻った。
 県内で生まれ育ち、過ごしてきた。生まれは内陸の三春町。地元の高校を卒業後、東電の下請け会社に勤務し、原発で電気系統の品質管理などに携わった。「冬は寒すぎず、夏は暑すぎない」という双葉町が気に入り、40歳のころに第二の古里として移り住んだ

 東日本大震災は福島第1原発の構内で遭遇した。部下の無事を確かめて帰宅し、近くの小学校に避難した。「原子炉は緊急停止したと聞いていたので一安心だった」。避難の準備をしていた震災の翌日に爆発音が聞こえたが、翌日にテレビニュースを見るまで、原発の水素爆発の音だとは思いもよらなかった。ぞっとして、極寒の中で近くの沢に入り、体を洗い流した
 12年の年明けから、いわき市のみなし仮設住宅に移って福島第1原発の廃炉作業に従事した。「二度と爆発させてはいけない。与えられた仕事をやろう」と腹をくくった。「双葉は終わった」と一時は考えた。だからこそ、帰れるようになったら真っ先に駆けつけよう、と決めていた。

 第二の古里で迎える12年ぶりの正月は、町内の産業交流センターから初日の出を見るつもりだ。山あいの地域で避難指示が解除されたら、いずれはマウンテンバイクで走りたいと思っている。「誰かが先行して帰らないと、後に続く若者も来ない。町を訪れた人が町内でご飯を食べてお土産を買って……。早くそんなふうになるといいね」

 一方で、福島県内には原発事故を契機に古里を離れ、かつての我が家で新年を迎えられない人がいまも大勢いる。元高校教諭の松本佳充さん(68)もその一人だ。
 福島第1原発から約7キロ離れた浪江町酒井の自宅は帰還困難区域にあり、いまなお居住は許されていない。12月中旬。松本さんの一時帰宅に同行すると、額縁に入った色紙が居間の壁に飾られていた。「2011年 卯年(うどし) 開運招福」と記されている。卯は来年の えと だが、原発事故が起こった11年のえとでもあった。「正月はいつも参拝に行ってたんだけど……」。色紙は親戚が宮司だった隣町の神社で授かったという。
 酒井地区は山と川、田んぼに囲まれた自然豊かな地域。原発事故で放射性物質が降り注いで帰還困難区域となり、バリケードで立ち入りを制限されている。松本さんの自宅は原発事故から6年ほどたったころ、野生動物に母屋のドアを破られた。室内に家財道具が泥やふんにまみれて散乱している
 部屋のカレンダーは11年3月のまま。時計は東日本大震災が発生した午後2時46分を過ぎて数分の状態で止まっている。この日の一時帰宅も、松本さんは土足で部屋に上がり込んだ。

 震災が発生した当時、松本さんは勤務先の県立双葉高校にあるテニスコートで部活動の指導をしていた。直後の避難命令で生徒たちは各地に散り散りになり、松本さんも家族と避難した。ともに避難した母は20年、浪江町に戻れぬまま95歳で他界した
 松本さんは、もしも原発事故が起こっていなかったら、古里で定年退職し、アユ釣りや孫の世話を楽しんでいただろうと思う。だが、えとは一回りして元に戻っても、時計の針は元には戻せない。「人生がゆがめられ、埋められない穴がぽっかり開いたような気持ちになる」。年末は県内の避難先、郡山市に構えた家で妻と過ごすという。
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 双葉町、浪江町など7市町村に広がる帰還困難区域は、東京23区の半分ほどの面積(約337平方キロ)に、震災発生当時で約2万4000人が暮らしていた。優先的に除染が進められた復興拠点は全体の8%にとどまる。政府は残された帰還困難区域について、政府のアンケート調査に「帰還意向あり」と回答した住民の自宅や生活道路に限って除染し、避難指示を解除する計画を29年まで進める。帰還の意向を表明しなかった住民の家は、除染の時期が決まっていない。【柿沼秀行、尾崎修二】