福島第一原発事故から10年となる3月11日以降、被災者が東電に損害賠償を求める際には、「時効」という壁が立ちはだかります。東電は時効を過ぎてもすぐには賠償請求を断らないとしていますが現状でも賠償に応じないケースが相次ぎ、弁護士や被災者からは「救済の道が断たれかねない」と不安の声が上がっています。
東電は2014年に3つの誓いを提示し、「最後の1人が新しい生活を迎えることができるまで、被害者に寄り添い賠償を貫徹する」としていますが、福島県弁護士会の槙裕康会長は「時効を主張しないという東電の方針は信用できない」「東電は自らの誓いを簡単に破り、ADRを機能させていない」と批判しています。
現実に日弁連が昨年3月、特例法を改正して時効を10年延長するよう求める意見書を公表しましたが、政府や国会に法改正へ向けた具体的な動きはありません。
南相馬市の任期付き職員として年間500~600件の賠償相談に当たってきた小林素弁護士は、「救済を狭めないためにも、法改正をして今後も賠償を義務づけるべきだ」と述べています。
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原発事故の賠償請求権に「時効」の壁 弁護士「東電の方針信用できない」
東京新聞 2021年3月12日
東京電力福島第一原発事故から10年となる3月11日以降、被災者が東電に損害賠償を求める際には、法律で定められた「時効」という壁が立ちはだかる。東電は時効を過ぎてもすぐには賠償請求を断らないとしているが、現状でも賠償に応じないケースが相次ぐ。賠償交渉を経験した弁護士や被災者からは「救済の道が断たれかねない」と不安の声が上がる。(小野沢健太)
◆損害の起点は事故の日か
原発事故の賠償を定めた特例法は「損害を知った時から10年」で時効により請求権が失われると規定している。この損害の起点は、原発事故が起きた日なのだろうか。
賠償制度を担当する文部科学省原子力損害賠償対策室の担当者は「被災者が置かれている状況は個別に違うので、事故10年で一律に時効を迎えるわけではない。時効が成立するかは、個別に裁判などで判断されることになる」と話す。
避難による精神的損害については「損害が日々発生しているので、避難が続く間は起算点が毎日更新されていくという考え方もあり得る」と付け加えた。
民法は、時効で権利が消滅するには、利益を受ける側が時効成立を主張する必要があると定めている。東電が時効の成立を主張しなければ、損害発生から10年後の賠償請求でも賠償を受けられる可能性がある。
◆東電、時効後も「柔軟に対応」と主張
東電によると、賠償請求していない被災者は765人(昨年末時点)。集計は避難指示区域の住民に限っており、区域外の住民を含めるとさらに多い。時効後も「一律に請求を断ることはなく、柔軟に対応する」と広報担当者。少なくとも、被災者を門前払いすることはなさそうだ。
東電は2014年、賠償の姿勢として3つの誓いを提示。「最後の1人が新しい生活を迎えることができるまで、被害者に寄り添い賠償を貫徹する」とした。
誓いを文字通り受け取れば、東電が今後、時効成立を主張しないように見える。だが、福島県弁護士会の槙裕康会長は「時効を主張しないという東電の方針は信用できない」と不信感をあらわにする。
被災者が賠償請求する方法は、①東電への直接請求 ②国の原子力損害賠償紛争解決センターが仲介して和解案を示し、裁判よりも短期間で進む裁判外紛争解決手続き(ADR) ③裁判の3つがある。
センターによると、ADRでは、約2万6000件の申し立てのうち8割で和解が成立。ただ、東電は一般住民からの申し立て55件で和解案を拒否し、18年以降は手続きの打ち切りが続いている。槙会長は「東電は自らの誓いを簡単に破り、ADRを機能させていない」と批判する。
◆時効延長に法改正の動きなく
日本弁護士連合会は昨年3月、特例法を改正して時効を10年延長するよう求める意見書を公表。しかし、政府や国会に法改正へ向けた具体的な動きはない。福島県南相馬市の任期付き職員として年間500~600件の賠償相談に当たってきた小林素弁護士は訴える。
「10年たってようやく生活が落ち着き、賠償請求を考えられるようになった被災者もたくさんいる。救済を狭めないためにも、法改正をして今後も賠償を義務づけるべきだ」
「被災者の苦しみに向き合おうとしない」 東電に和解案を拒否された伊藤さん
東京新聞 2021年3月12日
「どうして加害者の東電が守られるのか」。裁判外紛争解決手続き(ADR)で東京電力に和解案を拒否された伊藤一郎さん(73)=福島県相馬市玉野=は、5年以上かかった手続きが打ち切られ、賠償を求める気力を失った。事故当事者に賠償判断が委ねられている現状に、怒りを隠さない。
福島第一原発から約50キロ離れた山あいの相馬市玉野地区は、政府の避難指示区域にならなかったが、子育て世代を中心に県内外への避難が相次いだ。
過疎化が一気に進み、4年前に地区の小中学校はいずれも閉校した。事故前に450人ほどいた住民は、今では320人ほどに減った。市の調査で食品基準を超える放射性物質が見つかり、住民の楽しみだったキノコや山菜も食べられなくなった。
伊藤さんら地区の区長が中心となり、全世帯419人が2014年、集団でADRを申し立てた。紛争解決センターは、精神的苦痛への賠償として、国の指針を超える1人最大20万円を賠償する和解案を示したが、東電は拒否した。
◆東電側、同じ質問繰り返す
四十数回に及んだ交渉では、東電側は「共通の被害は何か」「大人と子どもで被害にどんな違いがあるのか」など同じ質問を繰り返した。伊藤さんは「こちらの回答に聞く耳を持たず、ずっと同じことの繰り返し。時間稼ぎをして、あきらめるのを待っているような感じだった」と振り返る。
「これ以上やっても無駄だ」。19年12月、手続きが打ち切られた。訴訟に踏み切る選択肢もあったが、「すぐに終わると言われたADRで5年もかかった。もう裁判をする元気はないよ」と断念した。
◆「10年たっても救われない」
「加害者なのに反省もなく、被災者の苦しみに向き合おうともしない。賠償金を払いたくない姿勢がはっきり見える。そんな東電を国が許すから、時効も延びないんでしょう。10年たっても被災者は救われない」(小野沢健太)