東電福島原発の吉田昌郎所長らの奮闘を描く映画『Fukushima50』が、福島原発事故から10年目の今年、地上波ではじめて放送されています。
原作者はジャーナリスト・門田隆将氏で、2012年発刊の『死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発』(角川文庫)がもとになっています。
映画は、吉田所長をはじめとする東電の現場社員たちの決死の努力によって原発事故が収束、日本は救われたという感動のストーリーなのですが、公開された当初から、原発の危険性やそれを放置してきた東京電力の責任をスルーしたまま、吉田所長ら東電社員が死ぬ覚悟で作業に当たったことをクローズアップし、原発事故をただの美談に矮小化させてしまっているなどの、疑問の声が多数上がっていました。
もう一つの問題は、当時の菅直人首相が原作のニュアンスを超えて悪役に仕立てられていることです。
それでは事実はどうであったのか、LITERAがこの機会に再度取り上げました。
吉田所長らの行動は確かに献身的でしたが、東電の上層部は実は途中の段階で現場からの総撤退を決めたのでした。もしそうなれば1~3号機の燃料プール内の核燃料までが全て爆発溶融することになり、東日本が壊滅したかも知れません。
東電上層部の意向を知った菅直人首相は直ちに東電本社に自ら乗り込んで、現地の所員たちに決死で原子炉の爆発を防ぐ作業をさせるように翻意させました。菅直人氏の信念と気迫がそうさせたと言えます。
義憤に駆られて書かれたと思われるLITERAの長文(11,000字余り)の記事を紹介します。
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地上波初放送 映画『Fukushima50』の事実歪曲とミスリード 門田隆将の原作よりひどい事故責任スリカエ、東電批判の甘さの理由
(LITERA 2021.3.12)
東日本大震災とそれに続く福島第一原発事故から10年目の今年、当時の吉田昌郎所長ら原発所員の奮闘を描く映画『Fukushima50』が、地上波ではじめて放送されている。
原作者は、トランプ信者に丸乗りして「大統領選挙は組織的な不正」とするフェイク情報を熱心に拡散したことで知られるジャーナリスト・門田隆将氏。映画は門田氏が2012年に上梓したノンフィクション『死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発』(角川文庫、単行本はPHP研究所)をもとに、吉田所長をはじめとする東電の現場社員たちの決死の努力によって原発事故が収束、日本は救われた──という感動ストーリーが描かれている。
しかし、この映画には公開当時から疑問の声が多数上がってきた。ひとつは、原発の危険性やそれを放置してきた東京電力の責任をスルーしたまま、吉田所長ら東電社員が死ぬ覚悟で作業に当たったことをクローズアップし、原発事故をただの美談に矮小化させてしまっていたことだ。
たとえば、コピーライターの糸井重里氏が美談化に丸乗り、こんなツイートをし物議を醸した。
〈戦争映画や、時代劇だと「いのちを捧げて」やらねばならないことがでてくる。いまの時代は「いのち」は無条件に守られるべきものとされるから、「いのちを捧げる覚悟」は描きにくい。映画『Fukushima50』は、事実としてそういう場面があったので、それを描いている。約2時間ぼくは泣きっぱなしだった。〉
これに対して、〈「いのちを捧げる」のが美しいわけあるか、このスットコドッコイ!〉〈「命を捧げるべき大儀など無い」ことを学ばなかったら、過ちは繰り返されます〉〈ネトウヨ原作のプロパガンダ映画の感想でプロパガンダする、有名コピーライターの危険性を再認識した〉といった批判の声が続出。
映画評論家の町山智浩氏も〈糸井重里さんが原発を守るために命を捧げた映画を絶賛して泣いている。糸井さんは、忌野清志郎ボスが原発や戦争を恐れた歌を「くだらない」と批判した人だ。原発を恐れるのはくだらなくて、命を捧げるのは素晴らしいのか。〉と鋭い指摘をツイート。批判は糸井氏から、映画の姿勢に対するものに広がっていった。
さらにもうひとつ、この映画ではデマの既成事実化、ミスリードも大きな問題になった。映画では、当時の首相である菅直人(映画では別名)が徹底して悪者に描かれているが、すでに否定されていることを事実のように描写しているのだ。
映画『Fukushima50』が描かなかった東京電力が“1号機爆発”を官邸に隠した事実
なかでも、映画『Fukushima50』の最大のデマが、「菅首相が事故現場の原発に直接乗り込んできたことでベントが遅れ、被害が拡大した」というストーリーだ。
これは、自民党やその後の安倍政権と応援団によってさんざん垂れ流された話だが、実は、事故調査委員会の報告書で完全に否定されている。まず「ベントを待て」という指示は官邸とは無関係に東電本店が勝手にやったものあること、そもそもベントの遅れ自体が、菅の視察とは関係なく手動の準備に時間がかかったためだったことが判明しているのだ。
しかも、この映画では、菅が直接、福島第一原発に乗り込む原因になった、東電本店の問題について一切触れていない。当時、菅は東電本店にベントが遅れている理由を訊いたが、東電はまったく答えられなかった。こうした東電の姿勢に不信感を持ち、菅は周囲の反対を押し切って現地入りを決めたのである。
また、3月12日午後に1号機が爆発したことは、東電側はもちろん把握していたが、官邸に報告しなかった。爆発音があったという情報を受けて、官邸は東電から派遣されていた武黒一郎フェローに事実を確認したものの、武黒フェローは「そんな話は聞いていない」と否定した。結局、官邸が爆発を把握したのは、日本テレビが流した映像を観たときだった。
ところが、映画ではこうした東電の酷い実態についてはまったく触れず、菅がまるでパフォーマンスのために現地入りして、ベントを遅れさせたかのように描かれているのだ。
もちろん、菅直人に問題がなかったわけではない。“イラ菅”と呼ばれる性格丸出しに側近や東京電力幹部、官僚らを怒鳴りあげ、自由な発言を封じ込める行動は、民間事故調査の報告書でも「関係者を萎縮させるなど心理的抑制効果という負の面があった」という言葉で批判されている。
しかし、原発の危険性や東電の責任をことごとくネグる一方で、当時の首相を徹底的に悪者に描くことで、その責任の大半を菅直人に押し付ける映画『Fukushima50』の描き方は、ある種の政治的な意図をもった誘導、ミスリードとしか思えない。
こうした指摘をしていると、「あんなトランプデマを平気で垂れ流す門田氏の原作だから当然そういうことになるだろう」と考える人がいるかもしれないが、実は当時の門田氏の政治的スタンスはいまほど露骨ではなく、この『死の淵を見た男』も、菅直人を批判しながらもきちんと取材をし、映画のようなデマを一方的には書いていない。
むしろ、デマの既成事実化、ミスリードという意味では、映画『Fukushima50』のほうがはるかに悪質なのだ。
安倍政権による事故責任の民主党押し付け、電力会社批判タブーの空気がそのまま映画に
これはおそらく、原作の出版から映画がつくられるまでの7年の間、安倍政権下で行われた原発事故をめぐる「スリカエ」に、映画の作り手が大きく影響されたからだろう。
福島第一原発事故が起きたしばらくの間は、菅直人や民主党政権の事故対応にも批判の声が上がっていたが、同時に原発の危険性を指摘する声や東京電力への批判も数多く聞かれていた。
ところが、第二次安倍政権が誕生すると、その空気は一変する。本サイトでも何度も指摘しているように、安倍首相は第一次政権で福島第一原発の津波対策を拒否した原発事故“最大の戦犯”であるにもかかわらず、その責任に頰被り。“悪夢の民主党政権”というワードをわめき、「菅首相が海水注入を止めた」など、さまざまなデマを流して、すべての原因を民主党政権に押し付けた。
そしてその一方で、側近の経産省原発族である今井尚哉首相秘書官(のちに補佐官を兼任)とともに、再び原発再稼働や原発の輸出を推進し始めた。
その結果、メディアは再び原発や東電批判をタブー視し、その代わりに当時の菅直人首相をはじめとする民主党政権だけをスケープゴートにする空気ができあがってしまったのである。
映画の『Fukushima50』のつくりは、意識的かどうかはともかく、この間のそうした変化を完全に反映したものといえるだろう。そして、そんな映画が地上波放送されるということは、福島第一原発事故の本当の責任隠し、問題のスリカエをさらに助長することにしかならない。
そうした危険性にかんがみて、本サイトは今回、『Fukushima50』の地上波放送にぶつけるかたちで、1本の記事を再録することにした。それはコロナ感染拡大で安倍政権の後手後手対応に批判が集まっていた最中の昨年3月に配信した、「安倍晋三の新型コロナ対応を見て『福島原発事故の菅直人の方がはるかにマシだった』の声が拡散…どっちが酷いか、徹底検証!」という記事だ。
改めて言っておくが、本サイトは菅直人を擁護するつもりはないし、その対応には前述したように問題点も多くあった。しかし、これを読めば、原発事故の本質が完全にスリカエられていること、そして、民主党政権の原発事故対応よりも、安倍政権のコロナ対応のほうがはるかに当事者意識の欠如したひどいものであったことがよくわかるはずだ。(編集部)
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安倍晋三の新型コロナ対応を見て『原発事故の菅直人の方がマシ』の声が拡散…どっちが酷いか、徹底検証! 東京電力に乗り込み、「撤退」を阻止した功績
(LITERA 2020.3.15)
東日本大震災とそれに続く福島第一原発事故から9年目の今年、当時の吉田昌郎所長ら原発所員の奮闘を描く映画『Fukushima50』が公開されているが、そこで強調されていたのが、当時の首相の菅直人の醜態だった。映画の内容は事実の歪曲も指摘されているが、菅が周囲の反対を押し切って福島第一原発に乗り込み、喚き散らし、現場を混乱させる描写は、観客に“悪夢の民主党政権”というワードを否応なく思い起こさせる仕掛けになっている。
しかし、一方で今年の3.11は、新型コロナ感染拡大の渦中だったことで、まったく逆の声も聞こえてきている。「震災のときは菅直人のことを批判していたが、新型コロナの安倍首相の対応を見て考えが変わった」「今回の安倍首相と比べたら、菅や枝野のほうがずっと必死で真摯だった」「安倍があれだけ後手後手対応と失態を繰り返しているのを見たら、原発事故のとき、安倍が首相だったらと思うとゾッとする」……。
なかにはかつての民主党支持者の身びいきも散見されるが、今回の新型コロナ感染における安倍首相を見て、原発事故での菅直人のほうがましだったと思い直す声が数多く上がっているのだ。
それくらい安倍政権のコロナ対応が酷いということなのだろうが、しかし、両者の対応を冷静に比べても、菅首相のほうが危機対応としてはるかにまともだと感じる部分は多い。
もちろん、9年前の菅の行動にも問題はあった。“イラ菅”と呼ばれる性格丸出しに側近や東京電力幹部、官僚らを怒鳴りあげ、自由な発言を封じ込める。細かい現場の問題にまで口を挟んで、混乱を助長する。こうした行動は、民間の事故調査報告書でも「関係者を萎縮させるなど心理的抑制効果という負の面があった」「無用な混乱やストレスにより状況を悪化させるリスクを高めた」という言葉で批判されている。
しかし、少なくとも当時の菅直人には、安倍首相にまったくない必死さ、当事者意識があった。当時の記録や各種資料を読むと、菅や官房長官の枝野幸男が事故発生直後から官邸に泊まり込み、不眠不休で対応にあたり、なんとか原発事故を抑え込もうと、自ら矢面に立って動いていたことがよくわかる。
そのスピードも、世間の印象とは逆にかなり素早いものだった。東日本大震災が発生した当日の段階で、菅は原子力安全委員会から班目春樹委員長を呼び、その後、班目委員長を官邸に常駐させ、いつでも助言を求められる体制をつくっている。質問に官僚がまともに答えられず、東電本店からも情報が上がってこないと見るや、補佐官や秘書官を動員して、経産省、原子力安全・保安院、東電本社から情報収集に当たらせた。
さらに、こうした“正規ルート”からの意見以外に、外部の専門家からのいわゆるセカンドオピニオンまで求めている。菅自身の母校である東工大の同窓生を頼って、首相独自のブレーンチームをつくり上げ、こうした専門家を次々と内閣官房参与に任命した。この対応は「船頭が多過ぎる」との批判を招いたが、とにかく菅は、自ら必死で情報収集しようと動いていたのだ。
事故翌日の早朝に、福島第一原発視察に踏み切ったのもその姿勢の表れだった。この視察は映画『Fukushima50』でもっとも批判的に描かれていた部分で、ベントが菅のせいで遅れたかのような描写は事実と異なるが、それでも実際、この視察が現場に負担をかけたのもまぎれもない事実だ。マスコミからも「政治的パフォーマンスで事故対応を妨害した」と総攻撃を受け、政権維持に大きなダメージとなった。
しかし、当時の資料や証言を読むと、菅がたんに政治的パフォーマンスで乗り込んだわけではないことがよくわかる。というのも、この視察は、官房長官の枝野幸男や経産相の海江田万里ら側近からこぞって反対されていたからだ。とくに枝野は、最高指揮官が官邸を離れることによって生じるリスクというより、現場に行くことで直接的な責任が生じ、政治的に批判されることを恐れて強硬に反対していた。
だが、菅は当時、東電本店にベントが遅れている理由を聞いても、まったく答えられないことに苛立ち、直接、現場視察を決意。枝野らの反対を「(責任ある判断をするため)短い時間でいいから自分の目と耳で現場を把握したい」と押し切って、福島原発に乗り込んだ。つまり、あれだけ批判を浴びた視察だが、菅にとっては情報不足のなかで決断するために不可欠な行為だったのである。
しかも、この視察には一定程度の効果もあった。福島第一原発の吉田所長はわめき散らす菅に相当な不快感をもち、政府の事故調査・検証委員会の調書でも批判的なコメントをしていたが、菅はまったく逆だった。菅の著書『東電福島原発事故 総理大臣として考えたこと』(幻冬舎新書)を読むと、この視察で何より現場責任者である吉田昌郎所長に会い、人物を見極めることができたことが最大の収穫だったと書いている。実際、菅はこの現場視察以降、吉田所長を信頼し、東電本店よりも現場の判断や報告を重視するようになった。そして、この菅の姿勢が、東電本店より現場がイニシャティブをとれる流れをつくりだしたともいえる。
菅直人は必死だっただけじゃない、東京電力に乗り込み、「撤退」を阻止した功績
そういう意味では、「菅に必死さがあった」と言ったのはたんに真摯だった、必死で頑張ったというエモーショナルな評価の話だけではない。菅の行動は、原発事故の最悪の事態阻止という「結果」にも一定程度、寄与していた。『Fukushima50』ではなぜか歪曲されている「東電本社乗り込み、撤退阻止」もその事例だ。
1号機に続いて3号機も爆発、事態がいよいよ逼迫してきた4日目の3月14日午前3時ごろ。官邸のソファで仮眠をとっていた菅氏は秘書官に起こされる。海江田経産相をはじめ、枝野官房長官、福山哲郎官房副長官、細野豪志首相補佐官、寺田学首相補佐官、斑目委員長ら主だったメンバーが集まっており、海江田が「東電が原発事故現場からの撤退を申し入れてきています。どうしましょうか。原発は非常に厳しい状況です」と切り出した。言外に撤退やむなしとの考えをにじませていた。海江田、枝野、福山らに対して東電側から再三にわたる電話要請が繰り返されていた。だが、海江田の言葉に菅は即座にブチ切れた。
「おまえら何を考えているんだ。撤退などありえないだろう。撤退したら、どうなるかわかってるのか。全部やられるぞ。燃料プールだってあるんだ。福島、東北だけじゃない。東日本全体がやられるんだ。わかってるのか」。そして、「いまから俺が東電に行く」と言い放った。
菅はまず清水正孝東電社長を官邸に呼びつけ、「撤退はありえない」と宣告した。次いで、東電社内に自らを本部長とする統合対策本部を設置し、1時間後、菅は自ら東電本社に乗り込んだ。寺田補佐官の手記によれば、そのとき菅は別の官邸スタッフに「もし、東電の職員が逃げ出し、原子炉が最悪の事態になったら、俺がもう一度現地に行く。ヘリの準備を頼む」と命じていたという。
東電の対策本部に着いた菅は、居並ぶ幹部社員を前にぶちまけた。「撤退したら日本はどうなる。東日本は終わりだ」「自国の原発事故を自ら放棄したら、日本は国として成り立たない。そんな国は他国に侵略されるぞ」「カネはいくらかかってもかまわない。社長も会長も覚悟を決めてくれ」「60歳を超える職員はみんな現地へ行けばいい。俺も行く」「撤退したら、東電は必ずつぶれる。逃げられないんだ」……。自らの著書では落ち着いた口調で語ったように書かれているが、寺田補佐官の手記によれば、激昂し、ほとんど怒鳴るように話したという。
周知のように、福島原発事故が最終的に、吉田所長が覚悟した“東日本壊滅”という事態にならなかったのは、4号機の建屋が爆発したことで2号機のどこかに穴が空き、圧力が低下するという「幸運」によるものが大きい。しかし、それ以前に、もし東電本店が撤退を決めて、吉田所長もその撤退命令に従っていたとしたら、いくら幸運が重なったとしても、原子炉は制御不能に陥り、東日本壊滅は避けられなかった。
そう考えると、菅が必死で東電の撤退を怒鳴り上げて阻止したことが、最悪の事態を止めるひとつの要因になったことは紛れもない事実なのだ。実際、菅の原発対応について、国内報道は批判一色だったが、海外のメディアのなかには、当時から評価する報道も少なくなかった。イギリスのガーディアン、ドイツのZDF、イギリスのBBCが制作した福島原発事故のドキュメンタリでも、菅の対応は一定の評価をされている。
コロナ感染拡大も安倍は対策本部たてず会食の日々、専門家を無視して場当たり対応
では、翻って安倍首相はどうだろう。危機が目に見える震災と、目に目えないウイルスの感染という違いはあるにせよ、コロナ対応における安倍首相の初動はあまりに遅く、当事者意識の欠如したものだった。
そもそも中国・武漢市で原因不明の肺炎が増えていると国内メディアが報じたのは、昨年大晦日。しかし、安倍首相はこのあと、1カ月以上も全く動いていない。それどころか、1月16日に国内で初めて新型コロナウイルスによる肺炎患者が確認されても、安倍首相は政府対策本部すら設置しなかった。
1月29日の参院予算委員会では、国民民主党の徳永エリ議員が「中国への渡航歴がない日本人の新型コロナウイルス感染が確認されたが、政府対策本部は設置されているのか」と問い質したが、この段階でもまだ政府対策本部を設置していなかった。これは、菅が事故発生当日に班目委員長を官邸に呼びつけ、すぐに官邸に常駐させる体制をしいたのとは雲泥の差と言っていいだろう。
しかも、安倍首相自身の行動も、菅が連日連夜官邸にはりつき、対策に奔走していたのとは対照的だった。安倍は事態が逼迫しても、官邸に泊り込むどころか、会食や宴会を繰り返していたのである。
たとえば、2月13日には国内初の感染者の死亡が確認されたが、安倍首相は午後6時台に対策本部での会合などをさっさと(約15分間)済ますと、午後7時には東京・丸の内のパレスホテル東京で行われた後援会「晋精会」の会合で挨拶。その足で平河町の中国料理店「赤坂四川飯店」で、細田博之元幹事長、麻生副総理兼財務相とともに細田派・麻生派の衆院当選3回生議員らとの懇親会に出席したあと、そのまま富ヶ谷の私邸に帰宅してしまった。
また、新たに東京や北海道、沖縄など全国で日本人8人の感染が確認された14日は、8分間だけ対策本部の会合に出席したあと、帝国ホテル内の宴会場「桃の間」で日本経済新聞社の喜多恒雄会長、岡田直敏社長らと3時間も会食、そのあと、富ヶ谷の私邸にまっすぐ帰った。
さらに、クルーズ船の乗客に死者2名が出た20日は金美齡氏や自民党のネトウヨ議員と鉄板焼き店で会食。対策本部が基本方針を発表した25日も、安倍首相は都内のザ・キャピトルホテル東急の宴会場で開かれた自民党と各種団体の懇談会に出席して挨拶、さらにそのあと公邸でランサーズ社長らと会食。そして、28日には、百田尚樹氏や有本香氏と会食している。
そして、これだけ“おともだち”とばかり会食を繰り返す一方で、安倍首相はこの間、感染症の専門家から意見を聞こうとはまったくしていない。1月中旬から3月10日までの首相動静をチェックしたが、安倍首相が政府関係以外で会った相手に、感染症専門家はひとりもいなかった。これまた、菅がセカンドピニオンを求めて、在野の研究者などにかたっぱしからアプローチしていたのと対照的と言っていいだろう。
いや、セカンドオピニオンどころではない。安倍首相は重要な感染症対策すら専門家をすっとばして決めている。2月後半になって、コロナ対応への後手後手ぶりに批判が高まり、内閣支持率が下がると、安倍首相は豹変。小中学校の一斉休校、中国・韓国の事実上の入国禁止、新型インフルエンザ等対策特別措置法(特措法)の改正など、対策を矢継ぎ早に発表するのだが、これらはいずれも専門家会議に一切の相談がなかった。これらはすべて、“影の総理”といわれる今井尚哉首相補佐官と決めたものといわれ、その唐突で場当たり的な政策発表は、現場を大混乱に陥れるだけで、専門家から効果を疑問視されている。
避難所での抗議に「ごめんなさい」と謝る菅の映像が拡散、「安倍なら逮捕されてる」
そう考えると、菅と安倍首相の行動は独断専行という点で共通しているように見えるが、動機がまったく違うということだろう。菅にとっては当時、とにかく原発事故を止めることが唯一最大の目的だった。だから、そのために怒鳴りちらしながらも、一方で事故を止めるための情報や科学的根拠を必死でかき集めようとしていた。だが、安倍首相の動機は、感染防止拡大より政治的な支持率回復のための“やってる感アピール”。だから、安倍首相は「桜を見る会」問題で激昂することはあっても、コロナで喚き散らすことなんてないし、科学的根拠なんて関係なく、専門家にも相談せず、平気で場当たり的な政策を打ち出してしまうのだ。
こうした2人の違いは、国民への向き合い方にも現れている。それを物語っているのが、少し前から、SNSで拡散されている菅の映像だ。震災から1カ月ちょっと経ったあと、菅原発事故で家を追われた大熊町や葛尾村の住民が避難する避難所に首相の菅が出かけたニュース映像が切り取られたもので、そこには、住民から呼び止められて激しい抗議を受け、何度も「ごめんなさい」と謝っている菅の様子が映っている。おそらく当時は、首相の情けない姿や政府対応への不満を強調するために流されたのだろうが、この動画はいま、200万回以上再生され、こんなコメントが多数ついている。
〈あの時はクソッタレ民主党!と思ったりもしたが、確かに逃げたりはしなかったな。政府が国民の怒りを受け止める真摯な姿勢があった。〉
〈住民の苛立ち、憤怒、やるせなさ等々のこもった罵倒を面前で受けている。それだけでもマシ!それだけでも総理の仕事をしている!〉
〈菅直人さんは、住民の話しもちゃんと聴く姿勢があった。批判も受け止めるし、そういうマイナスのシーンも報道に載っていた。安倍さんや麻生さん、菅さんはどうだろうか? まともな回答はせず、批判的な発言には蓋をし、報道にも載せさせない。〉
〈安倍さんだったら絶対に現地に出向いて住民の中に入るわけがない。〉
〈安倍なら無視して立ち去るだろうな〉
〈もし当時の首相が安倍だったら、この人達は警官数人に囲まれて引きずり出されていただろう事、そして、テレビではカットされるだろう事は確実。。〉
〈これと同じ事を安倍さんや麻生さんにやったら逮捕されそうで怖い。〉
たしかに菅は当時、こうしたかたちで国民の批判の矢面に立っていた。しかし、いまのコロナ対応を見ていると、抗議したら逮捕されるかどうかはともかく、安倍首相が同じように国民の怒りを受け止めるとはとても思えない。なにしろ、安倍首相は国民がこれだけ感染拡大に不安を感じているというのに、会見したのはたった2回だけ。危機的な状況の説明や国民に負担を強いる政策の説明はほとんど、加藤勝信厚労相や官僚にやらせているのだ。
これもまた、安倍首相の関心事が自分のアピールだけで、国民に寄り添う気持ちなんてさらさらないことの表れだろう。
「菅直人が海水注入中断」デマを拡散したのは安倍首相、裁判所も事実ではないと認定
いかがだろうか。こうして両者を比べてみると、冒頭で「菅の原発事故対応のほうがはるかにまともだった」と指摘した理由がわかってもらえたはずだ。事故発生当初から不眠不休で動き、必死さゆえに混乱を招きながらも、一応は最悪の東日本壊滅という事態を回避した菅直人、一方、危機意識のないまままともな対策をやらず会食ざんまい、感染を広げたあげく、いきなり政治目的で効果が疑問視される場当たり対応を連発し、いまだ正確な感染者数すら把握できない状況を放置している安倍晋三。コロナ感染拡大のほうはまだこれからどうなるかわからないが、現時点でも、差は歴然だろう。
だが、国民の評価は残念ながら、この差をまったく反映していない。菅直人の原発事故対応については、当時はもちろん、いまも「悪夢」と批判し、「原発事故があそこまでひどくなったのは菅直人が元凶」などと考えている国民は少なくない。一方、コロナ対応がこんなに不誠実で失態続きでも、安倍内閣の支持率はたいして低下していない。
それは、安倍首相が菅直人になかった能力をひとつだけもっているからだろう。その能力とはメディアコントロールと情報操作の巧みさだ。
安倍首相がコロナ問題で2回しか会見を開いていないことを前述したが、これは確信犯的な作戦でもある。安倍首相はこれまでも、台風や洪水などの自然災害や、政権にマイナスな国際情勢、事件が起きると、とたんに国民の前に姿を見せなくなるということを繰り返してきた。そして、華やかな外交や自分の得点になる政策発表のときだけ、自分がしゃしゃり出て会見を開き、国民にアピールする。こういう狡猾なやり口で、安倍政権は支持低下を最大限におさえ、自分の失態を隠してきたのだ。
しかも、安倍首相は問題や不正が発覚すると、平気で問題をすり替え、責任を転嫁し、フェイクをふりまく。とくに得意なのが、野党や民主党政権、批判報道に責任転嫁するやり口だ。
実は、菅直人の原発事故対応が実体以上に激しい批判にさらされているのも、安倍首相が野党時代、安倍応援団メディアとともに撒き散らした責任転嫁のためのフェイクニュースの影響が大きい。
もともと原発事故は自民党政権の原発政策が最大の要因であり、なかでも、安倍首相は第一次政権で、福島第一原発の冷却機能喪失の危険性や予備電源の不備を指摘されながら、それを無視していた(記事リンク https://lite-ra.com/2020/03/post-5303.html)。
ところが、安倍首相はそうした責任論を封じ込めるために、原発事故後の5月20日、メルマガで「菅首相が3月12日、海水注入を中止するよう命令したため、作業が遅れ、被害が拡大した」と嘘の情報をメルマガに書き込んだ。そして、翌21日の読売新聞と産経新聞がこれを後追い。大々的に報道したのである。
しかし、菅は同日19時55分に逆に海水注入を指示しており「海水注入中断」は東電本店で指揮に当たっていた武黒一郎フェローが勝手に現場に伝えたものだった(また現場では19時4分にはすでに海水注入を開始しており、吉田所長の判断で本店からの中断指示を無視し注入を継続していた)。菅はこの安倍のメルマガが名誉毀損だとして損害賠償請求に民事訴訟を起こしている。判決では「野党の政権批判だから名誉毀損に当たらない」と損害賠償は認められなかったが、事実関係については、安倍の間違いだったことが認められ、安倍は裁判の途中で該当記事を削除している。
しかし、こうした裁判の認定を知っている国民はほとんどおらず、安倍のフェイクによって、菅直人こそ、原発事故の元凶だというイメージが完全に定着してしまった。そして、歴代自民党政権の原発政策の問題や第一次政権での安倍の直接責任はどこかへかき消されてしまったのである。
まさに卑劣と言うしかないが、しかし、こうした状況はすでに新型コロナ対応でも起きている。安倍政権は、初動対応の遅れと検査受けたくても受けられないという批判を封じ込めるために、内閣官房や厚労省がSNSで『羽鳥慎一モーニングショー』(テレビ朝日)などのメディアを名指しして、報道内容を否定。裏でも、メディアに「煽るな」圧力をかけ始めた。実際は、フェイクをふりまいているのは、メディアの側ではなく、政府機関のほうだったことも明らかになったが、しかし、この1週間で風向きはガラリと変わり、「検査は不要」「政府の方針は間違っていなかった」という論調がどんどん大きくなっている。このままいけば、いつのまにか「安倍首相はよくやった」などという話にする変わる可能性さえ出てきた。
菅直人は、震災・原発対応に一応のメドがついた2011年8月終わりに「(原発事故については)総理としての力不足、準備不足を痛感した」と振り返り、政府混乱の責任を一身に引き受けて9月はじめに退陣しているが、安倍首相のほうは東京五輪が来年に延期になってもまだ、「五輪をやり遂げるのが私の責任だ」などと言って、首相の座に座っているかもしれない。(編集部)