日刊ゲンダイの「注目の人 直撃インタビュー」に、11年秋から福島浜通り地域の復興に携わり、19年7月に技術系や社会系の専門家、住民ら14人とともに「1F廃炉の先研究会」を設立した松岡俊二氏が登場しました。
いまや福島原発の廃炉の工期が「30~40年(2011年時点)」というのは机上の空言
あることが明瞭になり、「100年掛かるのか」あるいはその倍掛かるのかも不明というのが実態です。当然費用もそれに伴って青天井に膨らみます。
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注目の人 直撃インタビュー
福島原発「30~40年で廃炉完了」に根拠なし 1F廃炉の先研究会代表が喝破
日刊ゲンダイ 2021/03/11
松岡俊二(早大大学院アジア太平洋研究科・1F廃炉の先研究会代表)
史上最悪「レベル7」の原子力事故から丸10年――。東京電力福島第1原発(1F)の廃炉作業は今なお難航が続く。国と東電が欺瞞に満ちた「30~40年後に完了」の旗を降ろさぬ中、住民や専門家と一緒に再検討を考える場づくりを呼びかけるのが「1F廃炉の先研究会」だ。代表の早大教授に復興と廃炉の「在るべき姿」を聞いた。
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――国と東電は2011年12月に廃炉工程表(中長期ロードマップ)を決めて以降、5回も改訂しながら「30~40年後」の完了目標を見直す気配がありません。
常識で考えればムリな目標です。例えば、福島第2原発の廃炉と比べてみましょう。東電は昨年、福島第2の全4機の廃炉を「44年かけて完了を目指す」計画を提出。事故を免れた健全炉でさえ、これだけの期間を要するのです。原子炉3つが炉心溶融し、建屋3棟が爆発。世界最悪級の事故炉が、2011年から「あと30~40年」で廃炉を終える計画に根拠はありません。
■「デブリ取り出しだけで100年以上」
――最近になって2、3号機の原子炉格納容器の上ぶたに、2京(兆の1万倍)~4京ベクレルもの放射性セシウムが付着していることも判明しました。
深刻なのは、最難関の溶融核燃料(デブリ)取り出し作業が、より厳しくなったこと。デブリは1~3号機のどこにどれだけあるかは未解明。取り出す方法も定まっていません。米スリーマイル島(TMI)原発事故では上ぶたを開け、圧力容器の底にたまったデブリの99%を取り出しましたが、ここまで上ぶたが汚染されていると、TMIの経験と知見は生かせない。現状では、ある程度のデブリを取り出すだけでも、100年以上はかかりそうです。
――そんなに、かかってしまうのですか。
TMIは1基だけの事故で、原子炉の中心にある圧力容器も破損していなかった。それでも全134トンのデブリを取り出すのに4年3カ月を費やしました。1Fは圧力容器に加え、格納容器も破損しているとみられ、私たちの推定だと総デブリ量は約880トン。TMIと同じ年平均32トンを取り出せても28年を要します。その実現も年間作業日を260日と仮定すると、1作業日当たり122キロのペースを維持しなくてはいけません。
――なるほど。
ただ、1Fで特殊鋼製ロボットアームなどを使って取り出せる量は、1回当たり推定20~50キロ程度。その上、高い放射線を放つ劣悪な環境で、極めて緊張した作業を強いられます。取り出したデブリの保管・管理や、放射線を浴びた機械の修繕の問題もある。1作業日当たり50キロと甘めに見積もっても、全量を取り出すには68年、ペースが20キロとすれば170年です。優に100年以上かかるデブリ取り出し「ありき」の計画に、どこまでこだわるのか。10年を機に立ち止まって真剣に検討すべきです。
「お仕着せの住民参加は不要」
――大量発生する放射性廃棄物の置き場所も決まっていません。
そうした中、地元の福島県などは過去10年、一貫してデブリの全量取り出しと県外搬出による1F跡地のクリーンな更地化を要望してきました。
――故郷と生業を奪われた人々の感情を思えば、分からなくもない要望ですが。
しかし、福島県が著しく客観的根拠を欠いた訴えを続けている限り、国や東電も「ムリです」とは言いにくい。建前論と現実がズルズルと乖離していく状況は、地元住民にとっても不幸です。
――当初2兆円と推計された廃炉費用も、既に8兆円に上方修正です。
誰もその額で済むとは思っていません。この10年は福島復興への社会的支援と関心は強かったと思いますが、今後も際限のない作業が続き、兆単位で費用も膨らんでいけば、その限りではない。今の日本社会はコロナ禍や度重なる自然災害、少子高齢化など課題が多く、廃炉だけに関わっている余裕もありません。中止を求める世論の高まりから、半端な形で廃炉作業が滞ると、復興にも悪い影響を与えます。
――廃炉と復興の共倒れですね。
そのリスクを回避するためにも、福島県は非現実的な主張をやめ、国と東電と共に中長期ロードマップを見直すべきです。根拠のない願望によって地域社会の将来を語り続けるのは結局、住民をだますことになる。かつての「安全神話」と同じ構図で、「30~40年後に廃炉できる」は形を変えた新たな神話です。
――現実を直視した将来像を示すべきだと。
そのためにも、幅広い住民が議論に加わって、1F廃炉の将来像を考える場の形成は不可欠です。現状は、国と東電が被災市町村の首長に方針を説明後、陳情を受ける「お仕着せの場」しか、ほぼありません。
――決定事項を伝え、「どうですか」と聞いているだけの印象です。
処理済み汚染水を巡る議論が典型です。既に敷地内には1000基超の貯蔵タンクが並び、保管先は来年秋以降に限界を迎えます。124万トンに達した処理水の処分は喫緊の課題ですが、国は約6年もかけて非常に間違った議論の進め方をしました。まず技術者らが5つの選択肢に絞り、次に社会系の専門家も入れた小委員会が2案に絞り込み、その際「海洋放出は実績があり、より確実」と報告。最後に地域の人々に意見を聞いても、もはや住民に選択の余地はなく、議論にならない。反発も当然です。だから、早い段階から地域の人を交えた議論が求められるのです。
――ロードマップも、いまだ処理水の最終処分に言及していません。
必ずしも、すぐに海洋放出しなくてもいいはずです。1Fの敷地面積348.5ヘクタールに対し、1Fを取り囲み、除染廃棄物を管理・処理する中間貯蔵施設は1600ヘクタールまで広がります。この国の時限所有地にタンクを移す選択肢も考えられます。最初から「解」を求めず、多様な選択肢を示し、地域社会と対話を重ねる。納得できなくても、そのプロセスで決まったのなら認めましょう、という場をつくることが大事です。
■未来に教訓を伝える「遺産」に
――いまだに「廃炉」の定義すら曖昧なまま、作業は国と東電任せという風潮も気になります。
現場で働く人々にとっても、地域との対話は重要です。大変に困難な作業を担う人は社会からリスペクトされるべきです。高いモチベーションを保ち、社会的使命に携わっていけるよう、地域社会に見える形で作業を進めて欲しい。
――そもそも福島と関わり始めたきっかけは?
10年前、スリランカで見た1Fの爆発映像はすごくショックなものでした。学生に環境政策を教え、「温暖化対策のため、安全に注意して原発を使おう」と講義していたので。いい加減なことを言ってきたなあ、と。そこから真剣に原発や廃炉の問題に取り組もうと思い、初めて福島に通い出したのです。
――地元から更地以外の将来像に関し、具体的な意見は出ていますか。
1Fそのものを事故遺産として保存するのも、選択肢のひとつです。放射性物質の「閉じ込め・管理」を条件に、福島の教訓を伝える場として未来に残す。特に若い人たちと話すと、「復興の象徴に」と1F保存を願う声はかなり多いですよ。
――広島における「平和の象徴」のようなイメージですか。
そうです。広島では原爆ドームを残し、平和記念公園をつくった。私自身、広島市に20年間住んでいましたが、毎朝、ボランティアの人々が掃除をするなど地域の誇りを守り、育てています。海外から訪れる人々もその姿を非常にリスペクトしてくれています。
――1Fもそうした付加価値を生み出すことが可能だと。
広島市議会が原爆ドームの保全を決議したのは、1966年。原爆投下から約20年後でした。1Fはまだ負の遺産でしかないですが、今後の10年で、どうすれば地域に貢献する資源と資産に変えていけるのか。住民はもちろん、国と県、東電も含めて平場で議論できる場が、いくつも立ち上がっていくのが理想です。廃炉費用を負担する国民が「自分ごと」として1F廃炉の将来像を考え、共に議論できる場を今後もつくっていければと思っています。
(聞き手=今泉恵孝/日刊ゲンダイ)
▽松岡俊二(まつおか・しゅんじ) 1957年、兵庫・豊岡市生まれ。82年、京大大学院で経済学修士課程修了。広島大で博士号を取得。88年から同大講師、助教授、教授を経て、2007年から現職。専門は環境経済・政策学。11年秋から福島浜通り地域の復興に携わり、19年7月に技術系や社会系の専門家、住民ら14人とともに「1F廃炉の先研究会」を設立。