2021年3月10日水曜日

<東海第二原発の10年>(中)・(下)

 東京新聞の記事:<東海第二原発の10年>(中)・(下)を紹介します。
 (中)では、東海第二原発半径30キロ圏の那珂、水戸、日立、常陸太田、ひたちなか5が原電と安全協定を結び、再稼働の際に「事前了解」を要するとした、国内初の画期的な協定が生れた経緯がまとめられています。
 (下)では、通算394に及ぶデモなど、8年半も続いている市民の東海第二原発の再稼働反対運動を取り上げています。
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<東海第二原発の10年>(中)攻防 周辺自治体の権限広がる
                          東京新聞 2021年3月9日
 前那珂市長の海野徹さん(71)は時に語気を強めながら、東海第二原発(東海村)の再稼働を目指す日本原子力発電(原電)との五年半にわたる攻防をこう振り返った。
 「福島第一原発事故を経験し、二度と原発で事故は起こしてはいけないという信念があった。原電に対して『絶対に受け入れさせる』と強く思っていた」
 海野さんが受け入れさせたのは、再稼働する際の事前了解の権限だ。原電は二〇一八年三月二十九日、立地する東海村だけでなく、事故に備えて広域避難計画の策定が義務付けられている半径三十キロ圏の那珂、水戸、日立、常陸太田、ひたちなか五市と安全協定を結び、事前了解の権限を与えた

■事故リスク
 原発の新増設や再稼働に当たっては従来、電力会社は立地自治体と県の了解を得ればよかった。事前了解の対象を三十キロ圏の市町村に広げる仕組みは画期的だった。
 この「茨城方式」の発案者は、前東海村長の村上達也さん(78)だ。福島原発事故の放射能汚染が広範囲に及んだことに危機感を覚えた。「東海第二で事故が起きれば、水戸市がゴーストタウン化するのかと思うとぞっとした」
 村上さんは、県と村に限定されていた事前了解の権限を周辺五市に拡大しようと、海野さんら五市長と一緒に「原子力所在地域首長懇談会」を設立。一二年七月に原電との交渉を開始した。

■揺れる原電
 原電がすんなりと受け入れるはずはなかった。了解対象の自治体が増えれば、再稼働のハードルは上がる。大株主である大手電力会社の原発立地地域への波及も恐れた。
 原電は回答の先送りなどで沈静化を図る。ようやく出してきた協定案でも了解対象の拡大には触れず、「事前の説明」でお茶を濁そうとした。
 原電が軟化したのは一七年三月。村松衛社長が交渉の席で「自治体の合意が得られるまでは再稼働できない覚悟」と強調したのだ。老朽原発の東海第二は、運転期限の四十年を迎える一八年十一月の前に、最長二十年の運転延長を原子力規制委員会に認めさせる必要があった。原電としては、周辺自治体との対立は極力避けたかった。
 そして一七年十一月、原電は了解対象を六市村に拡大する方針を表明した。それでも、協定案では「事前了解は規定されていないが、事前協議により実質的に担保されている」と自治体の権限を明確にせず、骨抜きを狙う意図が透けて見えた

■譲れぬ一線
 村上さんは既に村長を退いていたが、後に再稼働反対を公言する海野さんを先頭に、首長側は猛反発した。
 首長側の毅然(きぜん)とした態度に気おされたのか、原電は一八年三月、「事前協議により、実質的に六市村の事前了解を得る仕組みとする」と明記した協定案を提示。なお曖昧な表現は残ったものの、首長側は「一自治体でも反対すれば再稼働できない」との認識を共有した上でサインした。
 海野さんは「原電は踏み込んだなと感じた。周辺自治体の首長が再稼働の判断をできるようになったのは大きい」と評価する。
 協定の締結から間もなく三年。東京電力柏崎刈羽原発(新潟県)の周辺自治体では「茨城方式」を模索する動きも出ている。六市村では現在、住民の意向をどうくみ取るかが焦点になっている。
 海野さんは、協定が「宝の持ち腐れ」になることを憂う。「主役は住民。アンケートなどで住民の意見を聞き、再稼働の是非を判断することが重要だ」 (松村真一郎)


<東海第二原発の10年>(下)うねり 絶やさぬ原電前デモの火
                         東京新聞 2021年3月10日
 五日の金曜午後六時すぎ、東海第二原発(東海村)の再稼働を目指す日本原子力発電(原電)の茨城事務所が入る水戸市笠原町の県開発公社ビル前。降りしきる雨の下、約二十人が「東海第二再稼働反対」「原発いらない」とシュプレヒコールを上げた。
 毎週金曜に再稼働反対を訴える「金曜デモ」は、新型コロナウイルス感染の第三波が猛威を振るう中、一月八日を最後に中断していたが、この日、二カ月ぶりに再開した。デモは通算三百九十四回を数えた。中心メンバーの川澄敏雄さん(72)=茨城町=は「八年半も続くとは思わなかった」と感慨深げに語る。

■ツイッター
 川澄さんは原発メーカーの日立製作所で長年、水力発電所や変電所のコンピューターシステム開発に従事。東海村の核燃料加工会社ジェー・シー・オー(JCO)臨界事故(一九九九年)を通して原子力の危険性は認識していたが、「福島のような事故が起きるとは思わなかった。原発に直接関わっていないが、電力に携わった立場として後ろめたさはある」と悔やむ。
 広範な放射能汚染を引き起こした東京電力福島第一原発事故をきっかけに、各地で脱原発運動が盛り上がった。事故から一年後の二〇一二年三月には、首相官邸前で「金曜デモ」がスタートした。
 川澄さんによると、定年退職後に始めたツイッターでやりとりした人から「水戸でも金曜デモをやりませんか」と提案された。それまで脱原発運動とは無縁だったが、「東海第二が立地する茨城でも再稼働を止める取り組みが必要」と開催を決意した。

■参加者100人
 初の原電前デモは、官邸前から遅れること約四カ月の七月二十日。ツイッターや口コミでの呼び掛けに応じた約六十人が集結。参加者たちは約一時間半、声を張り上げた。
 回を重ねるごとに規模が拡大し、多い時は百人以上に膨れあがった。赤ちゃん連れの母親の姿もあった。川澄さんは「脱原発の大きなうねりを感じた」と振り返る。
 だが、寒さが厳しくなるにつれ、参加者は徐々に減っていった。春が訪れても増えない。気が付けば、顔なじみばかりになっていた。
 とはいえ、川澄さんは「金曜デモはこの地域の脱原発のシンボル。再稼働反対を可視化するのは大事だ」と力を込める。全国的にも脱原発運動は下火になっているが、「いざとなったら起き上がってくれるだろう」と期待する。

■よりどころ
 実際、再稼働反対を求める県民の声は根強い。一七年の知事選時に共同通信が実施した県民対象の電話調査では、再稼働反対(64・6%)が賛成(28・7%)を大きく上回った。東海村でさえも、本紙が昨年の村議選時に有権者百五十人に聞いたところ、反対(52・7%)が賛成(40・7%)より多かった。
 東海第二の再稼働の賛否を問う県民投票条例の制定を知事に直接請求する活動では、請求代表者から委任を受けた「受任者」の三千五百五十五人が県内を東奔西走し、法定必要数の一・七八倍に当たる八万六千七百三筆の署名を集めた。条例案は昨年六月に県議会で否決されたものの、川澄さんは「『県民が再稼働の賛否を決めるべきだ』という世論の大きさを示した」と意義を強調する。
 官邸前デモは今月末で休止するが、原電前デモは、東海第二の廃炉が実現するまで継続するつもりだ。「再稼働に反対する人にとっては『金曜にここへ行けば、必ずやっている』という心のよりどころになる。この火は絶やしたくない」 (松村真一郎)