福島第一原発から30km離れながら事故時の気流の関係で最も濃厚に被爆した福島県飯舘村長泥地区の、かつての暮らしと現状を伝える写真展「帰還困難区域に生きる」が、新潟市中央区の市民プラザで始まりました。会場にはパネル30枚展示され、期間は15日までです。
それとは別に、公的施設とは異なる視点で福島第1原発事故を伝える「原子力災害考証館」が12日、福島県いわき市にオープンしました。5年以上経て見つかった遺品など約100点を展示します。関係者は「原子力災害で文化や日常を失った人々の無念さ、声なき声を残したい」と語ります。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
帰還困難区域 飯舘・長泥は今 新潟で写真展 原発事故前後を紹介
新潟日報 2021/03/11
東日本大震災と東京電力福島第1原発事故から10年となる11日、福島県飯舘村長泥地区のかつての暮らしと現状を伝える写真展「帰還困難区域に生きる」が、新潟市中央区の市民プラザで始まった。笑顔にあふれた事故前の人々の営みや、事故後に無人になった地区の写真とともに、住民の古里への思いをパネルに記した。住民と交流を続け、写真展を企画した県立大の山中知彦教授(68)は「改めて原発事故の現実や帰還困難区域について知ってもらえれば」と話す。
飯舘村は福島第1原発から約30キロ離れているが、事故後の放射能汚染により、一時全村避難した。長泥地区は村で唯一の帰還困難区域で、現在は地区の一部を拠点と定め、再び人が住めるよう整備するため、家屋解体や除染作業が進む。
会場に展示するのは、パネル30枚。無人となり動物が往来する地区の現状の写真に加え、放射性物質が風で流れてきていると知らずに事故直後、長泥に避難した人のためにおにぎりを作る女性たちの様子、事故前の地区運動会のにぎわいなど、住民のつながりが強い長泥を象徴する写真を選んだ。「原発が爆発したって(30キロ離れた)長泥は関係ねえと思ったもんなあ」などと山中教授や仲間の研究者が住民に聞き取った思いも添えた。
地域デザインを専門とする山中教授は2013年から、広域避難した住民の絆をつなぐ長泥の区報「まげねえどう!ながどろ」の編集に協力してきた。地区の近影は、事故直後から長泥の移り変わりを撮影してきた茨城県と広島市の写真家が撮影した写真を使用。事故前の写真は、長泥の住民が大切にしていたものを借り、加工した。
写真展は「原発事故を人ごととしてほしくない」と、東京や埼玉など東京電力の電気を供給している地域でも開催した。山中教授は「タイトルには、未来に向け歩み出したいという長泥住民の思いを込めた。原発事故被災地の今を感じてほしい」と話した。
写真展は15日まで、午前9時~午後7時(初日は正午から、最終日は午後4時まで)。無料。(報道部・今井かおり)
旅館に原子力災害考証館オープン 福島・いわき「無念さ伝える」
共同通信 2021/3/12
公的施設とは異なる視点で福島第1原発事故を伝える「原子力災害考証館」が12日、福島県いわき市にオープンした。津波被害の後、事故に伴う立ち入り制限で捜索が進まず、5年以上経て見つかった遺品など約100点を展示。関係者は「原子力災害で文化や日常を失った人々の無念さ、声なき声を残したい」と語る。
考証館は、JR常磐線湯本駅近くにある旅館「古滝屋」の経営者里見喜生さんが、原発事故で宿泊客が減り、使わなくなった約30平方mの宴会場を改装した。
福島県が運営する「東日本大震災・原子力災害伝承館」(同県双葉町)では、国や東電も含む「特定の団体」への批判を禁止している。