2021年3月14日日曜日

原発リスク評価、割れ続ける司法 玄海訴訟判決

 九州電力玄海原発3、4号機の運転を「容認」した12日の佐賀地裁判決は、国の安全審査に「ノー」を突き付けた昨年12月の大阪地裁判決とは対照的ないわば従来型の判決でした。京大の特任教授がこの判決について「基準地震動の策定過程をきちんと理解しており、納得できる判決だ」と評価しているのは、地震工学の専門家であるだけに意外です。
 2000年以降に国内で発生した地震の大きさは、08年岩手・宮城内陸地震4022ガル、11年の東日本大震災2933ガル16年熊本地震18年北海道胆振東部地震では1700台など、1千ガル以上の地震は実に18回ありました。
 因みに建築物の耐震基準(基準地震動)は、三井ホーム5115ガル、住友林業3406ガルなどとなっています。
 それに対して玄海原発の基準地震動は僅かに540ガルに過ぎません。玄海原発に限らず、地震国であるにもかかわらず日本の原発の基準地震動はおおむね1千以下です。
 なぜそんなに低いのかは、基準地震動を2千とか3千に上げると耐震性を確保するために莫大な費用を要するからですが、建設費を下げるために基準地震動を低く設定するのは本末転倒の禁じ手です。
 そもそもこうした異常に低い基準が認められていること自体が、設計基準・審査基準不合理な点や重大な過ちがあることを証明するもので、14年5月の福井地裁判決で樋口英明元裁判長が述べた通りです 
 西日本新聞が「原発リスク評価、割れ続ける司法 ~ 」とする記事を出しました。
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原発リスク評価、割れ続ける司法 玄海訴訟判決
                            西日本新聞 2021/3/13
九州電力玄海原発3、4号機(佐賀県玄海町)の運転を「容認」した12日の佐賀地裁判決は、国の安全審査に「ノー」を突き付けた昨年12月の大阪地裁判決とは対照的な結論を導いた。東日本大震災に伴う東京電力福島第1原発事故から10年。各地で多くの訴訟が起こされ、なお司法判断が揺らぎ続ける現状は、改めて事故の深刻さと共に、今後原発エネルギーとどう向き合うのかを社会に問い続ける。
基準地震動(耐震設計の目安となる揺れ)の策定過程をきちんと理解しており、納得できる判決だ」。京都大複合原子力科学研究所の釜江克宏特任教授(地震工学)は、この日の判断を評価した
判決が踏襲したのは、四国電力伊方原発(愛媛県)を巡る1992年の最高裁判決が示した司法判断の枠組み。「原発は専門性が高いため裁判所は安全性を直接判断せず、審査基準や調査に不合理な点や重大な過ちがあった場合のみ違法とすべきだ」とする見解だ。
多くの原発訴訟で、この枠組みに沿った「行政追認型」の判断が示されてきたが、裁判官の意識に変化が見られるようになったとの指摘もある。
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福島原発事故後、初めて原発の運転差し止めを命じた2014年5月の福井地裁判決は「福島原発事故後、同様の事態を招く具体的な危険性が万が一でもあるかという判断を避けることは裁判所に課された最も重要な責務を放棄するに等しい」と言及。最高裁枠組みにとらわれず地震対策に「構造的欠陥がある」とした
「想定を超える地震が来ないとの根拠は乏しい」「過酷事故対策や緊急時の対応方法に危惧すべき点がある」。その後も原発の運転を禁じる判断は相次いだ。高裁レベルでも17年12月と20年1月、四国電力伊方原発3号機を巡り、広島高裁が「火山の噴火リスクの想定が不十分」として運転差し止めを命じた。
最高裁は12年1月、各地の裁判官を集め、原発訴訟をテーマにした特別研究会を開いていた。関係者によると、研究会では92年の最高裁判決の枠組みを今後も用いるとの方向性を確認。一方で、裁判所も原発の安全性について、より本格的に審査すべきだという意見も相次いでいたという。
以降、個々の裁判体によって、原発の「リスク評価」の判断は割れ続ける。
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「どのような事態にも安全を確保することは現在の科学では不可能」(16年4月、九電川内原発を巡る福岡高裁宮崎支部決定)。破局的噴火など「発生頻度が著しく小さいリスクは無視できるものとして容認するのが社会通念」とする姿勢も根強い。原発の運転を禁じる判断はいずれも上級審や異議審で覆され、確定した例はない。
原発の安全性に司法はどう向き合うべきか。中央大法科大学院の升田純教授(民事法)は「原発は非常に高度かつ総合的な科学技術。関連した専門性がない裁判官は、審査の手続きなどに看過できない誤りがある場合にのみ介入すべきだ」とし、最高裁判決の枠組みを尊重すべきだとする。
一方、06年に金沢地裁裁判長として北陸電力に原発の運転差し止めを命じた井戸謙一弁護士(滋賀県)は「専門的で難しい内容はあるが、国や行政、学者の意見を丸のみしては司法の役割は果たせない」と指摘。この判決後、原発の耐震指針は強化されており「運転を認める場合でも安全性を高めるためのチェック機能を果たさなければ、司法は国民から見放されてしまう」と述べた。 (森亮輔、鶴善行)

原子力規制庁「厳格審査認められた」
九州電力玄海原発3、4号機の原子炉設置許可取り消しを求める訴えを退けた12日の佐賀地裁判決を受け、原子力規制委員会は「東京電力福島第1原発事故を踏まえて策定された新規制基準により、厳格な審査を行ったことが認められた結果と考えている。引き続き新規制基準に基づき、適切な規制を行ってまいりたい」とのコメントを出した。 (山下真)

妥当な結果、安全性確保に万全期す
九州電力のコメント 
国と当社の主張が裁判所に認められ、妥当な結果と考えている。今後ともさらなる安全性・信頼性向上への取り組みを自主的かつ継続的に進め、原発の安全性確保に万全を期していく。


原発回帰追従判決…闘う覚悟強めた福島避難者
                            西日本新聞 2021/3/13
多くの人から日常を、そして古里を奪ったあの事故から10年。原発停止の願いは届かなかった。九州電力玄海原発3、4号機(佐賀県玄海町)の設置許可取り消しなどを求めた二つの訴訟で、原告側の請求を退けた12日の佐賀地裁判決。東京電力福島第1原発事故の後、福島市から九州に避難した原告団メンバーの男性は問い掛ける。事故から何を学んだのか、と。
福島市から千キロ以上離れた長崎市の離島・高島。家族5人で暮らす木村雄一さん(60)は判決の日、原告団が地裁前で開いた集会をインターネット中継で見守った。目に飛び込んできたのは「不当判決」の文字。「子の成長を見ていると早い10年だった。でも、国や司法は変わらないのか」。やるせなさをにじませる。
10年前の3月11日。福島市の自宅で1月に生まれたばかりの長女を風呂に入れた途端、激しい揺れに襲われた。妻も娘も無事だったが、故郷の宮城県石巻市では両親が大津波にのまれ、行方不明になった。
翌12日、人生を翻弄(ほんろう)する出来事が起きた。福島第1原発で水素爆発。放射性物質が福島市にも降った。市内で経営するライブハウスは軌道に乗ったばかり。両親とは連絡がつかない。避難するか、とどまるか。悩み続けて49日後、娘の健康を最優先に考え、自主避難を決断した。2011年6月、避難者を受け入れていた佐賀県鳥栖市に一家で移った。
原発から離れたはず、だった。移住後、鳥栖市から約60キロ先に玄海原発があることを知った。福島の自宅と福島原発の距離も約60キロ。自身の選択を悔いつつも、前を向く。「福島の状況を訴えよう」。事故から1年後に原告団に加わった。
各地の集会にも積極的に参加し廃炉を訴えたが、社会は原発の再稼働に進んだ。「前代未聞の事故は収束していないのに」。原発への不安がぬぐえず、13年春、高島に転居した。
人口330人余りの島には、当たり前だったコンビニはない。「便利なライフスタイルが最高。幸せイコールお金」の人生観はがらりと変わった。九電の玄海原発や川内原発(鹿児島県薩摩川内市)から約100キロ離れた島でカフェやゲストハウスを営み、壊れた生活の再建に集中した。
「遠く離れても、福島を忘れたことはない」。高島が近代炭鉱の発祥地と知り、炭田から原発に産業転換した福島とのつながりを意識するようになった。
判決を受けて、逆に力が湧いてきた。脱炭素が世界的な潮流の今、なし崩しに「原発回帰」が進むことに危機感が募る。「福島の事故で避難した者だから訴えられる言葉がある。九州から原発ゼロを目指す」。何年かかろうと、闘い続ける覚悟だ。 (金子晋輔)