2021年3月25日木曜日

25- 「原発漂流」第6部 揺れる司法(1)~(2)(河北新報)

 河北新報は「原発漂流」第6部 揺れる司法」の連載を始めました。

 このシリーズは全5回です。
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「原発漂流」第6部 揺れる司法(1)看過/津波の危険 最悪の証明
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 3基目の原子炉建屋爆発の報を聞き、心を決めた。
 「急いで避難だ。このままでは仙台も危ない」
 東京電力福島第1原発(福島県大熊町、双葉町)が大津波にのまれた4日後の2011年3月15日夜、弁護士小野寺信一(73)=仙台弁護士会=は家族を連れて車で山形市へ向かった。「そんな大げさな」と渋る妻を説き伏せた。
 壊れた建屋の映像を見て絶望した。「電源喪失で炉心を冷却する装置が作動せず爆発を招く恐れがある」。かつて法廷で訴えたものの「危惧懸念の類い」と被告の国にあしらわれた主張の正しさが、最悪な形で証明された。
 小野寺は1975年から原発裁判に関わる。東電福島第2原発(楢葉町、富岡町)の周辺住民が国の原子炉設置許可の取り消し訴訟を福島地裁に起こした際、福島市で弁護士活動を始めたばかりの小野寺も住民側代理人に名を連ねた。
 訴訟は事故想定を巡る国の安全審査の是非が最大の争点となった。国や東電は放射能が外部に大量放出される事態は「技術的に起こりえない」と主張した。
 当時、海外では過酷事故が相次いだ。提訴4年後の79年に米国でスリーマイル島原発事故が、控訴審が続いていた86年に史上最悪級の原子力災害となる旧ソ連のチェルブイリ原発事故が起きた。原発への不安が国内でも広がる中、国と東電の事故想定の甘さを指摘する住民側の主張は説得力を増したはずだった。
 「結局のところ原発をやめるわけにはいかない」「安全性を高めて原発を推進するほかない」。一審に続き住民側の訴えを退けた90年の二審仙台高裁判決に、小野寺は愕然(がくぜん)とした。判決は訴訟と直接関係のない反原発の世論にまで言及し「反対ばかりしていないで落ち着いて考える必要がある」と説いた。2年後、最高裁で敗訴が確定した。
 司法が「問題なし」とした国の安全審査は、大津波の危険を見過ごしていた。第2原発も第1原発と同様に津波で水没。外部電源が辛うじて1回線のみ無事だったため大惨事を免れたが、当時の第2原発所長は「炉心溶融と同様の事態になるまで紙一重だった」と認める。
 2019年11月、東北電力女川原発(宮城県女川町、石巻市)の周辺住民が再稼働に同意しないよう県と市に求める仮処分を仙台地裁に申し立てた。住民側弁護団長の小野寺は、重大事故を想定した広域避難計画の不備を主張し再稼働同意の可否を問うという、全国でも例のない構成にした。
 原発自体の安全性を争う通常の裁判は専門用語が飛び交い、素人は理解しづらい。「避難計画なら住民の視点で原発の是非を問える」と考えたためだ。
 仙台地裁は「避難計画に不備があったとしても再稼働同意の差し止めは法的にできない」と判断。20年10月、申し立て却下の決定が仙台高裁で確定した。
 「福島の事故が収束に向かったのは奇跡だった。これに報いなければ、次はもうないよ。落ち込んでいられない」。小野寺は今後の一手を思案する。(敬称略)
                   
 原発の稼働は是か非か、各地の法廷で応酬が続く。安全性にお墨付きを与え続けた裁判所の姿勢は、福島第1原発事故を経て変化も見られる。司法が果たすべき役割とは何か。原発裁判の過去と現在から考える。
          (「原発漂流」取材班) =第6部は5回続き


「原発漂流」第6部 揺れる司法(2)形骸/安全神話 判例生かせず
                         河北新報 2021年03月24日
 「今後の基準になる判決を書いたつもりです」
 2007年3月、在日英国大使館であった日英の法曹交流の立食会。ある男性が歓談中、かつて自らが関わった最高裁判決を振り返った。言葉を交わした弁護士海渡雄一(65)=第二東京弁護士会=は相手の照れ笑いから相当な苦労があったのだと感じた。
 男性は最高裁事務総局幹部の高橋利文(当時、故人)。四国電力伊方原発(愛媛県)の設置許可取り消し請求訴訟の上告審で、最高裁判事を補佐する調査官を務めた。海渡は1980年代から原発裁判に関わり、東京電力福島第1原発事故後は脱原発弁護団全国連絡会の共同代表に就いた。
 高橋が裏方として支えた92年の最高裁判決(伊方判例)は、国を被告とする原発訴訟で判断の枠組みを初めて示した。
 裁判所は国の安全審査の基準や判断過程に見過ごせない誤りや不足がないかどうかを「現在の科学技術水準」で調べる。全ての証拠資料を持つ国に主張と立証を求め、それができなければ違法な審査と判断する-という枠組みだ。
 裁判所が審査に重大な欠陥を認めれば、事故が起きるかどうかに関係なく原発の設置許可を取り消す。高橋は判例解説書で「同種訴訟はもとより『科学裁判』の重要な先例になる」と自負した。
 原告住民らの敗訴を確定させた伊方判例は「国策追従」と批判されたが、海渡は「今後に生かせる内容だ」と肯定的に捉え直した。それまでは裁判所の判断手法が定まりきらず、海渡ら弁護士も訴訟戦略の焦点を絞れずにいたためだ。
 「科学論争は裁判所の審理になじむか」「高度の技術的要素を含む行政行為を司法はどこまで判断できるのか」。76年10月の裁判官会同の記録には、原発裁判を担う各地の裁判官らが審理での戸惑いを吐露した発言が残っている。
 司法が事業者の申請の可否を判断する疑似審査のようなことをすれば行政の裁量を侵しかねない。一方で裁判所は判決を出さなければならない。伊方判例は、司法の立場で可能な限り原子力行政を監視するため編み出されたツールだった。

 苦心の末に構築された枠組みは、ほどなく形骸化した。94年、東北電力女川原発(宮城県女川町、石巻市)運転差し止め請求訴訟の判決で仙台地裁は請求を棄却。00年に最高裁で住民側敗訴が確定した。
 「当時は福島のような事故が起きるとは考えもしなかった」。一審裁判長の元判事塚原朋一(75)が振り返る。
 伊方判例に沿い、塚原は被告の東北電に安全審査の内容を詳細に説明するよう求めた。しかし、それは証拠集めに苦労していた原告住民側への配慮だった。判決に至る心証は早い段階で固まっていたという。
 その後も裁判所は安全審査の経過を確認すれば基本的に足りると考え、国や電力会社の言い分を認める判決や決定を出し続けた。判断の枠組みに、安全か危険かの実質面を肉付けすることはほとんどなかった。
 「結局は裁判所も安全神話に陥っていたんだと思う」。多くの原発訴訟で苦汁をなめてきた海渡は、伊方判例が十分に生かされなかったことを残念がる。(敬称略)