2019年3月6日水曜日

<原発のない国へ 事故8年の福島>(5)人手不足 商店再建に影

 東京新聞のシリーズ<原発のない国へ 事故8年の福島>の(5)では「人手不足」の問題を取り上げました。
 個人商店を再開した人たちは、住民が激減した中で事故前の状況とは異なる厳しい経営を強いられています。
 その一方で避難指示解除が進む地域では、広い駐車場を備え、食品スーパーやドラッグストアなどが入る大型商業施設の開業が相次いでいますが、そこでは店員の確保が難しいと言う問題が起きています
 シリーズ<原発のない国へ 事故8年の福島>は今回で終了です。
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<原発のない国へ 事故8年の福島>(5)人手不足 商店再建に影
東京新聞 2019年3月5日
 福島県楢葉町のJR常磐線竜田(たつた)駅近くで二〇一八年秋、菓子店「かんの家(や) 菓子工房」が営業を再開した。地元産のゆずを使ったケーキなど、趣向を凝らした自家製の品々が、七年半ぶりに店先を彩った。
 全町に出された避難指示は、一五年九月に解除された。店主の菅野(かんの)文弘さん(53)は、昨年十月に避難先のいわき市から戻った。
 「何とか軌道に乗ってきた」と話すが、客足は震災前の半分ほど。戻った住民は少なく、食品や日用品を扱う店の経営は厳しい。菅野さんは「子どもが減ったから、七五三やひな祭りの菓子もやめた」と話す。
 
 JR広野駅(広野町)前の商店街はシャッターが下りたままの店が目立つ。原発事故後も商売を続けた「渡辺金物店」では除染作業員がいたころ工具などがよく売れた。「繁盛したんだけど、今じゃすっかり落ち着いてしまった」と店主の渡辺正さん(86)。近所の呉服店や鮮魚店は、事故後に店を閉めた。
 
 ほとんど人通りがない商店街。「ひので美容院」から高齢の女性客が出てきた。母と二人で店を切り盛りする黒田つな子さん(58)は「地元のお年寄りがほとんどで、新しいお客さんは来ない」と嘆く。町の避難指示解除から間もなく七年。町商工会の一月下旬の集計で、町内百八十二の会員事業所の九割が地元で再開したというが実感できない。
 
 避難指示解除が進む地域では、広い駐車場を備え、食品スーパーやドラッグストアなどが入る大型商業施設の開業が相次いでいる。富岡町の「さくらモール」、楢葉町の「ここなら笑(しょう)店街」、南相馬市の「小高ストア」があり、浪江町には今夏、「イオン浪江店」(仮称)ができる。
 いずれの施設も、自治体が国の助成制度などで建物整備費や賃料を支援する。避難から戻ろうと考えている人たちの要望に応じ、住民の帰還を促したい自治体の思惑がある。
 
 だが、住民が少ないため、人手不足に直面している。ここなら笑店街に入る地元スーパーは当初、従業員を確保できないとして出店を断ったものの、地元の強い要望で折れたという。
 県商工会連合会浜通り広域指導センターの松岡洋文所長(54)は「パートやアルバイトの時給の相場は、事故前の倍の千五百円にもなっている。それでもなかなか働き手が見つからない」と気をもむ。
 人がいなければ店は成り立たず、店がなければ人は住まない-。険しい道が続く。 (宮尾幹成)
=おわり