福島原発事故で愛媛に避難した人たちが損害賠償を求めていた訴訟で、松山地裁が27日下した判決に対して、愛媛新聞が「原発避難訴訟賠償判決 国・東電は被害救済を拡大せよ」とする社説を出しました。
社説はまず判決が、津波が予見できてから東日本大震災まで8年以上あったにもかかわらず、国が東電に必要な指導をしなかったのは、「許容できる限度を逸脱して、著しく合理性を欠く」と厳しく断じたのは、原発事故を国、東電双方の長期評価の軽視が招いた「人災」と認めたのに等しいとしています。
そして、国と東電は事故の責任回避に固執するのではなく、これまでの判決を真摯に受け止め、避難者の救済策の拡充を急ぐべきだとし、特に高裁、最高裁と争えば司法での最終的な決着にはまだまだ時間がかかり、避難者の負担はさらに増すので、国は上級審の判断を待つことなく、指針の速やかな見直しに着手し、避難者に寄り添った救済の仕組みに知恵を絞るべきだと述べています。
判決が、いわゆる自主避難者に大きな差をつけたことには、理不尽に人生を変えられた人たちの厳しい現実から目を背けてはならないと警告しました。
如何に法治主義とは言え、不合理な法令をそのまま裁判所が認知・肯定してしまうのは、決して正義ではなく大いなる違和感を持たざるを得ません。
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社説 原発避難訴訟賠償判決 国・東電は被害救済を拡大せよ
愛媛新聞 2019年3月28日
東京電力福島第1原発事故で福島県から愛媛に避難した10世帯25人が損害賠償を求めていた訴訟で、松山地裁は国と東電の責任を認め、23人に計2743万円を支払うよう命じた。
全国で起こされた約30件の同種訴訟のうち10件目の判決。全てで東電に賠償が命じられ、国が被告となった8件のうち、6件目の責任認定となった。
原発事故に対し、国は法的な責任を負うのは東電だけ、との立場を取っているが、司法ではこれを否定する流れが定着してきた。全国で同種訴訟が相次ぎ賠償命令が続出する現状は、被害救済の不十分さを浮き彫りにする。今なお多くの人が、生活再建の道筋がつけられず、苦しんでいる。国と東電は事故の責任回避に固執するのではなく、これまでの判決を真摯(しんし)に受け止め、避難者の救済策の拡充を急ぐべきだ。
判決は、政府機関が2002年に公表した地震予測の「長期評価」に基づき、国と東電が原発の敷地高を超える津波の到来を、同年末には予見できたと判断。海水浸入を防ぐ工事によって事故を回避できた可能性を指摘した。津波が予見できてから東日本大震災まで8年以上あったにもかかわらず、国が東電に必要な指導をしなかったのは、「許容できる限度を逸脱して、著しく合理性を欠く」と厳しく断じた。
長期評価について、裁判所が「多数の専門家による検証を踏まえた客観的かつ合理的根拠を有する知見」として重視したのはもっともだ。国が東電に津波評価を試算させていれば、事態は違っていた可能性がある。判決は、原発事故を国、東電双方の長期評価の軽視が招いた「人災」と認めたのに等しい。
賠償額は国の指針を上回る額が認められたが、救済につながる額には遠かった。判決は避難指示解除準備区域などから避難した住民と、自主避難者との間に大きな差をつけた。
国の指針に基づく東電の賠償基準が、避難区域の内か外かで差をつけており、それに準拠した形だ。だが、いったん避難生活を始めれば、金銭的、精神的な負担は避難者に等しくのしかかる。東電の基準だと、自主避難者への賠償は総額12万円しか支払われない。原発事故がなければ避難する必要は全くなかった。理不尽に人生を変えられた人たちの厳しい現実から目を背けてはならない。
福島事故から8年。同種訴訟の原告は1万人を超え、中には偏見や中傷に苦しめられている人がいる。司法での最終的な決着にはまだまだ時間がかかり、高裁、最高裁と争えば、避難者の負担はさらに増す。国は上級審の判断を待つことなく、指針の速やかな見直しに着手し、避難者に寄り添った救済の仕組みに知恵を絞るべきだ。国は原発事故を防げなかった重い責任を忘れてはならない。避難者に本来の生活を取り戻してもらうことを第一に考えるべきだ。