2024年4月8日月曜日

08- 【霞む最終処分】(19)~(22)

 福島民報が断続的に掲載している「霞む最終処分」シリーズのバックナンバーを4編ずつ掲載して行きます。
 今回は(19)~(22)を紹介します。
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【霞む最終処分】(19)第3部「決断の舞台裏」 福島県外処分は「当然だ」 30年以内搬出法律に
                            福島民報 2024/02/08
 2011(平成23)年8月27日、福島県庁を訪れた首相・菅直人から東京電力福島第1原発事故に伴う中間貯蔵施設の県内設置を要請された知事・佐藤雄平は「困惑している」と不快感を示したが、明確な拒絶はしなかった。
 県内の一部市町村で除染作業が始まったものの、発生した大量の除染土壌の搬出先が決まっていないという事情があったからだ。空間放射線量を下げるために剥ぎ取った土は、小中学校の校庭などにも保管されていた。佐藤は不安を抱えながら通学する子どもたちの姿を思うと、胸が引き裂かれそうになった。「校庭などから持ち出し、どこかに集約しなければ、復興は進まない」との苦悩があった。
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 中間貯蔵の「定義」について政府から公に知らされたのは、それから2カ月後の10月29日だった。佐藤は環境相兼原発事故担当相の細野豪志から施設整備に関する工程表を手渡され、「除染廃棄物は中間貯蔵から30年以内に県外で最終処分する」と説明を受けた。
 口先だけの約束にさせてはならない―。佐藤には福島県が電力供給を通して日本の経済成長を支えてきたとの自負があった。只見川の大規模水力発電や、福島第1原発、福島第2原発で作られた電力は東京、埼玉、千葉、神奈川の1都3県に送られ、消費電力の約3分の1を担った。「国の発展を電力面で支えてきた福島が原発事故で汚された。除染廃棄物は国民の理解を得た上で、県外で最終処分するのが当然だ」との信念を抱いていた。
 佐藤は福島第1原発が立地する大熊、双葉両町をはじめ双葉郡の首長らと協議を重ね、2014年8月に苦渋の決断として「県外最終処分」を条件に中間貯蔵施設の建設を容認した。
 一方で、政府には「30年以内」との期限の法制化を要求した。人目を避けて知事公邸を訪ねてくる細野と、施設整備や法律での明文化に向けて意見を交わした。原発事故で未曽有の被害を受けた福島県のトップとして、復興への道筋を描くための正念場だった。2012年12月の政権交代後に環境相を務めた石原伸晃らとも交渉を重ねた末、2014年11月に中間貯蔵・環境安全事業株式会社法に記され、法的な担保を得た。
 佐藤は「中間貯蔵施設の受け入れと法制化は知事を務めた8年間で最も難しい判断だったが、自らの選択に間違いはなかったはずだ」と言い切る。
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 中間貯蔵施設への除染廃棄物の搬入は2015年3月に始まった。最終処分の期限まで現時点で21年余りだが、処分場をどこに設けるかは決まっていない。佐藤は「約束が果たされるまでの流れが見えない」と危機感を募らせる。
 最終処分量を減らすための再生利用の先行きも不透明だ。実現に向け、環境省が関東地方で計画している実証事業は手詰まり状態にある。
 佐藤は「国民への情報発信が全く足りていない」と、これまでの政府の対応に首をひねる。科学的に「安全」であっても、社会的な「安心」が醸成されない限り人々の懸念を拭うことはできないと訴え、「安全と安心は別物だ。国は法律の重みを意識し、責任を持って国民の理解を得なければならない」と行く末を注視する。(肩書は当時、敬称略)


【霞む最終処分】(20)第3部 決断の舞台裏 国策の犠牲にならない 地上権設定勝ち取る
                            福島民報 2024/02/11
 2014(平成26)年1月、福島県双葉町長の伊沢史朗は東京電力福島第1原発事故に伴う避難によって荒れ果てた町内の自宅で、復興相の根本匠に問いかけた。「双葉町は再び国策の犠牲になってしまうのですか」。中間貯蔵施設を町内に設置するかどうかの判断を迫られていた。町に立地する福島第1原発で未曽有の事故が起き、安全神話が崩壊した事態に不満を募らせていた。
 伊沢が双葉町長に就任したのは2013年3月。当時、中間貯蔵施設の候補地は楢葉、大熊、双葉の3町に絞り込まれていた。前町長の井戸川克隆は設置に反対の意向を示していたが、伊沢は「復興を考えれば、どこかは受け入れなければならない。政府は最終的には双葉町への設置を求めてくるだろう」と感じていた。本当なら反対したい―。しかし、町内外の除染で出る大量の土壌を他に受け入れる場所があるとは到底思えなかった。
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 候補地の一つだった大熊町の幹部も同じ葛藤を抱えていた。副町長の鈴木茂は、町長の渡辺利綱が苦悩する姿を目の当たりにしてきた。「復興のためを思うと、受け入れざるを得なかった。ただ、町民の反発は大きかった」と振り返る。
 2014年2月、県は中間貯蔵施設を大熊、双葉両町に集約する配置案を示した。伊沢は覚悟を決めた。渡辺とともに用地交渉を巡って環境省や県と激論を交わした。環境省は当初、用地を国有化する方針を掲げ、原発事故を理由に土地を事故前の半額程度で買い取る案を示した。担当者の態度は「上から目線」に映った。
 先祖代々受け継がれてきた土地を売るのをためらう町民は多かった。伊沢は借地権の一つ「地上権」の設定を認めるよう環境省に訴えた。大切な場所を手放さず、国の施策を注視する「切り札的な意味合い」があった。だが、環境省は首を縦に振らなかった。世代交代する時に相続手続きが難航しかねないことなどを理由に挙げた。
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 同じ年の夏、伊沢は根本と面会し「『日本一の迷惑施設』を受け入れるには国の支援が欠かせない」と本音をぶつけた。
 伊沢の熱意は政府を動かした。環境省は地上権の設定を容認。国は中間貯蔵施設交付金のうち計850億円を大熊、双葉両町に直接交付すると決めた。県は地権者の生活再建策などとして両町に計150億円を拠出するとした。伊沢は2015年1月、中間貯蔵施設の受け入れを町議会に報告した。「国の犠牲にはならない。国や県とぎりぎりの交渉を繰り返して決断した」と迷いはなかった。
 施設受け入れを決めた際、県と大熊、双葉両町は環境省と施設の安全確保に関する協定を結んだ。県外最終処分後の地域発展への願いが込められていた。(肩書は当時、敬称略)


【霞む最終処分】(21)第3部 決断の舞台裏 跡地の再興協定に明記 まずは県内の理解を
                            福島民報 2024/02/12
 大熊、双葉両町に東京電力福島第1原発事故に伴う中間貯蔵施設の設置が決まり、環境省と県、両町の4者は2015(平成27)年2月に施設の安全確保に関する協定を結んだ。環境省が除染土壌の搬入を開始した後、30年以内に県外で最終処分を完了させるために必要な措置を講じるよう明記されている。「第14条の5」には「県や大熊、双葉両町の意向を踏まえ中間貯蔵施設の敷地の跡地が地域の振興および発展のために利用されるよう、協議を行うものとする」と施設の跡地を地域振興に活用する旨が盛り込まれた。
 国が施設の跡地に再びにぎわいを取り戻すとの「約束」を明文化した形だ。「国には地域をまた活性化させる責任がある」。双葉町長の伊沢史朗は記載の意義を語る。協定の締結時、伊沢は除染廃棄物が県外最終処分された後の施設跡地の姿を思い描いた。「『観光特区』として国が支援し、多くの人が集まってくる」。国が跡地に県内外から人が集う仕組みをつくり、地域が再興するイメージが脳裏に刻まれた。
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 中間貯蔵施設の跡地を活用するには、県外での最終処分の実現が欠かせない。だが、現時点で最終処分場は決まっておらず、最終処分量を減らすための除染土壌の再生利用も見通せない。法律で定められた2045年3月まで残り21年余り。伊沢は最終処分に関する結論が見いだせなければ、約束の期限が延ばされてしまうのではないかと危惧する。「法律は政治判断で変わってしまう。そのようなことは許されない」とくぎを刺す。
 県外最終処分の実現には理解醸成が重要だと訴える。福島第1原発処理水の海洋放出を巡り、政府は漁業関係者らの理解を得られず対応に苦慮した。除染廃棄物をため込む「日本一の迷惑施設」の受け入れについて、並大抵の努力では国民の理解を得られないと主張する。「なぜ、県外最終処分が必要なのか。歴史や背景、経緯を丁寧に説明する必要がある」と語る。
    ◇    ◇
 施設受け入れの際、大熊町の副町長だった鈴木茂も理解醸成の取り組みが足りないと指摘する。「国がしっかりと責任を持ち、まずは施設がある地元を含む県内の理解度を高めるべきだ。県民から最終処分に向けた取り組みに理解を得られなければ、県外には波及しない」と見解を示す。
 中間貯蔵施設跡地が再び活性化するのを願い、県外最終処分に向けた国の動きに今後も目を光らせる。伊沢、鈴木は同じ思いを抱く。「法律で定めた以上、土地を提供した町民たちは期限内に県外最終処分を果たすと考えている。国は約束を必ず履行すべきだ」と、除染廃棄物が置かれている限り「被災地」を脱せないとの考えだ。(敬称略)
               =第3部「決断の舞台裏」は終わります=


【霞む最終処分】(22)第4部「実証事業の行方」 除染土使い農地造成 再生利用 全国拡大狙う
                            福島民報 2024/03/03
 かつて飯舘村長泥の中心地として商店や民家が立ち並んでいた十字路「長泥十文字」周辺に、なだらかな農地が広がる。東京電力福島第1原発事故に伴う除染で発生した土壌を使い造成された田畑は、本格的な営農再開の日を静かに待つ。
 村の南端に位置する長泥は村内で唯一、原発事故により帰還困難区域となった行政区だ。区域内に設けられた特定復興再生拠点区域(復興拠点)と、拠点外の長泥曲田公園は2023(令和5)年5月に避難指示が解除された。だが、現存する住宅は10軒ほど。住民の帰還は進んでおらず、暮らしの息吹は感じられない。
    ◇    ◇
 環境省は中間貯蔵施設(大熊町、双葉町)に運び込んだ大量の除染廃棄物の県外最終処分の実現に向け、処分量を減らすために土壌の再生利用を目指している。その足掛かりとして、2019年度から長泥で再生利用の実証事業を本格化させてきた。村内の除染土壌のうち1キロ当たり5千ベクレル以下の土を農地の盛り土として埋め立て、汚染されていない土を使い50センチの厚さで覆う。農地計22ヘクタールを造成する計画で工事を進めている。
 これまでに一部の農地でコメやコマツナ、キャベツなどを試験的に栽培した。作物に含まれる放射性セシウムは全て食品衛生法の基準値(1キロ当たり100ベクレル)を下回り、担当者は「安全性は確認できた」としている。
 2018(平成30)年度から2023年度末までに、長泥での実証事業に充てる予算は340億円程度。多額の予算を投じて進める長泥での成果を踏まえ、全国に再生利用を広げていく―。環境省は青写真を描く。
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 長泥の復興拠点案には当初、実証事業の農地は含まれていなかった。政府は長泥が村内の一行政区にすぎないなどの理由から、大規模な拠点整備には否定的だった。住民らで構成する長泥行政区は2017年8月、せめて交流の場所だけでも整備してほしいと、公民館周辺などの避難指示を解除する「ミニ復興拠点」の計画案を村に提出した。2ヘクタールほどの小さな拠点構想は、住民による妥協の産物だった。
 環境省は2017年4月から南相馬市小高区の仮置き場で除染土壌を使った試験盛り土を造成し、空間放射線量などを確認する実証事業を進めていた。村職員から事業の概要を聞いた当時の村長・菅野典雄は「荒れた土地を整え線量が下がるのなら、長泥で実証事業をやる価値はある」と直感した。
 村は長泥での実施を視野に、行政区との協議を本格化させ了承を得た。除染土壌の再生利用を実現させたい環境省、復興の在り方を探っている村、帰還への道筋を付けたい長泥行政区の思惑が一致した。
 同年11月、3者は再生利用の実証事業の実施に合意した。行政区長だった鴫原良友は「汚れた土の受け入れを歓迎する人はいないが、除染で放射線量が下がれば帰還につながる可能性があった。苦渋の選択だった」と明かす。(敬称略)
 東京電力福島第1原発事故に伴う除染土壌の再生利用に向けた実証事業は県内で一部実施されているものの、県外では行き詰まっている。それぞれの事情や思惑を探る。