2022年4月18日月曜日

18- 寿都町と神恵内村「核のごみ」対話の場、開始1年 中立性担保が課題

 核のごみの最終処分場選定に向けた文献調査が進む後志管内寿都町と神恵内村で、調査を担うNUMO原子力発電環境整備機構が住民との「対話の場」を始めてから丸1年が過ぎました。コロナ禍で開催回数は想定を大きく下回ったので11月にも終わる調査中は引き続き、核のごみの地層処分ありきの議論が進みそうです。また、地層処分を推進するのが使命のNUMOが対話の場の事務局となっていることでは、公平、中立を担保することは不可能に近いと指摘もあります。北海道新聞が伝えました。

 また、この問題を巡って町が2分されている寿都町の状態について、河北新報が報じていますので併せて紹介します。
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「核のごみ」対話の場、開始1年 中立性担保が課題
                           北海道新聞 2022/4/17
【寿都、神恵内】原発から出る高レベル放射性廃棄物(核のごみ)の最終処分場選定に向けた文献調査が進む後志管内寿都町と神恵内村で、調査を担う(NUMO)原子力発電環境整備機構が住民との「対話の場」を始めてから丸1年が過ぎた。コロナ禍で開催回数は想定を大きく下回り、これまで寿都では8回、神恵内では6回にとどまる。国やNUMO主導のため中立性を欠くとの指摘もあり、11月にも終わる調査中は引き続き、核のごみの地層処分ありきの議論が進みそうだ。
 経済産業省資源エネルギー庁放射性廃棄物対策課の下堀友数課長は3月29日、神恵内村で行われた対話の場の後、「緊急事態宣言などでなかなか開催できなかったが、毎回同じメンバーで顔を突き合わせ、互いに話しやすい関係をつくることはできた」と強調。NUMOの伊藤真一理事も「事業への忌憚(きたん)のない意見をいただき、対話の場の活動は良い方向に向かっている」と話した。
 NUMOは当初、2020年11月の調査開始直後にも初会合を開き、月1回の頻度で開催を重ねる計画だったが、コロナ禍で初回は21年4月にずれ込み、その後も開催延期が相次いだ。このため、議題は文献調査の進捗(しんちょく)や地層処分の方法、放射線の基礎知識などが続いており、NUMOが住民の理解を得るために重視する地域振興策の議論には入れていない。

 調査受け入れに伴う多額の交付金の活用策を模索する両町村も議論の進展を注視しており、神恵内村の高橋昌幸村長は3月9日の村議会で「村の持続的発展に資する取り組みの方向性を議論いただく場となるよう、運営を支援する」と地域振興策の議論開始を期待した。
 ただ、対話の場の委員は両町村ともそれぞれ住民20人程度。国やNUMOにとって「住民の意見や不安に向き合っている」という姿勢を示すアリバイ作りと指摘する住民もいる。
 今月7日に開かれた資源エネルギー庁の放射性廃棄物ワーキンググループの会合でも、メンバーの1人が「地層処分を推進するのが使命のNUMOが対話の場の事務局となっていること自体が問題だ。公平、中立を担保することは不可能に近い」と指摘し、第三者機関による運営に見直し、調査に反対する住民が推薦する専門家の参加も検討するよう求めた。


核のごみ、町を静かに分断 北海道・寿都 最終処分地巡りあつれき
                            河北新報 2022/4/17
 原発から出る高レベル放射性廃棄物(核のごみ)の最終処分地選定を巡り、原子力発電環境整備機構(NUMO)が北海道寿都(すっつ)町などで進めてきた全国初の文献調査が大詰めを迎えている。2020年11月の調査開始以降、町内は推進派と反対派に二分され、周辺町村ともあつれきが生じている。日本で原発が動き始めてから半世紀。核のごみ問題に一石を投じた小さな町の現在地を報告する。(東京支社・桐生薫子)
  【地図】調査に伴う交付金の配分状況

■表立って語られず
 新千歳空港から西へ180キロ進むと、弓なりに続く美しい海岸線が現れる。かつてニシン漁で栄えた寿都町は、寂れた漁師の家々と11基の風車群が同居する。
 「自然豊かな町で分断が起きている」。そう嘆くのは、元町議越前谷(えちぜんや)由樹さん(70)。昨年10月の町長選に文献調査の撤回を掲げて出馬し、調査推進派の片岡春雄町長(73)に破れた。
 人口2800の町で票差はわずか235。民意は真っ二つに割れながら、町内には調査への賛否を表す看板やのぼり旗は見当たらない。越前谷さんは「誰も表立って核ごみの話を口にしたがらない」と明かす。
 度々開かれるNUMOや町主催の説明会にも足を運ぶ町民は少ないという。
 ペンション経営槌谷(つちや)和幸さん(73)は「参加しただけで『あの人は推進派』と疑われる。調査を容認する店主がいる店は避け、わざわざ町外に買い物に行く人もいる。目に見えない『心の分断』だ」とうつむく。
 町の将来を左右する課題でありながら論争に至らない原因は、調査受け入れに当たっての意思決定プロセスにある、と越前谷さんは指摘する。
 町が調査への応募検討を表明したのは20年8月。賛否を問う町議会全員協議会は非公開で行われ、最終的に片岡町長が「肌感覚では賛成が多い」と応募に踏み切った。町民が直接請求した住民投票条例案は議会の反対多数で否決された。
 前のめりな姿勢は人口減に伴う財源縮小への危機感からだ。今後5年間で2億円前後の経常利益を生む町営風力発電事業は、その後に固定価格買い取り制度(FIT)が期限を迎え、売電価格の大幅な下落が見込まれる。最終処分地の調査で得られる電源立地地域対策交付金は魅力的だ。
 片岡町長は「概要調査まで進めば計90億円が入る。交付金を活用して新たな産業を創出したい」と語る

■周辺町村と摩擦
 したたかな戦略は周辺町村との間にも摩擦を生んだ。20年12月、島牧村が核のごみ持ち込みに反対する「核抜き条例」を制定すると、黒松内、蘭越両町も追随した。島牧村は周辺町村で洋上風力発電の誘致を目指す協議会からも脱退した。
 核のごみは安全性はもとより、風評被害が地域一帯に及びやすい。そのため国は交付金の一部を「地域の実情に応じて近隣自治体や都道府県に配分することができる」と取り決める。
 実際、寿都周辺3町村と道は交付金の配分を拒否。調査初年度の交付金10億円のうち、7500万円を受け取ったのは北海道電力泊原発に隣接する岩内町のみだった。寿都町と並行して文献調査が進む神恵内(かもえない)村の周辺も、対応が割れた。
 越前谷さんは「原発の恩恵がある自治体だけが受け取った。再稼働の見通しが立たず税収が厳しいようだ」とみる。
 これまでの経緯を「若干、独断的な側面があったかもしれない」と省みる片岡町長は、概要調査に進む前にその是非を問う住民投票を行う方針に転換した。
[高レベル放射性廃棄物(核のごみ)] 高レベル放射性廃液を固めたガラス固化体を地下300メートル以深に地層処分し、約10万年間隔離する。自ら手を挙げた北海道寿都町と、国の要請を受け入れた神恵内村で原子力発電環境整備機構(NUMO)による文献調査が進む。3月には大まかなデータの収集が完了し、調査開始から丸2年となる11月を目安に適地かどうかを判断する。概要調査に進む際、国は知事や市町村長の意見に反して先に進んではならないと定めている。

■「金目当て」と批判浴び苦悩

■片岡春雄町長に聞く
 高レベル放射性廃棄物(核のごみ)最終処分地の文献調査が進む北海道寿都町の片岡春雄町長がインタビューに応じた。「交付金目当て」との批判を浴び、苦悩した心境を吐露。寿都、神恵内(かもえない)村に続く第3の候補地が出てこない現状に苦言を呈し、国の積極的な関与を求めた。
 -調査開始から間もなく1年半となる。
 「核のごみ問題に一石を投じたいとの思いがストレートに報道されず、犯罪者のような扱いを受けた。『金欲しさにきれい事を言っている』と。海外と比べ日本はどこも候補地に挙がっておらず、スタートボタンを押すべきだと考えた」
 -調査の是非を巡って町内で分断が起きた。
 「私は割れたと思っていない。反対派が大きい声で騒いでいるだけ。一般の人は住民生活の知恵と言うのか、おとなしくしている。住民投票を見送ったのは、後に町長選も控えていて自分の責任で全部やろうと考えたからだ。若干、勇み足だったかもしれない」
 -周辺町村が「核抜き条例」を制定し、交付金の受け取りも辞退した。
 「もっと冷静になるべきだ。交付金を辞退した町村は、もらいにくい雰囲気があったのだろう。どこも財政は大変な状況で、私が逆の立場なら文句を言われても受け取りたい。首長の性格によるものが大きい」
 -文献調査で「適地」とされた場合の対応は。
 「若い世代や高齢層など年代別に分けて町民と対話する場を設ける。1年ぐらいかかるだろう。概要調査前の住民投票は2023年度中には実施したい」
 -道は00年に核抜き条例を制定し、「道内に核のごみは受け入れ難い」とのメッセージを発した。
 「あくまで『宣言』条例だ。鈴木直道知事が条例を根拠に突っ走るなら、全国にいい恥さらしになる。道は北海道電力泊原発の交付金を受け取っている。全部国に返還する根性があるなら、私は何も言わない」
 -寿都、神恵内に続く候補地が出てこない。
 「全国の適否を地図上に色分けした『科学的特性マップ』をなぜ作ったのか。国はどこが最も可能性があるのか知っているはずだ。頭を下げて調査をお願いすればいい。手上げ方式でリーダーに責任をかぶせるやり方は見直すべきだ」
 -国は原子力政策を先送りする傾向がある。
 「東京電力福島第1原発にたまる処理水の海洋放出や、青森県六ケ所村の核燃料サイクル事業も同じだ。国は結論を分かっている。必要なことは言うべきだ。日本人は少し優しくなり過ぎたのではないか」