失敗学の提唱者である畑村洋太郎東大名誉教授が、「“日本型エリート思考”の限界を3.11の原発事故に見た」という記事を現代ビジネスに掲載しました。
大いに読み応えのある報文です。
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“日本型エリート思考”の限界を3.11の原発事故に見た
畑村 洋太郎 現代ビジネス 2022/6/7
「決められた正解を素早く出す」ことが優秀な人とされた時代から「自ら正解をつくる」ことができる人の時代へ。「正解がいくつもある時代」になった今、自分たちで正解をつくっていく必要がある。そして自分たちで正解をつくるとは、仮説ー実行ー検証を回していくことにほかならない。そのためのポイントを丁寧に解説、これから私たちが身につけるべき思考法を明らかにした書籍『新失敗学 正解をつくる技術』から注目の章をピックアップしてお届け。
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【写真】“優秀”なだけでは生き抜けない、正解がたくさんある時代へ
東大工学部で感じた違和感
私が東京大学に入学したのは1960年のことです。その後、機械工学科修士課程を出てから日立製作所に就職しましたが、2年後に助手として大学に戻り、2001年に定年で退官するまで30年余、工学部で教員生活を送りました。
私が所属していた東大工学部は、優等生がゴロゴロいました。もちろん百人いれば数人は、「こいつは本当に頭がいい」と感じる、ものごとの本質を突き詰めようとするタイプもいましたが、大部分がいわゆる優等生タイプでした。たしかに頭の回転は速く優秀ではあるのですが、ものごとの本質を突き詰めて考えるというより、自分がいかに早く正解を出せるか、そして知識量の多さを競うような学生が多かったのです。
そして優等生が大部分だった当時の東大工学部を覆っていた雰囲気もまた、とにかく正解が外にあるのだから、それを持ってきてうまく使おうという、いわば「便宜主義」でした。
その典型的な例が原子力発電です。東大原子力工学科は、私が入学した1960年に設立されました。日本初の原子力発電所による試験発電が63年、初の商用発電が66年ですから、ちょうど私の学生時代は日本の原発の黎明期に当たります。
私は当時、原発はすごいものだなと思っていました。原発の試験発電と同じ1963年、関西電力の社運をかけて建設された黒四ダムが、7年の歳月と171人の殉職者を出しながら完成します。このときできた水力発電所の出力が33万5000キロワットでした。一方で日本初の商用軽水炉として66年に着工し、70年に発電を開始した日本原子力発電の敦賀発電所一号機が、一基で35万7000キロワット、その後は一基70万キロワットを超える原発がどんどん建設されていくわけですからエネルギー量がケタ違いです。
日本にとってエネルギーをどのように確保するかは、明治以来ずっと続く大きな課題です。唯一の原爆被爆国である日本でも、原子力を「平和利用」すればエネルギー問題が解決できる、原発こそ夢のエネルギー源だと考えたのは、とてもよく理解できます。
しかしその反面、原子力畑の人が言っているロジックには、なにか危うさも感じていました。原発が本当に安全なのかという議論は当初から頻繁にされていました。それに対し原子力畑の人たちは、原爆と原発とは構造も違うし、何重にも制御できる仕組みがあるから絶対大丈夫ということを言い続けてきました。
しかし、ものごとの本質を考えれば、ウランという原子量が非常に多いものを使っていることは、原爆も原発も変わりありません。物質の構造で見ると、原子量が多いということは、たくさんの素粒子同士のつながりがあって、そこにエネルギーがたくさん蓄積されているということです。だから、その蓄積されたエネルギーを取り出して使えば、少ない材料から大きなエネルギーを得ることができるという考えです。
先進国の米国がやり始めたことだし、とても便利なものだし、安全も確保される(はずだ)し、放射性廃棄物などの難しい問題は後から考えよう――、こうした考え方は便宜主義そのものです。そうした考え方には当時から違和感を感じてきました。
原発事故に見る日本型エリート思考の限界
2011年3月の東日本大震災における福島第一原発事故は、このような便宜主義の限界を示した大事故でした。私は当時の政府から事故調査委員会(いわゆる政府事故調)の委員長を依頼されて、約1年3ヵ月の間、この事故の調査を行いました。
福島第一原発には6つの原子炉がありました。大事故に至ったのはこのうちの3つで、それぞれ状況は違いましたが、原子力発電において最も重要な「原子炉を冷やす」という機能を失ったことで問題が発生した点は同じでした。ここでは細かな説明は省きますが、冷却できなくなった核燃料は、自身が発し続けた熱で溶けて圧力容器の底に落ち(メルトダウン)、やがて外側の格納容器にまで漏れ出した(メルトスルー)のです。その際、大量に水素が発生して建物内に充満し、これが爆発を起こして建屋を含む周囲を激しく破損しながら大量の放射性物質を外部に放出しました。
周辺ではこの放射性物質による汚染はいまなお続き、事故現場では建物全体を封じ込めることで大気への放出は抑えられているものの、冷却用に使われている水の処理がいまでも大きな問題になっています。国際原子力事象評価尺度(INES)において最悪のレベル7(深刻な事故)に分類されていますが、これは史上最悪の原発事故とされている1986年のチョルノービリ原発事故(旧ソビエトで現在はウクライナ)と同じ評価です。
福島第一原発の事故では当初、地震による大きな揺れを感知して自動停止した原子炉の冷却機能は維持されていました。地震の影響で外部からの電源供給が途絶えたものの、非常用の発電機が正常に働いていたからです。ところが、その後押し寄せた津波による浸水によって非常用の発電機が使えなくなり、「原子炉を冷やす」という重要な機能が失われました。これが致命傷となって、史上最悪の重大事故が引き起こされてしまったのです。
非常用の発電機が津波による深刻な被害を受けたのは、敷地内で最も低い、地下に設置されていたからでした。当初の想定では、その場所でも津波による被害は及ばないと考えられていましたが、実際に到達した津波の高さは想定をはるかに超えていました。もちろん非常用の発電機をあらかじめどんなに高い津波がやってきても影響を受けない場所に設置していたら、あのような重大事故が発生することはなかったでしょう。関係者は事故発生後、悔やんでも悔やみきれない思いでいたことでしょう。
ではなぜ、非常用の発電機を津波の影響を受けやすい地下などに設置していたのでしょうか? 津波の高さこそ想定外だったとはいえ、あらかじめ津波による被害を想定していた場所です。備えとしては念のため想定外の高さの津波がやってきても被害を受けない場所に設置しておくべきと考えるほうが自然です。むしろそうしていなかったことが不思議でした。
結論から言うと、米国から技術を日本に持ち込む際、知識が中途半端に伝わったことによる悲劇でした。私は政府事故調の活動を通じて、福島第一原発だけでなく日本中の原発が非常用の発電機を地下に置いていたことを知りました。その理由は政府事故調の期間ではわからなかったのですが、その後、さらに調べている中で、米国から原発の技術が持ち込まれたときに、本質的な議論もなしに、形だけの知識が伝わったものであることをある人から教わりました。
米国と日本の決定的な違い
米国ではなぜ、地下に非常用発電機を設置していたのか。それは、米国ではいちばんの脅威が、「津波」ではなく「竜巻」だったからです。
米国はもともと竜巻被害の多い国です。2021年12月にも中西部や南部を襲った竜巻で90人以上の死者が出たことが大きく報道されました。竜巻がやってきて仮に風速100メートルの暴風に襲われたとすると、竜巻の通り道にある木々や建物は鋭利な刃物で切られたように吹き飛ばされてしまいます。それらを巻き込んだ強風は、大きな破壊力を持っているので、たまたま通り道になっていたりすると、原発の建物やその中にある各種の重要な設備が破壊されてしまうかもしれません。原発本体は頑丈なつくりになっているので耐えられたとしても、冷却に必要な電力を供給するシステムや非常用発電機が破壊されると重大な事故につながりかねないので、これらを最も安全な地下に置くことで安全を確保していたわけです。
ところが日本に原発の技術が伝えられたとき、安全確保に関するこの重要な知識の中身は正確に伝わりませんでした。あるいは途中で消えてしまったということかもしれませんが、いずれにしても結果として残ったのは「重要な設備は地下に置く」という中途半端な知識だけでした。この知識は竜巻から守るためなら有効なものの、日本の原発が想定し、備えていなければいけなかった津波への対策としては、明らかに不適切なものでした。
このように、「ある地域・ある時代の人たちにとっては自明であるがゆえに明文化されず伝えられることもない重要な知識がある」ということも、失敗学では重要な知見の一つです。いちばん大事なことは、常識としてみんなの頭の中に入っているので、文章化されないことがあるのです。
福島第一原発では、もともとの海岸段丘を掘削して立地のレベルを下げ、その地下に非常用電源を設置しています。平地の確保、海水を冷却水として利用しやすくするためといった理由はあるのでしょうが、津波が予測される日本の海岸に設置される原発にとって、いちばん必要なことは何か、という観点からは、ナンセンスとしか言いようがありません。
事故調では、なぜそのようなことをしたのか調べましたが、当時の経緯について触れた資料はまったく残されていませんでした。資料が残されていない以上、当時技術を導入した人たちが、どこまで考えていたかは詳細にはわかりません。しかし、「先進国の米国で行われていることだから間違いないだろう」という意識が働き、思考停止していたのではなかったかと推測しています。
私はここにも正解を持ってくればいい、正解を持ってきてそのままあてはめればいいという優等生型の思考の限界を感じます。
「正解」がはっきりしている場合は、そのまま正解を頭にインプットすれば問題はありませんし、非常に効率的です。しかし「正解」がわからない場合、「正解」自体が間違っている場合も、実際の世界には数多くあるのです。
こうしたときには、本質的には何が重要なのか、根本を突き詰めて考える必要があります。非常用電源を地中に入れておけば「正解」という思考には、本質的に何が重要なのかについて考えた形跡はまったくないのです。
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『新失敗学 正解をつくる技術』は好評発売中。特別公開では、公開できない思考法も満載です。
はじめに
第1章 正解がない時代の人材とは
第2章 すべては仮説から始まる
第3章 失敗を捉えなおす
第4章 仮説の基礎をつくる
第5章 仮説をつくる三つのポイント
第6章 仮説を実行する
おわりに
畑村 洋太郎