2021年10月16日土曜日

震災後、最初で最後の「登校」 大熊中に別れ惜しむ

 福島第1原発から約3キロ南西にある福島県大熊町の町立大熊中校舎は来月から解体工事が始まり、一帯には太陽光発電のソーラーパネルが敷かれます。15日、事故当時の在校生や保護者が初めて校舎に立ち入り、教室に残った学用品を持ち出しました事前に、町役場が東電社員のボランティアと散乱した動物の糞などを片付けました。

 学校開放は19日までで、当時2年生だった馬場さんは「やっと来られてよかった。でも最初で最後なのはさみしい」とつぶやきました。
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震災後、最初で最後の「登校」 帰還困難区域の大熊中に別れ惜しむ
                         毎日新聞 2021年10月15日
 東京電力福島第1原発が立地する福島県大熊町の町立大熊中で15日、事故当時の在校生や保護者が初めて校舎に立ち入り、教室に残った学用品を持ち出した。帰還困難区域にある校舎は来月から解体工事が始まり、一帯には太陽光発電のソーラーパネルが敷かれる。当時の在校生は勉強や部活に明け暮れた日々を思い出しながら校内を巡り、がらんとした教室や体育館には笑い声が響いていた。
 大熊中は第1原発から約3キロ南西にある。東日本大震災のあった2011年3月11日は午前中に卒業式があり、地震発生時に約370人の在校生は下校済みだった。体育館やホールはその夜に近隣住民の避難所になったが、翌日に原発事故による避難指示が町全域に出て、町民全員が町外に散り散りに逃げた。今も町域の大半で避難指示が解除されていない。
 幼稚園からの幼なじみで、当時2年生だった遠藤優華さん(24)、馬場由希保さん(25)=いずれも福島県郡山市在住=は教室を見たあと体育館へ。バレーボール部の練習や文化祭、先輩の卒業式など思い出が詰まった場所だ。「ここで卒業したかったね」「うん」。
 「祝卒業証書授与式」の横断幕やグランドピアノは放置され、植木鉢に入った祝いの花は枯れ果てていた。暖房器具を囲むように置かれたパイプ椅子や毛布も残り、壁の時計は地震発生の2時46分付近で止まっていた。
 教室や廊下には地震で散らばった掲示物や上履きがそのまま残っていたが、机の上や廊下は比較的きれいだった。町役場が東電社員のボランティアと散乱した動物の糞などを片付けたという。この日は当時の在校生や教員ら20人が訪れ、黒板に「ありがとう大熊中」「きました」と書き残したり、思い出のノートを持ち帰ったりしていた。
 学校開放は19日まで。馬場さんはつぶやいた。「やっと来られてよかった。でも最初で最後なのはさみしい」【尾崎修二】