福島県内の自動車整備工場にある洗車用の汚水浄化槽の汚泥は、2014年11月の時点で、半数以上の施設で、1キログラム当たり8千ベクレルの基準を上回る放射性物質を含有していたことが5日、業界3団体への取材で分かりました。
整備工場は福島県内に1700カ所あるので、洗車汚泥は推計で数千トンになりますが、この2年間、国と東電は対策を先送りして来ました。
それにしてもなぜ2年間も国民に知らされず対策も講じられずに放置されていたのでしょうか。事実上の報道管制です。
「日々雑感」氏は、放射物質の汚染から住民を守る立場を貫いて国や都県は放射能汚染の実態と中間処分地の位置図などを公表して、危険が住民の暮らす地域にないかなどを、報せる必要があるとしています。不都合なことを隠蔽するのではなく、真に「国民の生活が第一」の政治に回帰すべきだと述べています。
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国や都県は放射能汚染の実態を公表せよ
日々雑感 2016年11月6日
<福島県内の自動車整備工場にある洗車用の汚水浄化槽に汚泥がたまり、一部で国の指定廃棄物基準(1キログラム当たり8千ベクレル超)を7倍上回る最大5万7400ベクレルの放射性物質を検出していたことが5日、業界3団体への取材で分かった。
東京電力福島第1原発事故当初に車に付着した物質とみられる。整備工場は県内に約1700カ所あり、「洗車汚泥」は団体側の推計で数千トン。国や東電は対策を先送りしてきた。
団体側は県内全域をカバーする民間初となる独自の中間処理場新設計画案をまとめ、環境省などと協議を急いでいる。
3団体は日本自動車販売協会連合会など。汚泥があふれないよう手作業でくみ上げる工場が続出し、団体側は「健康被害の恐れがある」と不安を訴えている。工場では汚泥の保管容器の置き場所も不足している。
1700カ所は国の認証工場。厳しい排水規制を受けており、洗車で生じた汚水を垂れ流さないよう1トン前後の容量がある浄化槽「油水分離槽」を工場の床下などに設置。汚水をためて有害物質を沈殿させ、残りを排水している。
第三者機関によるサンプル検査結果(2014年11月)によると、浄化槽36基の汚泥から、4万3200ベクレルの放射性セシウム137(半減期30年)を含む最大5万7400ベクレルを検出。国の指定基準を超えたのは19基で半数超を占めた。
サンプル検査後、満杯の浄化槽から汚水が逆流し、工場が浸水する事例が発生。さらに調査したところ、300工場余りが満杯状態か満杯になる恐れがあり、うち約200工場ではひしゃくを使って汚泥を保管容器にくみ上げていたことが判明したという>
〔以上「共同」より引用〕
福島県内の自動車整備工場の浄化槽に整備車両に付着していた汚泥がたまり、そこから基準値の7倍を超える放射能が検出されたという。第三者機関で検査した36基の浄化槽の内19基から国の基準値を超える放射能が検出されたという。自動車整備工場以外にも放射能汚染された浄化槽ははたくさんあると思われる。
記事では福一原発事故直後の放射能が溜まったかのような書き方をしているが、現在も福一原発から放射性物質の噴出が止まっているわけではない。溶解した核燃料が地底に溜まり、時々臨界に達していると思われる。つまり断続的に「核分裂」を繰り返していると推測され、その都度膨大な放射性物質が噴出している。
溶解した核燃料は地下水に水没しているようだから、放射性物質の多くは水に溶解し、安倍氏が主張した「完全にコントロール」できていない現状では汚染水となって海に流れ込んでいると思うしかない。
しかし放射性物質が今も地上に少しも降り注いでいないとはいえない。いかにして放射性物質の拡散を防ぐか、放射性物質をいかにして処分するか、放射物質の汚染から住民をいかにして守るか、国や都県は放射能汚染の実態と中間処分地の位置図などを公表して、危険が住民の暮らす地域にないかなどを、報せる必要がある。
福一原発から飛散した放射能被曝に関して六十を過ぎた老人はあまり関係ないが、乳幼児や妊産婦、さらにはこれから婚姻、出産などを予定される子供たちや若者たちは、成長による分裂の活発な細胞や生殖細胞が放射能によって影響を受けないように放射性物質と触れない環境で暮らすべきだ。
日本の未来を守るためにも、今を生きる我々大人の責任は甚大だ。放射能汚染の実態を隠し、上記記事でも浄化槽の汚泥の放射能汚染状態は2014年に解っていたものが、二年後の今になって記事として出てくること自体が「報道管制」を政府が実施しているのではないかと疑念を抱く。まるで戦中の大本営発表と何ら変わらない状態に日本のマスメディアは今もあるのではないかと思わざるを得ない。
使用済み核燃料棒は全国の原発の燃料プールに満杯状態だという。それらは電源喪失によりいつでも臨界に達する。全国の何処でに福一原発事故が明日起こっても不思議ではない状態に、現在の日本はある。そうした状況に導いたのは原発を推進した電力各社と政府の責任だ。
再稼働ではなく、原発の安全な幕引きに政府と電力各社は知恵を絞り、実施工程を国民に示すべきだ。高い防潮堤を築造したから安全だとか、避難訓練したから安全だとか、そうした「想定内」の安全宣言など原発に限っては無意味なことを福一原発事故は教示した。
TPPといい原発といい、日本政府は「国民の生活が第一」の政治を実施していない。彼らは日本国民に対してではなく、米国の1%のための政治に突き進んでいる。世界は米国の1%が主導したグローバリゼーションから「国内向き」の政治へとパラダイムを転換している。日本も真に「国民の生活が第一」の政治に回帰すべきだ。そのためにはマスメディアが国民の知る自由を確保しなければ始まらない。深刻な健康被害が顕在化しだしてから放射能被曝の実態を「こうだったのだ」と知らされても手遅れだ。そうした未必の故意を日本のマスメディアは犯しつつある、という認識を持っているのだろうか。