2016年11月19日土曜日

泉田前新潟県知事が明かす「不出馬の真相」(現代ビジネス)

 新潟県知事選は、柏崎刈羽原発の再稼働問題で泉田前知事の路線を継承する米山隆一氏が当選して一応事なきを得ました。
 しかしそのこととは別に、四選を目指して出馬を準備していた泉田氏がなぜ直前になって立候補を断念したのかの謎は解けていません。
 ライターである河野正一郎氏がそのことに関して57時間にわた泉田氏へのインタビュー新潟県内の関係者への取材に基づいて、「現代ビジネス(2016年11月16日)」に「不出馬の真相」に関する記事を発表しました。謎が解明されたというわけではありませんが、前知事が理由の9割を占めているとする「新潟日報 泉田知事攻撃キャンペーン」の骨格についてはかなりのヒントが与えられます。
 長文ですが以下に紹介します。
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泉田裕彦・前新潟県知事が明かす「不出馬の真相」ついに重い口を開いた 
河野 正一郎 現代ビジネス 2016年11月16日
ライター)                        
いまも解けない謎
原発再稼働の慎重派が劇的な勝利を収めた新潟県知事選(10月16日投開票)には、いまも解けない謎が残っている。事前に圧勝するとみられていた泉田裕彦知事(当時)が、突然立候補を辞退した理由だ。
告示を約1ヵ月後に控えての出馬辞退は何の前触れもなく、一報をキャッチした地元マスコミは騒然となった。
出馬を辞退した理由について、泉田氏は「県の第3セクター事業をめぐる報道で、地元・新潟日報が誤報を繰り返し、訂正を申し入れても黙殺される。私が候補者でいると、知事選で本来議論されるべき原子力防災などが争点にならない」などと説明した。しかし、その出馬辞退理由を額面通りに受け止めた人は少ない。
 
私は泉田氏の真意を聞きたいと思い、9月初めから、新潟市内にある県知事公舎や東京都内で計5回7時間にわたり泉田氏にインタビューし、新潟県内の関係者にも取材した。
立候補をとりやめた背景に何が渦巻いていたのか。取材を始めた当初は口が重かった泉田氏も、新知事への引継ぎをほぼ終え、新たな新潟県政がスタートしたいま、少しずつ本音を吐露し始めた。
 
「川に浮かびますよ」
――突然の出馬辞退について、いまでも疑問を抱いている有権者は多いと思います。そもそも、立候補を辞退するのではなく、候補者として街頭に出て、新潟日報の報道の問題点や不満を直接有権者に訴えればよかったのではありませんか。
「県内で圧倒的なシェア(6割、約43万部)を持つ新潟日報の前では無力ですよ。県の第3セクター問題をめぐって、新潟日報の読者投稿欄に『県は説明責任を果たすべきだ』という趣旨の投稿が載ったので、すぐに県としての返答を新潟日報社に出した。でも、その返答は黙殺されて掲載されない。以降、誤った情報が載るたびに新潟日報に訂正を申し入れても対応しようとしない」
 
…と、ここまではどこかで読んだ話である。泉田氏は京大法学部卒の理論派。そう単純な答え方はしない。
深く突っ込んだ質問をすると、口を開きかけて「あっ、これはまだ言わないほうがいいな」と笑い出したり、「これ以上話す必要ありますか?」などと言ったりして、口が堅い。なかなかの「聞き手泣かせ」だが、ニュアンスや表情の端に真実が潜む。
 
――新潟日報が県からの申し入れを黙殺するというのは、確かにアンフェアな印象を受けます。
「この報道で知事の首を取る、という企てが新潟日報にあった、と他の報道機関の人から聞きました。報道機関がプレーヤーになってはいけないと思います」
――出馬撤回の理由は新潟日報との対立がすべてですか。
「9割は、そうですね(ニヤッと笑う)」
――ということは「残りの1割」があるんですね。
「……」
――「1割」の中身は何ですか。
「いろいろありました……(天井を見上げる)。ある報道機関の人が、取材先から『これ以上取材するとドラム缶に入って川に浮かぶよ』と警告を受けたという体験談をしたあと、『知事も気をつけてくださいよ』と言われたこともありました」
――物騒な話ですね。
「知らない車にずっとつけられたこともありました」
――なにか脅迫めいていませんか。
「誰がしたことかわかりませんから、確定的なことは言いません」
  
原発とともにあった12年間
「出馬辞退の9割を占める」という、県の第3セクター事業をめぐる新潟日報の報道については後述するとして、まずは泉田氏の当時の立場を整理しておきたい。
新潟県には東京電力の柏崎刈羽原発がある。1~7号機合わせた出力(約821万キロワット)は世界最大規模だ。泉田氏が知事に初当選して4年目の2007年、中越沖地震が起きて2、3、4、7号機が停止した。このとき原発内で火災が起きたが、原発内部にある緊急対策室と県庁を結ぶホットラインは通話できなかった。緊急対策室の扉が地震で開かなくなったためだ。
 
泉田氏はこう語る。
「肝心なときにホットラインが使えないなんて困る、と東電に対応を求めた。その結果、強い地震に耐えられる免震重要棟が柏崎刈羽原発にできました」
――免震重要棟が建てられたのは、柏崎刈羽原発だけだったのですか。
「最初はそうです。同じ東電の施設なのに福島には建てられず、新潟だけに(免震重要棟が)建てられた。これはおかしい、という話になって、福島原発にも免震重要棟が完成しました。東日本大震災が起こる8ヵ月前のことです」
――もし福島第一原発に免震重要棟がなかったら……。
「いま東京に人が住めていたか、怪しいと思います」
 
発電の燃料コストを少しでも抑えたい東電は、東日本大震災から2年半後の2013年9月、6、7号機について安全審査を申請、来年初めには合格するとの見方もあった。しかし安全審査に合格しても、即座に再稼働にゴーサインが出るわけではないし、地元自治体の理解なしに再稼働は認められないのが通例だ。
新潟県知事だった泉田氏は、東電に対し「福島第一原発事故の検証と総括がないまま再稼働の話はできない」と再稼働について高いハードルを設定してきた。そのため首都圏の電力を支える柏崎刈羽原発を再稼働させたい政府、東電、原発メーカーら「原子力ムラ」からすれば、泉田氏は「天敵」とも言える存在だった。
泉田氏と東電の「対立」は、最後まで解消されなかった 
 
東電関係者によると、泉田氏が知事選出馬の辞退を表明した8月30日の夕方、東京・内幸町にある東電本社には、出馬辞退を報じる新潟日報夕刊のコピーがファクスで届くと、社内で驚きの声が上がったという。翌31日、東電ホールディングス株は一時前日比12%値上がりした。
泉田氏が出馬辞退を決めた「残り1割の理由」とは、この原発再稼働をめぐるものなのだろうか。
あるとき、取材を続ける私に泉田氏の周辺者がこう話しかけてきた。
「最近になって、泉田さんの周辺を国税が調査していたらしいんです」
 
国税が調査していた?
この周辺者によると、調査された痕跡があるのは、泉田氏のカナダの口座だという。通産省(当時)の官僚だった泉田氏は1993~94年にカナダの大学の客員研究員を務めた。通産省はこの大学と2~3年ごとに人事交流をしており、泉田氏のほかにも通産官僚が代々、同じ客員研究員を務めていた。
泉田氏は当時の生活に使っていた口座(預金額約200万円)をカナダに残したままにしており、この口座の管理をカナダ在住の日本人男性に任せていた。その男性のもとに、2015年冬、カナダの銀行のマネージャーから電話があったというのだ。
 
「カナダの銀行のマネージャーを名乗る人が突然電話してきて、泉田さんの口座のことを聞きました。ほかの官僚のことは聞かなかったので不思議に思いました」
この男性によると、通産官僚は辞令が出ると、部屋の整理をしないまま帰国してしまう。だから、部屋の家具や家賃を精算した残りの現金を銀行に預け、通帳を保管していた。他の数人の通産官僚の通帳も持っているという。
決して高額とはいえず、しばらく資金移動もしていない泉田氏の銀行口座をカナダの金融当局が狙い撃ちする理由があるだろうか。
東京地検特捜部など捜査機関が政治家を逮捕する事件に着手する場合、まず国税庁が調査を始めるのが、ごく一般的だ。日本の捜査機関からカナダの金融機関に照会があったとも考えられる。
 
後日、泉田氏に「周辺に国税の調査が及んでいたようですね」と尋ねると、彼はニヤッとして、話した。
「元通産官僚と東電が癒着していると思われるのは心外だし、私は東電には厳格に接してきたから、カネについては普段から身ぎれいにしていた。カナダの預金は、毎年の資産公開でも明らかにしている。痛くもない腹をさぐられ、薄気味悪かった」
仮に国税の調査だったとしても調査の意図はわからないし、そんな調査ぐらいで知事を辞めるのか――。そう考える読者もたくさんいらっしゃるだろう。
 
私の手元に1冊の本がある。元福島県知事・佐藤栄佐久氏が著した『知事抹殺 つくられた福島県汚職事件』(平凡社)。佐藤氏はもともと原発容認派だったが、その後立場を変え、福島第二原発でのプルサーマル(プルトニウムを使ったMOX燃料による発電)の導入を認めなかった。
すると、「闘う知事」として知られた5期18年目の2006年、実弟がからむ贈収賄事件が発覚し追及を受け知事を辞任、収賄容疑で逮捕された。事件の詳細は省くが、懲役2年、執行猶予4年の有罪判決が確定している(2012年、最高裁第1小法廷)。
不可思議なのは、判決で認定されたワイロ額が「0円」だったことだ。異例の司法判断について、佐藤氏は著書の中で、実弟を取り調べた検事が「知事は日本にとってよろしくない。いずれ抹殺する」と言ったというエピソードを検事名を特定して記している。佐藤氏からすれば、「国策に反発した政治家は無理矢理にでも政界から追放される」と言いたかったのだろう。
 
泉田氏もそんな立場だったのだろうかー。私はいたずらに、「国策捜査」などといった謀略論を主張するつもりはない。だが過去に、「元公安調査庁長官が逮捕された事件(2007年)など明らかに国策捜査とみられる事件はあった」(元東京高検検事の郷原信郎氏)という見方もある。
ならば泉田氏が「薄気味悪さ」を感じるのも無理はない。
 
新潟日報「泉田追及報道」の背景
さらに、泉田氏が「出馬撤回の9割」と指摘した新潟日報による「日本海横断航路のフェリー購入問題」も奇々怪々である。
経緯を簡潔に説明すると、新潟港の貿易拠点としての価値を上げたい新潟県と新潟経済界が、首都圏とロシア・ウラジオストックを結ぶ最短経路として日本海横断航路を計画した。官民が出資してつくった第3セクターの子会社が昨年8月末にフェリーを購入したが、速度不足で運行に適していないことが判明。購入準備のために県が出資した3億円がムダになる可能性が出てきた、という話だ。
 
新潟日報は、資本金の65%を県からの出資に頼る第3セクターとその子会社は県の支配下にあったから、フェリー購入のトラブルは県に責任があるとして、今年7月中旬以降に連日報道した。
一方の県は、第3セクターからフェリー購入を知らされたのは購入契約後で、船が運行に適していないことは知らなかったと主張。新潟日報の報道に対し、県側は7月18日から9月15日までの間に、「憶測にもとづく一方的な記事だ」などと12回の訂正申し入れをする事態になった。
県民の間でも、知事選直前の新潟日報の報道に対し、「意図的な泉田おろしではないのか」という声が上がり、ネットでは「新潟日報は東電から広告をもらって東電の意向に添って『泉田おろし』を始めた」といった書き込みが相次いだ。
 
『電通と原発報道』(亜紀書房)を著した元博報堂社員で、原発立地県の地方紙をチェックし続けている作家の本間龍氏によると、新潟日報には今年になって、15段全面広告2回、5段広告(紙面の下3分の1程度の広告)2回の東電広告が載ったといい、東電からの広告料は、公開されている料金表で計算すると約800万円とみられるという。
今年3月の株主総会で示された資料によれば、新潟日報社の2015年の純利益は約7億7千万円。2012年以降の純利益は7~9億円で推移している。本間氏はこう話す。
「東電から支払われた広告料が新潟日報社の経営を左右するものとは考えにくい。もっと巨額の広告費をもらっている地方紙もある。この程度の額なら東電の意向に添って『泉田おろし』報道をしたというのは、考えすぎだろう」
一方で本間氏はこうも指摘する。
「新潟日報は原発立地県の地方紙としては反原発の動きも書き込む公正な新聞だと思っていたから、一連のフェリー問題報道はかなり一方的な書き方で驚いた。執拗な『泉田おろし』報道に見えた」 
 
キーマンを直撃
なぜ、ここまで泉田氏と新潟日報の関係がこじれたのか。
知事周辺者によると、泉田氏が新潟日報社の小田敏三社長と最初に出会ったのは12年前、初当選した知事選の告示数日前のこと。新潟駅前の寿司屋で約2時間歓談したのちの別れ際、ほろ酔いの泉田氏に、当時編集局次長だった小田氏は「新潟日報はあなたを応援しませんから」と言ったという。泉田氏は親しい人に、その時のことを「一気に酔いが覚めた」と漏らしている。
 
こう聞くだけでは訳のわからない話だが、ベテラン県議がこう解説してくれた。
「12年前の知事選では、自民と公明が、総務省の官僚(当時)と泉田氏のどちらを候補者にするかで調整作業をしていて、新潟日報は泉田氏とは別の人を推していたんだよ。結局は泉田氏が候補者になったんだけどね」
複数の新潟日報社の関係者からは、こんな話も聞いた。
2006年、岐阜県庁の裏金問題が発覚した。1992年度からの9年間にカラ出張などで計17億円の裏金を作り、官官接待などに使っていたというもので、当時の県庁幹部が費用を弁済した。
泉田氏は2003年から翌04年まで、経産省から岐阜県新産業労働局長に出向中で105万円の返納を求められたが、「裏金作りや使用に関与せず、赴任時に裏金は組合に移されていたので存在すら認識していない」などとして返納に応じなかった。
複数の関係者の話によれば、この一件を引き合いに出して、小田氏は、社内で多くの記者を前にこう言ったという。
「とんでもない人物が知事になっていた。辞めさせないといけない」
 
また、そもそも新潟日報がフェリー購入問題を連日報道した背景には、フェリー問題を統括していた森邦雄・前新潟県副知事(今年3月に退任)のリークあったのではないかという見方が根強い
実際、「週刊エコノミスト」(毎日新聞出版)は9月27日号で「泉田新潟知事が4選出馬撤回 不祥事“弾劾”に2人の森氏の影」との見出しで、今回の新潟県知事選の候補者となった森民夫・前長岡市長と並んで、前副知事の森邦雄氏に触れ、「新潟日報が泉田氏の責任を追及するのは報道機関として当然だ。ただ、キーマンとも言える森・前副知事の責任を問う報道はほとんどなかった」と意味深な書き方をしている。
 
私は知事選投開票日の翌10月17日朝、森(邦雄)氏を直撃した。
――新潟日報に詳細な情報を漏らしたのは森さんだという見方がありますが。
「そんなことを言う人もいるらしいけど、まったくの濡れ衣ですよ」
――小田さん(新潟日報社社長)とは、夫婦2組4人で一緒に海外旅行に行くほど親密だという話も聞きました。
「まあ、古くからの知り合いなのは確かです」
――今年3月に副知事を辞めた後も、小田さんと会いましたか。
「小田とは何回か会っているが、そんな話はしません。フェリー問題の話なんてしません。お互い立場はわきまえていますから」
――新潟日報が書いているフェリーの記事について、泉田さんは誤報があると言っていますが、森さんはどう見ていますか。
「いやあ、誤報やミスリードがだいぶ載っている。フェリー問題は県政の最重要課題というわけでもないのに、新潟日報はなんであんなに大げさにフェリー問題を書いたんでしょう。あれでは『泉田おろしのための報道』と言われても仕方ない気がします」
 
いったい誰が、新潟日報にフェリー問題の情報をリークしたのだろうか。
泉田氏との出会いや岐阜県庁裏金問題が発覚した後の言動、フェリー購入問題の報道などについて、知事選の投開票日直後、10項目の質問を記した封書を小田社長宛に配達証明郵便で送付したが、一切返答はなかった。
改めて11月2日に電話で、回答をもらえないか新潟日報社に尋ねると、「責任者がいない」との答えで、電話で対応した女性は「折り返しの電話をします」と言ったが、その後、着信はなかった。そのため、私はこの原稿に関係者の話を引用したものの、小田社長の発言の真意や真偽はいまだ確かめられていない。
 
分からないこともある。だが…
泉田氏に聞いた。
――地方紙社長と知事という立場だから定期的な会合があってもおかしくないと思う。小田社長とは会っていましたか。
「もちろん公の場で会うことはあるが、取材目的も含んだ少人数で酒を酌み交わすような会合は12年前にあったきり。前任の高橋(道映)社長からはよく誘われたが、2014年に小田さんが社長になってからは一切ない。誘われたこともないので。知事から報道機関の社長を誘うと、圧力と受け取られかねないでしょ」
 
泉田氏は私の顔を見据えて、半ば呆れたような口調だった。
新潟日報のウェブ版「新潟日報モア」は泉田氏の出馬辞退について、「選挙態勢整わず 本紙に責任転嫁」という見出しで、かつての支持基盤である自民党や業界団体が離反したと指摘し、「支持基盤が瓦解(がかい)。選挙を勝ち抜く態勢は十分に整わず、出馬断念に追い込まれた」と記した。
だが、泉田氏はこう反論する。
「県政への評価や事前の調査結果は知っていたので、選挙については心配はしていなかった」
 
――そのことは再稼働に慎重な候補が当選した実際の選挙結果が証明しているとも思えます。いま新潟日報に言いたいことはありますか。
「フェリー購入問題についてちゃんと論争しませんか、と言いたい。私は知っていることは正直に答えています。だから、新潟日報も間違いがあったら認めて謝ってもらいたい」
福島第一原発の廃炉費用分担や東電の経営問題が議論される中、今回の新潟県知事選の結果は、安倍政権の解散総選挙戦略にも影響したと言われている。新潟県内の政治力学にも重大な影を落としたと言えそうだ。
泉田氏と新潟日報のバトルに、第二幕はあるのだろうか。