先週開催された第3回「高速炉開発会議」で高速実証炉の開発方針の骨子が示されました。それは2018年に約10年間の高速実証炉開発計画を策定するというものです。
「もんじゅ」の廃炉を決めてからまだ3カ月で、技術的、資金的、社会的に実証炉開発が可能かどうかの検討がなされたわけではないのに、やみくもに「原型炉」(=「もんじゅ」)を次の「実証炉」に進めようとするものです。
要するに失敗作の「もんじゅ」は止めざるを得ないが高速炉の開発は続けるということを、経産省、文科省、電気事業連合会、原子炉メーカーなど、原子力ムラの役所と企業ばかりが顔を並べる会議で決めたわけです。『先ず高速炉開発ありき』というこわけです。まさに「無意味」と「ゴマカシ」を絵に描いたようなもので、高速炉開発に伴う利権は離さないことを仲間内で確認し合ったに過ぎません。
この数十年間、「核燃料サイクル」という言葉が躍って来ました。しかしその内容については、抽象的な説明らしいことは行われて来ましたが、本当にキチンと説明できる人はいないのではないでしょうか。それはそもそも「核燃料サイクル」などではないからです。
辛うじてそれらしい説明ができるとすれば、それは高速増殖炉(もんじゅ)が安定的に動くことが前提となりますが、数十年の歳月と1兆円余りの費用を掛けた挙句、「実証炉」に移行できる成果は得られませんでした。
そこで起きたことは、高速炉がようやく臨界に達した途端に管路に取り付けられた計器用取出し部分が液体ナトリウムの流動に伴う「腐食?」を起こし、液体ナトリウムの流出⇒火災 が発生しそれっきり停止したのでした。ご丁寧にその時に例の隠蔽体質もメディアに見破られたためにその後の展開が取れなくなりました。
核燃料サイクルが資源利用や廃棄物処理の面で意味を持つためには、高速炉が実現し、使用済み燃料を再処理し再び高速炉で燃やすというサイクルの輪がきちんと回り、経済的にも見合うものであることが必要ですが、このサイクルに経済的メリットが何もないことは早くから証明されていました。
また肝心の高速増殖炉に関しては、液体ナトリウムを使いこなす技術が未開発でそれを炉の冷却材に使用するのは危険極まりないがために、先進各国は数十年前に高速炉から離脱したのでした。仮に高速増殖炉の開発に成功したとしても、そんな危険極まる装置が普及することは考えられないし、そもそも核兵器の原料となり地上最大の毒素であるプルトニウムを量産する装置に有用性はありません。夢の装置どころか反人道的な装置ということになります。
原子力ムラはなぜそんな装置にしがみつこうとするのでしょうか。自分たちの利権を守るだけの動機で高速炉に固執するのは許されません。リサイクルを前提にすることで「使用済み核燃料をゴミの扱いではなくて資源にできる」からというのは、二重、三重の欺瞞です。
毎日新聞、東京新聞、しんぶん赤旗が社説で高速炉開発への固執を批判しました。
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(社説)高速炉開発 あてのない無駄遣いだ
毎日新聞 2016年12月5日
新しい高速炉の開発は「実験炉」 「原型炉」 「実証炉」 「実用炉」と段階を経て進められる。今、廃炉が検討されている「もんじゅ」は高速増殖炉の原型炉だ。
ほとんど運転実績がないまま「もんじゅ」が廃炉になれば、実証炉開発への道筋が途切れたと考えるのが常識だろう。当然、高速炉の存在を前提とする核燃料サイクルそのものを見直す以外にない。
ところが政府は「もんじゅ」抜きでも実証炉の開発を進め、サイクルを維持する方針で、計画の具体化を進めようとしている。これでは、成果が得られないまま税金をつぎ込んできた「もんじゅ」の二の舞いになるだけだ。
先週開催された政府の第3回「高速炉開発会議」では国内に造る高速実証炉の開発方針の骨子案が示された。2018年に約10年間の開発計画を策定する予定という。しかし、「もんじゅ」の見直しを決めてからまだ3カ月で、技術的、資金的、社会的に実証炉開発が可能かどうか具体的検討がなされたわけではない。
政府は「もんじゅ」を廃炉にしてもフランスの高速実証炉「ASTRID(アストリッド)」計画に参加することで日本の実証炉開発が維持できると主張している。だが、「アストリッド」は実現するかどうかもわからず、「もんじゅ」とは炉のタイプも異なる。たとえ実現しても、具体的に日本がどのような技術を獲得でき、実証炉開発にどう結びつくのか、はっきりしない。
もともとフランスは「アストリッド」開発に必要なデータを「もんじゅ」で得ようと共同研究を進めてきた。「もんじゅ」が廃炉になれば他国との共同研究を探るだろう。一方で高額の開発費を日本と折半したいとの意向も示している。日本は資金を出すだけに終わるのではないか。
そもそも、核燃料サイクルが資源利用や廃棄物処理の面で意味を持つのは、高速炉を実現し、高速炉で燃やした後の使用済み燃料を再処理し、再び高速炉で燃やすというサイクルの輪がきちんと回り、経済的にも見合うようになった時だけだ。その見通しはフランスでも立っていない。
これほど実現性の見えない核燃料サイクルに日本政府がこだわるのはなぜなのか。原発から出る使用済み燃料を、「ごみ」ではなく「資源」として青森県に貯蔵するための方便だとすれば、別の解決方法を探った方がいい。
福島第1原発の廃炉費用や賠償費用が膨れあがっていることと考え合わせれば、これ以上、あてのない労力と資金をかける余裕は日本にはない。一刻も早く立ち止まって、原子力政策を根本から見直すべきだ。
<社説> 高速炉開発会議 サイクルは切れていた
東京新聞 2016年12月7日
増殖炉がだめなら高速炉、「もんじゅ」がだめなら引退した「常陽」を引っ張り出せばいい。そんな簡単なものなのか。核燃料サイクルの輪は、二十年以上も前に切れていた。もう元には戻せない。
何か勘違いしてないか。
そもそも「高速炉開発会議」という名称が、おかしくないか。
トラブル続きで働けず、「金食い虫」の汚名をまとう高速増殖原型炉の「もんじゅ」(福井県敦賀市)。第一に問われているのは、そのもんじゅを中心とする核燃料サイクルの “進退” だ。
多くの人は “引退” 、つまり廃炉を求めている。
たとえばもんじゅ、あるいは核燃料サイクルの対策会議というなら、まだ分かる。
開発会議の議論は、明らかに核燃料サイクルの存続が前提だ。
経済産業省と文部科学省、電気事業連合会、そして原子炉メーカーなど、核燃料サイクルを維持し、原発を存続させたい役所、企業ばかりが顔を並べるメンバー構成からも、あからさまなほどに明らかだ。
核燃料サイクルを断念すれば、使用済み核燃料は、ただのごみ。青森県六ケ所村の関連施設で保管してもらえなくなり、宙に浮く。核のごみに対する世論の風当たりが強くなり、原発の再稼働に支障を来す。だから断念はしたくない-。思惑が透けて見えるようではないか。
ところが、エネルギーを増やしてくれる増殖炉、もんじゅなしではサイクルはなりたたない。
高速炉は核のごみを燃やす単なる“バーナー”だと言う学者もいる。家庭ごみの焼却処理を「リサイクル」と呼ぶ人はいないのと同じである。
核のごみの処分技術を研究するのはいい。だが、六ケ所村の再処理施設も、もんじゅ同様、莫大(ばくだい)な国費を投入し、歳月を費やしながら、失敗と稼働延期を繰り返す。もんじゅを廃炉にするのなら、当然、核燃料サイクル全体を断念すべきではないか。
もんじゅは、科学の夢だった。だが、核燃料サイクルが破綻したのは現実だ。これ以上、傷を深めるべきではない。
立地地域の福井県や青森県ともよく話し合い、もんじゅと核燃料サイクルをまず円満な“引退”に導くべきだ。
そして、核のごみの処分をどうするかという緊急課題に議論を切り替えて、正面から取り組むべきである。
(主張) 高速炉開発計画 核燃料サイクルから撤退こそ
しんぶん赤旗 2016年12月7日
安倍晋三政権が、高速炉開発方針の骨子を明らかにしました。核燃料サイクルの推進と高速炉開発のために、もんじゅ(福井県)の活用を含むロードマップを2018年までに策定します。年内にも原子力関係閣僚会議で基本方針を決めるといいます。
方針は、福島原発事故の収束もできないまま、高速増殖炉もんじゅの失敗にも懲りずに、核燃料サイクルに固執し、新たな原発の開発に突き進もうというものです。
新たな無駄遣い事業
原発の使用済み燃料を再処理してプルトニウムを取り出し、核燃料として再利用するのが、核燃料サイクルです。その中核施設が高速増殖炉であり、ウラン資源を桁違いに有効利用できるとされてきました。
しかし、高速増殖炉もんじゅは、ナトリウム漏れ・火災事故や約1万件の点検漏れなど事故・事件を繰り返してきました。高速増殖炉開発の失敗と核燃料サイクル路線の破たんは明らかです。
もんじゅには約1兆円の国費が投じられており、巨大事業の失敗と無駄遣いの典型として、国民的な批判の的となり、政府も「廃炉を含めて抜本的に見直す」ことを余儀なくされました。
ところが政府は、もんじゅ見直しと同時に、新たな高速炉開発を表明しました。高速炉は技術的には高速増殖炉と同様の原子炉です。もんじゅ失敗などこれまでの原子力開発に対する根本的反省もなく突き進めば、新たな無駄遣い事業となることは必至です。
政府は、再処理の際に、半減期の長い他の物質も取り出し、プルトニウムとともに高速炉で燃やせば、核のゴミの減容化・有害度低減にもなるといいます。この構想を実現するには、建設中の再処理工場とは異なる設計の再処理施設が必要です。高速炉の使用済み燃料という新たな核のゴミも生じます。技術的な見通しもなく、「絵に描いた餅」にすぎません。
政府が核燃料サイクルに固執するひとつの動機は、原発再稼働の条件整備です。
いま国内には、約1万8千トンの使用済み燃料があります。原発を再稼働させれば、使用済み燃料は際限なく増え続けます。その処理ができなければ、平均6年程度で貯蔵限界に達し、原発も稼働できなくなります。この矛盾をごまかすために、使用済み燃料が「ゴミ」ではなく「資源」であるかのように描きたいのです。
そもそも再処理は、燃料棒に閉じ込められている放射性物質を強酸で溶かし出し、有機溶媒で処理するため、火災・爆発や臨界事故の危険を伴う工程です。多大なコストをかけてあえて危険な事業を進める必要はありません。プルトニウムは核兵器の原料そのものであり、核兵器保有国を除けば日本以外に商業用の大規模再処理施設を持つ国はありません。
原発ゼロこそ責任ある道
安倍政権は、もんじゅ廃炉と核燃料サイクルからの撤退を決断すべきです。
使用済み燃料をどう処理するかは、真剣な研究と国民的合意形成が必要な問題です。原発を再稼働させ使用済み燃料を増やすことは、あまりにも無責任です。原発再稼働を断念し、「原発ゼロ」をただちに決断することこそ、責任ある道です。