2016年12月26日月曜日

誰の責任だ 原発が爆発したからだ

 私たちは原発事故からの避難者に対して偏見を持っていないつもりでいても、避難者の皆さんの心情までは理解し切っていません。被災者たちにしても、きっとそんなに簡単に吐露できるような状況には置かれていないでしょう。
 少なくとも そうしたことを絶えず意識する・・・そういうことに努めたいものです。
 自主避難者の「よう氏」のツイッターが「晴耕雨読」に掲載されましたので紹介します。
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誰の責任だ? 原発が爆発したからだ この野郎
よう氏 ツイッターから     
(晴耕雨読 12月25日より転載)
次の住居を探さなきゃいけないなんて裕福地帯に紛れこんでしまったのだろう家賃給料の半分持っていかれるじゃないか。
生活基盤がやっと出来上がったばかり。
便利を取るか貯蓄を諦めるかそもそも何の為にここに居るんだ選んだのは自分。
誰の責任だ?
原発が爆発したからだこの野郎 
 
避難しなかった層の一部の方々は福島知事が自主避難者に対応する必要はないと声高に叫ぶ。
いまだに被災者同士の分断に乗っかってる。
5年前と何ら変化はない。
自主避難して迷惑かけたか?
言われる筋合いは全く無い。
 
本格的に困ってる方々は生きるのに必死でツイッターですら声を出せない 
原発避難関係の事は毒にはなっても、薬にはならないと判断したので避けていたのですが「自主避難者への中傷」にトラウマスイッチがあるようで…それを打破する為に書きますね。
避難関係の事呟くの何年ぶりだろうか。
あまりにも理解の無い人が多すぎるなぁと感じました。
 
自主避難者の一意見 仕事有り。
原発補償も無い無収入状態で、どうやって生活できると言うのでしょうか。
自主避難の理由は事故直後、避難命令が出たからです。
ですが原発から30km内の避難区域から外れ、僅か500mの距離の差で30.5kmのグレーゾーンに値し、一ヶ月で避難解除となりました。
 
実家が第一次産業の仕事でしたので、放射能被害を考慮し、稼業を辞める事を決断。
その時点で無収入。
避難所を転々とたらい回しにされ、避難移転数は総数7回。
世帯人数が多かったので一時期は家族バラバラに避難していた時期もありました。
避難先を転々と移動、現在の仮住居に至る。
 
避難後しばらく後から貰えた僅かばかりの事故補償、それと貯蓄を切り崩しながら就職活動と並行で資格を3つ取得、就職出来たのは2年め。
避難移動期間も含め、原発事故から3年近く経過していました。
唯一頼りの綱だったのが無償住宅。
家賃が浮いた分を無きものとし、全て次の移動の為の貯蓄に回しました。
 
事故直後、家族がぼそっと話した一言、「今は被災者として扱われているけれど、4、5年もしたら被災者には見られなくなる。矛先はこっち側に向かってくるからな。」
現に、その通りのようです。
問題なのは、そんな事よりもこれから先のこと。
有り難いことに偶然にもとても恵まれた環境に住まわせて頂き感謝ですが、まさに5年め、やっと安定した矢先にまた移動しなければなりません。
 
この辺りに住み続けるには平均家賃は○○万円ほど。
人口密度過多で少しでも安い物件がどんどん決まっていく。
世の中本当に不景気なのか?と錯覚すら覚えます。
お金は寂しがりだから、お金のあるところに集まる。
というような光景をたくさん目にしました。
 
ただ、はっきりと言えるのは、私みたいなケースばかりじゃないってこと。
自主避難により、年齢的に難しく再就職困難な方や、持病、母子家庭で生活困窮しながら生活している人も実際に居るってこと。
なぜそういう人達に思いを寄せられないのだろう、なぜ、非難ばかり一人前なのに想像すら出来ないのだろうか。
 
原発事故で死んだ人は居ないと言い切ってる人達、実際に生活出来なくて首を括られた人、孤独死した人、そういう人が何人もいるのに。
上から言葉を投げ掛ける人達、自分が同じ立場に、無になってしまったとしたら同じ言葉が言えるのだろうか。
報道では都合が悪いからやらないか、載ってもほんの小さな片隅に追いやられてる記事。
復興復興の文字で隠れてしまった。
 
ネットでどんな言葉も投げ掛けるのは簡単。
投げ掛けた先には体温のある、血の通ってる人間がいてどんな人が目にするのかわからない。
自分が見たときに、心が軽くなるような言葉に思いを馳せたいし、自分自身もそうありたい。
正直者が馬鹿を見るような世の中は間違ってるし、努力した者が救われる世であってほしい。
その為にはまず自分自身、そして縁ある周りの人達のささやかな幸せから願っていかなきゃ。ね