西日本新聞が、川内原発の再稼働を黙認した三反園鹿児島県知事の数々の発言を紹介しました。
脱原発の旗手として華々しく登場した筈でしたが、同紙の記事を読むと唖然としてしまいます。
一つ一つが実に意外で、こうまで鮮やかに裏切ることのできる人であったのかという思いにかられます。
北海道新聞の社説も併せて紹介します。
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「私の記憶には定かでない」鹿児島知事の発言、物議 川内1号機運転再開
西日本新聞 2016年12月9日
再び原発が動きだすこの日も、明確な言葉はなかった-。九州電力川内原発1号機が運転再開した8日、鹿児島県の三反園訓(みたぞのさとし)知事はその是非について最後まで判断を示さなかった。7月の就任時に「県民が不安に思う原発はいったん停止すべきだ」と言い切った姿から事実上の原発運転容認。それは説明責任を尽くさぬままの「脱原発」政策の転換にも映る。知事の本心はどこにあるのか。反原発派には失望と憤りが広がる。
運転再開が迫る同日夕、県庁で取材に応じた知事。「運転しようがしまいが、原発はそこにあり続ける」。2度にわたり九電に即時一時停止を要請した人物とは思えない言葉だった。
「私の記憶には定かでない」と言い放ち、物議
判断を語らない最大の理由は、安全性などを検証する専門家組織「原子力問題検討委員会」が未設置であること。「専門家に安全かどうか検証してもらい、私が判断したい。早くつくりたいが、県議会の承認が必要だ」という理屈だ。
その検討委も、当初から運転再開に間に合わせる意思があったのか。今月1日の県議会では「検討委は、運転再開どうのこうので設置するわけではない」と答弁。その後、反原発派の識者を入れるという反原発団体との約束について「私の記憶には定かでない」と言い放ち、物議を醸す。
「無責任としか言いようがない」
この日、記者団から「本当に記憶に定かでないのか」と問われた知事は、こう説明した。「時代は流れているから。賛成反対ではなく公平公正という基準で選ぶことにした」
検討委設置で政策合意し知事選出馬を取りやめた反原発団体代表の平良行雄氏ら約30人はこの日、川内原発前で運転再開への抗議集会を開いた。自らの言葉で再開の是非を語らない知事に平良氏は嘆く。「言い訳ばかりで判断から逃げたいだけじゃないか。無責任としか言いようがない」
川内原発と知事 「権限はない」と言うが
北海道新聞 2016年12月11日
定期検査で停止していた九州電力(九電)の川内原発1号機(鹿児島県薩摩川内市)が8日、運転を再開した。
鹿児島県の三反園訓知事は事実上、再開を容認した。
7月の県知事選で、川内原発の一時停止を公約に掲げ、再稼働に同意した現職を破ったのが三反園氏である。
なのに就任後、九電に2度、即時停止を要請して断られると、以降は停止に向けた対応をしていない。それに関する県民への十分な説明もないままだ。
公約と、現時点での対応が大きく違っている。知事は少なくともその理由を丁寧に説明すべきだ。
川内原発1号機は昨年8月、東京電力福島第1原発の事故後の新規制基準に適合した原発として、全国で初めて再稼働した。
もともと、全国でも火山のリスクが高いとの指摘がある原発である。加えて今年4月、隣県の熊本で活断層のずれを原因とする大規模な地震が発生し、住民の不安は高まった。
にもかかわらず、九電は川内原発付近の活断層について、熊本地震による影響を調査していない。
活断層の状況は再稼働に向けて調査済みで、原子力規制委が「妥当」としているとの理由だ。
規制委は、最新の知見を入れて安全対策を絶えず見直す必要性を強調している。ならば九電は熊本地震の後も、自ら活断層を再調査するべきだった。
知事選での三反園氏勝利の背景には、こうした九電に毅然(きぜん)と対応してほしいとの期待感があったのではないか。
それだけに、当選後の姿勢には首をひねらざるを得ない。
三反園氏は、反原発団体が推した候補予定者と政策合意を交わして一本化に成功。「原発に頼らない社会を目指す」と訴えた。
ところが、九電に停止を拒否されると「私に稼働させる、させないの権限はない」と言い始めた。
確かに、知事には原発を止める法的権限はない。
しかし、公約を棚に上げたような発言をしては、支持した県民が置き去りになりかねない。
主張を変えたのならば、その経緯と理由をきちんと説明し、有権者の理解を得る努力をするのが当然である。
知事には原発事故時に、最前線で住民を守る責任がある。原発を稼働させるか否かについて、民意を踏まえた上で知事が判断できる仕組みが求められる。