2017年5月14日日曜日

14- 浜岡原発「立地で恩恵」半数 市民アンケート(上・下)

 静岡新聞は、「浜岡原発再稼働問題アンケート」の前編で事故時の避難の問題を、後編でこの半世紀に浜岡原発の立地が地元にもたらした影響についてまとめています。
 浜岡原発が立地する御前崎市は、1974年に「電源3法交付金」制度が始まって以降42年間で535億円を交付され、同病院、市民プール、図書館、小学校などの公共施設の建設に充ててきましたが、ここにきて施設老朽化が進み、その維持管理費が市財政に重くのしかかる現実が生まれているということです。
 かつてはそうした要因が次々と原発を増設する推進力になっていましたが・・・
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浜岡原発事故時「避難先知らない」7割超 市民アンケート(上)
静岡新聞 2017年5月12日
 中部電力浜岡原発(御前崎市佐倉)について同市在住・在勤者を対象に静岡新聞社が11日までに実施したアンケートで、重大事故に備えた広域避難計画で定めた避難先を知らない回答者が7割を超え、原子力災害対策の住民周知への課題が浮き彫りになった。行政が実効性の高い計画をつくっても、肝心の住民が知らなければ無意味で、県原子力安全対策課は「関係市町と相談し、今からできる対応を検討したい」と危機感を高める。
 
 避難計画は原発から31キロ圏11市町の約94万人が対象で、5キロ圏内に位置する御前崎市の住民は周辺より先に、原子力災害単独の場合は浜松市へ、南海トラフ巨大地震などとの複合災害時は長野県まで避難する。「即時避難が必要な立地市住民がすぐに初期行動を取れないと、周りに影響が波及し、大混乱に陥る」。県危機管理監を務めた岩田孝仁静岡大防災総合センター教授は調査結果に懸念を強める。
 県が県外避難先の市区町村約350カ所を公表したことを受け、県計画と別に必要な市町版計画を策定したのは今のところ御前崎市のみ。ただし、同市も全市民対象の説明会をまだ実施していない。避難先自治体だけ決まっても、見知らぬ土地で目印になる「避難経由所」や避難ルートなどは未定で、山崎雅樹同市危機管理課長は「現状では住民に具体的な話ができず、逆に不安をあおるのでは」とためらいを見せる。
 
 原発停止中でも使用済み核燃料が施設内にある限り重大事故が起きる可能性はある。周辺市町では御前崎市以上に避難計画への認知度が低いことも予想され、県担当者は「県計画の内容が住民に浸透しない状況が長引くのは好ましくない」と問題を認識する。
 岩田教授は「計画の実効性を確保するには、難問が山積している」とした上で、「策定過程から住民と情報共有して一緒に解決策を考える行政姿勢が、生活不安を解消し、計画の認知度を向上する近道になるのでは」と提言する。
 
 <メモ>浜岡地域原子力災害広域避難計画では、自家用車での避難が原則。5キロ圏は全面緊急事態で一斉避難を開始し、5~31キロ圏は屋内退避後、空間放射線量率が基準に達した地区ごと多段階避難を行う。複合災害時は関東、甲信、北陸地方の都県まで向かう。今回調査で避難時の不安を複数回答可で聞くと、「避難生活の長期化」が55・3%で最も多く、「避難途中の渋滞発生」54・5%が続き、「その他」で地震による道路寸断を心配する声も目立った。
 
 
浜岡原発「立地で恩恵」半数 市民アンケート(下)
静岡新聞 2017年5月13日
 中部電力浜岡原発(御前崎市佐倉)の立地が地元に利益をもたらしたと考える人は半数に上ったが、再稼働に賛成する人は3割にとどまった―。静岡新聞社が同市の在住・在勤者を対象に行った浜岡原発に関するアンケートでは、そんな傾向が現れた。市民は原発立地に恩恵を感じながらも、東京電力福島第1原発事故から6年がたった今も不安を抱える実態が浮かんだ。
 
 市立御前崎総合病院は2016年2月、磁気共鳴画像診断装置(MRI)を約2億円かけて更新した。高額機器の購入は起債(借金)で対応するのが通常だが、同病院は単年度予算で購入した。半分の1億円が原発立地に伴う国からの交付金でまかなえたからだ。
 同市はかつて農業以外、主な産業がなかった。“寒村時代”を知る柳沢重夫市長は「先人が苦渋の決断で原発を受け入れ、交付金で地域が発展した」と強調する。
 市によると、発電所立地地域の振興を目的にした国の「電源3法交付金」制度が始まったのは1974年。浜岡原発では1号機の試験運転を行った時期に当たる。16年度までの42年間の交付総額は535億円に上る。同病院、市民プール、図書館、小学校。さまざまな公共施設の建設に充当された。商工業や観光振興、福祉サービスの充実などハード、ソフトを問わずあらゆる事業に使われている。
 
 だが、さまざまな施設は老朽化が進み、維持管理費が市財政に重くのしかかる。市は17年度当初予算で、財源不足を補うため財政調整基金(貯金)を22億円取り崩した。
 「浜岡原発の恩恵は大きい。でも福島の人々は原発事故で故郷を追われた。原発の受け入れは、そんなに簡単な話ではなかったのかもしれない」。市内のスーパーで買い物をしていた40代の女性は4月下旬、アンケートに悩ましげに語った。住民の再稼働への賛否が割れる中、市政のかじ取りを担う柳沢市長は「これからは原発だけに頼らないまちづくりが必要だ」と強い決意を示す。
 
<メモ> 浜岡原発の歩みは中部電力が1967年5月、旧浜岡町長に打診したところから始まる。町は同年9月、補償や条件が満たされることを前提に受け入れを表明した。今年は50年の節目。地元の誘致ではなく、電力会社の申し出でできた全国唯一の原発という特徴もある。1、2号機は廃止措置中で3、4号機は再稼働に向けて国の適合性審査が進む。海水流入問題があった5号機も申請する方針。6号機の建設計画は、東京電力福島第1原発事故後の現在も撤回されていない。