原発事故で福島県から下越地方に避難している公立中学1年の女子生徒がいじめを受けて、12月中旬から不登校になっている問題で、女子生徒の両親が22日、新潟日報社の取材に応じました。
女子生徒が作文に書いたいじめの訴えを国語教諭が見落としたなどと説明している学校側に対し、「早く気付いてくれたら、深刻な事態にはならなかった」と両親は憤りをあらわにしました。
記事に添付されている女子生徒の作文を読むと、全文がいじめを受けていることに関する記述であり、教師は一体何をどう見落としたというのか見当もつきません。それでは被害者もその家族も、とても納得できないことでしょう。
それにしても教師があの作文から生徒の苦衷を読み取れなかったのであれば、その感性の低さは問題です。
それにしても教師があの作文から生徒の苦衷を読み取れなかったのであれば、その感性の低さは問題です。
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作文に両親「気づくチャンスあった」
下越・原発避難生徒いじめ
新潟日報 2017年1月23日
東京電力福島第1原発事故で福島県から下越地方に避難している公立中学1年の女子生徒が、複数の生徒から「菌」と呼ばれるなどした問題で、女子生徒の両親が22日、新潟日報社の取材に応じた。女子生徒が作文に書いたいじめの訴えを国語教諭が見落とすなど被害を把握できなかったと説明している学校側に対し、「もっと早く気付いてくれたら、深刻な事態にはならなかった」と憤りをあらわにした。
「つらいことを思い出して書いている。強くなったねと言いたい」。父親は自宅で取材に応じながら作文を示した。
「人間なのに」と題した作文は原稿用紙4枚分。女子生徒が昨年7月に授業で書いた。小学校時代に受けたいじめを書き連ね、中学でも「まだいじめはつづいています」と明確に訴えた。「私のできることはいじめられている人をたすけてあげること」ともつづっている。
両親によると、国語教諭は昨年12月に謝罪に訪れた際、作文を「最後まで読まなかった」と話していた。しかし、21日夜の保護者会で校長は、全文に目を通したか明言せず「小学校のいじめの内容と受け取り、中学の部分は見落とした」と繰り返したという。一方、地元の教育委員会は21日の記者会見で「夏休みに最後まで読んだ」とした。
母親は「説明が二転三転し、娘も学校を信用できなくなった。この作文を読んで何もしなかった教諭は人の心の痛みを分かっていない」と語気を強めた。
中学入学前、両親は小学校でのいじめを踏まえ「娘を注意深く見守ってほしい」と中学側に伝えていた。女子生徒は作文以外にも、担任に孤立感などを相談していたという。
父親は「学校がいじめに気付くチャンスは何度もあった。もっと早く手を打ってくれれば、事態の悪化を防げたはずだ」と悔しさをにじませる。
女子生徒は小学3年だった2012年8月、家族と共に福島県から自主避難した。福島の小学校の担任からは「誰とでも仲良くなれる子だから心配ない」と言われていたが、転校直後にいじめが始まり、自傷行為をしたこともあった。中学でのいじめで「学校が怖い」と話しており、3学期は一度も登校できていない。
父親は原発事故当時、勤務先の工場が警戒区域内にあり、操業再開の見通しが立たないため解雇された。放射線量などに気を遣う生活にも疲れ、「もう戻らない覚悟」で新潟に移ったという。
両親はいま住んでいる土地で女子生徒を育て続けるつもりだ。「娘には無事にこの中学を卒業させてあげたい。でも、学校への不信感がなくならなければ、娘は登校する気持ちになれない」。両親は、今後の学校の対応を見つめている。
◎女子生徒の作文
「人間なのに」
皆さんはいじめられたことはありますか。またはいじめられている人を助けてあげていますか。
私はいじめられました。小学生のころひっこしてきました。帰り道で私の前に同級生がいました。一緒に帰ろうとこえをかけようとしたら、きづいたのか走ってにげていきました。にげた理由は「友達じゃない」からだったそうです。私はただ一緒に帰りたかったのに、そんな簡単な理由で初めていじめにあいました。
休み時間も誰ともいませんでした。でも私に友達ができました。すごくうれしかったです。初めて友達ができました。
私は休み時間ある男子グループに悪口をいわれるようになりました。「キモイ」「わかる(笑)」。とてもつらかったです。
私はドリル算をやるとき教室でやるけど悪口をいわれるのが怖かったです。なので「図書室がしずかなので図書室でやります」。うそをついて図書室でドリル算をやりました。
そのドリルに答えがついています。ドリルをやっていたら「答えみてる」「ダメなんだ~(笑)」。みていないのにそんなことを教室から図書室まできて悪口をいいにきました。なにをしたいのかわかりませんでした。
私は地震でひっこしてくるまえ地震がひどくて学校にいけない時間がおおくなりました。なので授業がおいついていないのでみんなが帰るときのこってべんきょうをしていました。
授業中先生に「はいここ読んで」といわれました。漢字がおおくてまちがえるたび「また、まちがえた」「そんな字も読めないんだ(笑)」。そんなことをいわれつづけて先生にあてられてもなにも答えられなくなりました。
プリントをわたすと私のさわっていないプリントをとったり、私をきたない物をみる目になりました。
テレビで「自殺した〇〇くん(さん)はいじめが原因でなくなりました」。そのテレビをみて「生きる理由ってなに?」。そう思うようになりました。つらい思いをして自殺した人、いじめた人はなにを考えているのかわかりませんでした。私たち一人一人に人権があるのにいじめはあります。すごくおかしいと思いました。
私は一度自分のうでをひっかいたり自分の体を傷つけてしまいました。体の傷はなおっても心の傷はなおりませんでした。自然に作り笑顔をするようになりました。そんないじめが約3年間つづきました。
中学生になった私は一人になりました。私もがんばって友達をつくりました。ときどき「いじめられてた」とうわさがながれています。まだいじめはつづいています。
私のできることはいじめられている人をたすけてあげることだと思います。そして人間はどうぶつとちがい「りせい」があります。どうぶつは「ほんのう」しかありません。「りせい」のある人間はいけないことだとわかるはずなのにいじめをします。そんなどうぶつ以下な人間にならないよう、私はがんばりたいと思いました。
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