原発事故からまもなく30年を迎えるチェルノブイリ原発の現状を東京新聞がレポートしました。
チェルノブイリ原発事故は、発電所全体を厚いコンクリートで覆うことで核燃料から放出される放射能をその中に閉じ込めることができました。この方式は後に「石棺」と名づけられました。
事故で溶かされた核燃料(デブリ)の在り処も明確で、コンクリート製の地下室に「ゾウの足」と呼ばれる形状で存在しています。発電所の全周には深さ30~35mのコンクリート製の壁が打ち込まれているので地下水への放射性物質の流出もありません。
ただ30年近くが経過する中で核燃料の自己崩壊による中性子を受けてコンクリートが劣化したため、いま石棺全体をステンレス製のカバーで覆う工事が進められています。
1986年4月26日に起きたチェルノブイリ原発事故では、放射能汚染を恐れる陸続きの欧州各国から早急な収束を強要されました。
その要請に応えるべくゴルバチョフ大統領は文字通り決死的な放射能の封じ込め作業を行って、わずか10日間で放射性物質の飛散をほぼ封じることができました。
福島原発事故後もうじき5年になろうとしているのに、事故を一向に収束させることができないでいる日本とは対照的です。
ソ連では、発災の2日目から空軍大将の指揮下で、大型ヘリコプターにより中性子を抑えるホウ酸40トン、燃焼抑制用の石灰岩800トン、放出抑制用の鉛2400トン、それに粘土と砂など、合計5000トンを原子炉へ投下する作業をはじめ、6日目で投下を完了しました。
放射性物質の放出量は、2日目で初日の1/3に6日目には1/6に減じましたが、7~9日目には封じられた核燃料の崩壊熱等で放出量が1/2にまで上がりました。
しかし8日目に核燃料と水の接触による水蒸気爆発を避けるためサプレッションプールの水抜きを行い、9日目に溶融した核燃料の冷却のため原子炉下部に窒素(液体窒素?)を注入した結果、10日目に放出量が急激に低下してほぼ収束しました。
(「ソ連政府はどのように収束させたのか―福島原発震災 チェルノブイリの教訓(3)」 2011.4.12 ダイヤモンドオンライン http://diamond.jp/articles/-/11838 )
(「ソ連政府はどのように収束させたのか―福島原発震災 チェルノブイリの教訓(3)」 2011.4.12 ダイヤモンドオンライン http://diamond.jp/articles/-/11838 )
その後引き続き原発敷地を除染後コンクリートで舗装し、原発の全周にコンクリート製防護壁(深さ30~35m)を巡らして地下水が浸透しないようにし、最終的に原発施設全体をコンクリートで覆いました。
この石棺が1986年11月に完成したことで、放射能の放出はほぼなくなりました。
とりわけ発災の当初は、強烈な放射能を防御する方法もないままで様々な地上作業を行わざるを得なかったので、延べ数万人の作業員を投入する人海戦術が取られました。チェルノブイリ事故では、後にがん等を発症した人は数千人とも数万人ともいわれていますが、そのほとんどはこの作業にかかわった人たちと見られています。
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チェルノブイリは今 事故から来年30年
東京新聞 2015年12月29日
一九八六年四月に起きた旧ソ連・チェルノブイリ原発事故から、来年で三十年になるのを前に、本紙は十一月下旬から今月にかけ、原発と周辺地域の現状を取材した。現場では爆発した4号機を覆う巨大なカバーができつつあるが、溶けた核燃料など抜本的な対策は未定。廃炉はまだ遠い。
事故は原子炉の欠陥や運転員の熟練不足などが絡み合って発生。4号機を停止させようとして出力が急上昇し、爆発炎上した。同原発は格納容器がなく、炉内の放射性物質が飛散して本州に匹敵する二十万平方キロメートルを汚染。汚染地域に当たるウクライナ、ベラルーシ、ロシアで移住を迫られた人は四十万人に上り、がんなどの犠牲者は集計機関により数千人から数十万人まで諸説ある。 (大野孝志)
◆老朽化、さらに石棺 チェルノブイリ廃炉まだ先
事故を起こしたチェルノブイリ原発4号機では、吹き飛んだ原子炉建屋上部や側面を大量のコンクリートや鋼材で覆う「石棺(せきかん)」にして核燃料を封じ込めた。しかし、半年で急造した石棺は三十年の間に傷み、さらなる風化を防ぐため建屋をカバーで覆う必要に迫られている。
現場に近づくと、遠目からも石棺の外壁にはさびが目立ち、雨水が流れた跡で茶色く汚れ、老朽化は明らかだった。現地の広報施設で、詳細な石棺の構造模型を見せてもらったが、鋼材は溶接やボルト固定されておらず、大破した建屋で支えているという。
突貫工事で造り上げた石棺は風雪でもろくなり、隙間が広がって雨水が入り、放射性物質が漏出している。鉄骨で補強をしたが、一昨年冬には雪の重みで屋根の一部が崩れた。
現在、4号機の西三百メートルの地点で、石棺や周辺の建屋をすっぽり覆う間口二百六十メートルのステンレスなどでできた巨大カバーの建設が進む。「新石棺」や「第二石棺」と呼ばれるが、石棺を風雨から守り、放射性物質の漏出を防ぐためだ。
作業員の無用の被ばくを避けるため、離れた場所で造り、完成後にレール上をスライドさせて建屋にかぶせる。費用は十五億ユーロ(約二千億円)。完成予定は当初の計画より五年遅れの二〇一七年で、遅れの原因を広報担当者は「想定外の積雪と強風。設計になかった工事も必要だったから」と話した。国の資金繰りの悪化も一因とされる。
4号機に近づくと線量計の値が跳ね上がり、建屋内は毎時二〇マイクロシーベルトの地点もあった。ここに二日ほどいれば一般人の年間被ばく限度(一ミリシーベルト)に達する。
事故時に溶岩状になって原子炉から建屋内に流れ出た「ゾウの足」と呼ばれる核燃料には、人が近づけない状態が続く。カバーが完成しても、外側を覆うだけで、本格的な廃炉作業はその後となる。広報担当者は「核燃料をどう処理するか決まっていない。これから検討する」と説明した。