福島原発事故後、現在も全域が避難区域となっている富岡町に一人残る松村直登さんを追うドキュメンタリー映画「ナオトひとりっきり」が20日から神戸市で上映されます。
松村さんは55歳のときに年老いた両親が暮らす富岡町へ戻り、そこで原発事故に出会いましたが、ふるさとに住めなくなった怒りがその地にとどまらせました。
畜産の経験はゼロでしたが、知人が飼っていたウシ26頭とポニー1頭の世話を買って出て、そこに脱走してきたダチョウ2羽、イヌ、ネコも加わりました。
撮影は2013年夏にスタートし、「スタッフを被曝させるわけにいかない」と映画監督の中村真夕さんが一人でカメラを担ぎ、月1、2回のペースで延べ8カ月、富岡町に通って仕上げました。
中村監督は「過去から学ぼうとせず、あまりに忘却のスピードが速い日本人へのアンチテーゼとして、この映画を見てほしい」と話しています。
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原発事故、ドキュメンタリー映画「ナオトひとりっきり」
中村真夕監督 20日、神戸
神戸新聞 2015年6月6日
東京電力福島第1原発事故後、現在も全域が避難区域となっている福島県富岡町に一人残る松村直登さんを追うドキュメンタリー映画「ナオトひとりっきり」が20日から神戸市中央区元町通4、元町映画館で上映される。放置された動物の世話を淡々と続ける松村さん。「だからといって何もなかったことにはできない」と中村真夕監督は力を込めて語る。(片岡達美)
事故から時間がたった福島の現状を伝えたいと考えていた中村監督は、海外メディアが紹介する松村さんに興味を持った。現地を訪ね、「私も被ばくの危険を負うが、松村さんを撮ろうと決意した」。
撮影は2013年夏にスタート。「スタッフを被ばくさせるわけにいかない」と一人でカメラを担ぎ、月1、2回のペースで延べ8カ月、富岡町に通った。
当時55歳の松村さんはもともと、建設業に従事。原発建設に携わった後、東京近郊で働いたが、バブル崩壊後に仕事が減り、年老いた両親が暮らす富岡町へ。妻子とは別れた。
その後、原発事故が起き、避難指示が出るが、「ふるさとに住めなくなった怒りが、とどまらせている」と中村監督。
畜産経験ゼロの松村さんだが、知人が飼っていたウシ26頭とポニー1頭の世話を買って出た。そこに脱走してきたダチョウ2羽、イヌ、ネコも加わる。栄養状態が悪く弱って死ぬウシがいる一方、子どもを産むウシもいる。
住んでいるのは、避難指示解除準備区域。水道が止まったままで、湧き水を使う。東京電力からの補償金などで生活し、地震後に出会った女性との間に子どもが生まれた。
風向きによって、中村監督持参の放射線測定器の数字が振り切れることもあるが、「生物の命は脈々と続いていく。町がのどかな理想郷に見える瞬間さえあった」。
先月、東京での上映に合わせ、菅直人元首相と松村さんの「2人のナオト」が対談。「事故に翻弄(ほんろう)され、反原発への思いを強めた者同士、盛り上がった」という。
中村監督は「過去から学ぼうとせず、あまりに忘却のスピードが速い日本人へのアンチテーゼとして、この映画を見てほしい」と話している。
元町映画館TEL078・366・2636
「ナオトひとりっきり」の一場面
「今年の春、その後のナオトさんを追う短編を
撮った」と話す中村真夕監督=大阪市淀川区