2016年8月23日火曜日

原発なくなるまで テント跡地で抗議行動つづく

 脱原発を訴える市民が国への抗議の拠点として霞が関の経済産業省敷地内に設置していたテントは、21日早朝、強制的に撤去されましたが、同日の午後1時には抗議集会、午後5時にも集会が開かれて各地から100人以上が集まりました。
 「希望の牧場」の吉沢正巳さん牛のオブジェを軽トラックに乗せて参加しました。
 テントはなくなりましたが、抗議の行動は意気高くこれからも続きます。
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原発なくなるまであきらめない!~テント跡地で抗議行動つづく
    堀切さとみ レイバーネット 2016年8月22日
寝込みを襲って撤去された経産省テント。白昼堂々と来ればいいものを、本当に許せない。
 
21日早朝、午後1時からの抗議集会に続いて、午後5時からも集会があると聞いて駆けつけた。「座り込め」や「民衆の歌」などの楽器演奏が響く中、続々とテント跡地に集まってくる人たち。その数は100人以上。福島から駆けつけた人も、沖縄から帰ったばかりの人もいる。
 
朝からいた人によると、NHKや朝日新聞などの大手メディアだけが撤去時の撮影を許され、独立系メディア(岩上チャンネルなど)は横断歩道の向こうに追いやられたとのこと。
また、昼にはフリーのカメラマンが公務執行妨害で逮捕されたが、完全なでっち上げ「希望の牧場」の吉沢正巳さんが、牛のオブジェを移動させようとしたのを大勢の警官が群がって阻止しようとしたので市民が抗議。それを撮影していただけなのに、いきなり押さえつけらて引きずられていったのだそうだ。本当にひどい。
 
でも、集まった人たちは元気だ。テントを守り続けてきた渕上太郎さんは、「撤去されてからすでに14時間たつ。でもこんなに大勢がここにいる。われわれの意志は変わらない」といった。
 
火炎瓶テツさんは「テントは物理的にはなくなったけど、誰も意気消沈してないですよね。だってテントはなくなったけど原発なくなってない。だったら一人一人がテントになればいいじゃないですか。口や鼻があって足で立って脳みそがあるテントに。敵にとってこれほど恐ろしいことはない」「経済にバブルはあっても運動にバブルを期待してもだめ。いきなり何万人なんて、そうなのどうでもいい。一人でも二人でも集まればいい」。そして「テントはまだまだなくならない」「テント撤去より原発撤去」とコールを繰り返した。
 
黒田節子さんは「福島の女たちにとって、ここは初めてアクションを起こした場所。それがうまくいったのは、首都圏の人たちの熱い支援があったから。忘れることはできない」「今日、目の前でカメラマンが無理やり逮捕されるのをみて、本当にショックだった。今までこの日本という国のあちこちで、・・沖縄ではこの何百倍ものことが組織的に行われていたのだろう」「テントがテントである限り、いつかはなくなることを予期していた。でも、福島は何も変わってないどころかますますひどくなってる。子どもたちの甲状腺がんは日々増えてる。どこまで増えれば国は、放射能のせいだと認めるのか。ふざけるな!」と叫んだ。
 
牛のオブジェとともに駆けつけた吉沢さんは、原発が爆発したときのことを振り返る。「自衛隊は決死救命だった。それなのに東電は逃げた。そして経産省は責任とらないじゃないか。10万人の避難民は流浪の民だ。俺たちは棄てられたまま。辺野古や高江をみて、沖縄のことがやっと理解できるようになった。沖縄に学びながら、これからも戦争と原発の時代を生きるよ」
 
リオ五輪は閉会し、日本は2020年にむけて邁進していくのだろう。福島を切り捨てる復興政策の一つとして、今回のテント撤去はあった。そのことが逆に、福島の五年間を思い起こさせ、沖縄と福島をも近づけたように思う。
 
五年間、テントはよく頑張った。原発がなくなるまで、これからもあきらめない。