営業損害賠償は、原発事故当時避難区域で営業していた事業所を対象として事故に伴う売り上げの減収分を賠償するものですが、国と東京電力は昨年末、2016年2月に打ち切るとした素案をまとめました。
しかしながら地域のコミュニティを商圏とする以上、元通りの地域社会が形成され、そこのトータルの経済力が回復しないことには、仮に営業が再開できたとしても、事故前の売上や利益を上げることは出来ません。
そうした地域社会や経済力が一体いつになったら回復するというのでしょうか。少なくとも2016年2月に、ということはあり得ません。
それにそもそも曲がりなりにも営業を再開できたのはまだ半数に過ぎません。
国や東電は損害賠償を何か恵みを施すとでも勘違いしているのではないでしょうか。
国は常に冷淡であり、東電に至ってはこれまでも自分たちが加害者だという意識があるのかと疑われることばかりでした。
河北新報がそうした実情と地域の猛反発をレポートしています。
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営業再開まだ半数 損賠打ち切りに猛反発
河北新報 2015年2月17日
国と東京電力が福島第1原発事故による営業損害賠償を2016年2月に打ち切るとした素案をめぐり、福島県内の商工業者が反発を強めている。避難区域の商工会に加盟する事業所のうち、営業を再開したのは半数。商圏の崩壊で厳しい経営を迫られている事業者が多く「実情を無視している。打ち切りは早計だ」と怒りが渦巻く。(桐生薫子)
「地域のコミュニティーに支えられて成り立ってきた商売だ。商圏がなければ大型店には太刀打ちできない」。浪江町から避難し、12年5月に南相馬市で電器店を再開した阿久津雅信さん(44)は新天地で事業の厳しさに直面している。
3000人が載っていた顧客リストには、100人の名前しかない。電化製品の店頭販売を諦め、町民が避難するいわき市などへ配達している。
売り上げは事故前の3分の1程度に激減。ガソリン代は毎月10万円を超え、経営を圧迫する。「賠償が打ち切られたら赤字だ。いつまで事業を継続できるか…」と嘆く。
東電は昨年12月、商工業者を対象にした説明会で、賠償を16年2月で打ち切る方針を素案として示した。16年2月までの1年分については、避難による商圏喪失や減収が認められる場合にのみ賠償に応じるとしている。
文部科学省の原子力損害賠償紛争審査会が示した中間指針は、営業損害を「基本的には被害者が従来と同様の営業活動を営むことが可能となった日を終期とするのが合理的」と明記している。
避難区域は除染やインフラ整備が進まず、帰還が見通せない。県商工会連合会は「自立できるだけの環境が整っていない」と延長を強く求める。
避難区域にある10商工会の事業所2455カ所の事業再開率は表の通り。昨年12月時点で再開したのは避難区域内外の1239カ所で50.5%にとどまる。楢葉町や川内村は7割以上が再開したが、浪江町35.0%、双葉町37.3%、富岡町45.9%と5割に満たない。3町は今も全域が避難区域のため、地元での再開率は4.7%と極めて低い。
業種別では、除染やインフラ復旧に関わる建設業が74.8%と高く、地元で事業を再開した事業所の3割を占める。地域のコミュニティーに頼ってきた飲食業や小売業、卸売業は2~3割と極めて厳しい状況にある。
県商工会連合会指導部経営支援グループの佐藤敏文主幹は「再開した事業所も今後、風評被害などで売り上げの減少が考えられる」と指摘。「復興需要を見込んで県外からの大手参入も想定される。廃業に追い込まれる事業所が出てくるだろう」と危機感を募らせる。
[営業損害賠償]
原発事故当時、避難区域で営業していた事業所が対象。事故に伴う売り上げの減収分が賠償される。東電が示した賠償期間は12年7月~15年2月分。それ以降の扱い方針を昨年12月に明らかにした。