2015年2月14日土曜日

原発事故で日本社会が失ったこと(1)(2) (武田邦彦氏)

  武田邦彦氏が「原発事故で日本社会が失ったこと」として2つのブログを公表しました。
 一つは日本の原発が震度6に耐えられないという問題であり、もう一つは原発事故が起きた後に日本がそれまで言ってきた被曝限度年間1ミリシーベルトを否定したという問題です。
 いずれも武田氏がこれまで繰り返し指摘してきたことです。
 このシリーズは何回まで続くのかわかりませんがフォローしたいと思います。
 
 記載されているURLは音声ブログでクリックすると開始します。 
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原発事故で日本社会が失ったこと(1)・・・「3年前の揺れ」が想定外 
武田邦彦 2015年02月09日  
福島原発事故で、日本社会が失ったものは大きい。それもその一つ一つはこれまで日本社会が大切にしてきたことでした。それが、政府や自治体、マスコミなどが「大したことはない」という事故で起こったのですから、考えてみなければいけないと思います。
 
(第一)
工場が事故を起こしても「想定外」といえば良いという大きな変化がありました。「想定外だから仕方がない」といっても、地震自体はマグニチュード9ですから、あるいは「想定外」といっても良いのですが、地震がどんなに大きくても、事故の起こった工場を襲った天変地異が現実に、想定を越えるものだったかということが問題です。
チリ沖で巨大地震が起きても、日本の震度が3なら、それを想定外と言うことはできません。現実に福島原発を襲った地震の揺れは震度6、津波は15メートルだったのですから、日本の常識から言えば、「普通に起こる地震と津波」です。
震度6の地震は日本列島では10年で平均13回ですから、ほぼ1年に1度です。また原発は日本列島のあちこちにあるのですから、もし震度6に耐えられない設計の場合、原発は毎年のように破壊されることになります。事実3年前の2009年の柏崎刈谷原発を襲った中越沖地震もほぼ震度6だったのです。
現実にも、2007年頃、つまり原発の稼働数が多くなってから、数年に一度は原発が震度6の地震に見舞われ、破壊されています。15メートルの津波も十分に起こりうるものですし、海岸線に建設されている原発が「地下一階が浸水したら爆発する」という設計であることは驚くべきことです。
 
工場の事故というのは、その規模はともかく、「想定外」のことで起こります。有名なPCBのカネミ油症事件では、当時、危険性がわからなかったPCBの配管が破れて食用油に混入したことが原因でした。PCBが毒性が強いことは「想定外」だった工場はそれを食品の加熱に使っていました。とくに危険という意識はなかったので、PCBの混入に対してあまり注意を払っていなかったのです。
それがある事故で混入して市場にでて、障害者を出しました。事故前は毒性についての情報(世界的に使われていた化合物だった)がなく、そのために工場側は「普通の設計、普通の注意」をしていて、もちろんお役所の正式な認可を得て運転していましたが、裁判では「故意ではないが有罪」となりました。つまり、想定外であっても、想定外でなくても、「被害を出した」という結果責任が問われたのです。
 
それより過酷な判決が水俣病でした。今では水銀が毒物ということは誰もが知っていますが、当時は水銀は歯の治療に使ったり、女性のおしろい、神社の塗装などに多用されていた「普通の元素」だったので、工場は設計も排出基準も全て守り、公的な認可を得て運転していました。
なにも問題がなかったのですが、後になってみると国の審査(現実には県レベルだが、基準は国が作る)が水銀の毒性を考慮していなかったので、被害者を出しました。これに対して裁判では「無過失責任」、つまり会社に過失はないが、責任はとれということで実質的に会社は倒産寸前に追い込まれました。
 
今まで日本社会は、過失があろうとなかろうと、危険が科学的に判断できなくても、「起こったこと」を重視して「毒物を撒き散らす」ということに対して、不当とも言うべき厳しい判断をし、社会もマスコミもそれを支持してきました。
でも、福島原発事故が起こると、今まで工場を糾弾してきたのは、「弱い者いじめ」であることが判明したのです。日本社会は「弱いと見ると攻撃し、強いと擁護する」という品性卑しい社会だったのです。 (平成27年2月3日)
 
 
原発事故で日本社会が失ったこと(2)・・・遵法精神 
武田邦彦 2015年02月13日  
「日本人は規則を守る」ということでは世界でもトップクラスの誠実さを持っていたし、さらに「借りたお金は返す」とか「どんなに辛くても順番は守る」など、一見、生真面目すぎるほど日本人は誠実だった。
 
NHKは原発が爆発した2011年3月11日、午後4時30分、アナウンサーが歴史的報道をした(音声が私のパソコンに残っていたので、正確に聞き取って文章にした)。
「東京電力から原子力安全保安院に入った報告によりますと、福島第一原子力発電所の敷地境界付近で放射線を測ったところ、爆発音があったころとされる午後3時29分には1時間に1015マイクロシーベルトでした。この値は一般の公衆が1年間に浴びる放射線の限度量をわずか1時間で受ける量にあたり・・・」
つまり、一般の日本人が浴びる放射線の限度量が1年1ミリシーベルト(1000マイクロシーベルト)であることを「NHKが知っていた」ことを示すものだ。
 
後に、NHKをはじめとして日本中で、専門家もマスコミも「被曝の限度量は決まっていない」、「1年1ミリなどどこにも書いていない」、「100ミリまで大丈夫だ」などと言い、著者などは「1年1ミリシーベルト男、武田邦彦」という記事を週刊新潮が繰り返し出してバッシングを受けた。ネットの個人が著者をバッシングするのではなく、社会の公器とされる大手のマスコミが一個人を「基準を守るな!」とバッシングしたのだから日本人の誠実さも地に落ちたものだ。
 
「一般公衆」、「限度量」という用語はそれほど一般的ではない。原子力や被曝の専門用語の一つで、「一般公衆」とか「公衆」という用語を使う。だから、ある程度の専門家に聞いたか、あるいは法令を見たかと言うことが分かる。
事故直後のこの時期、NHKばかりではなく、経済産業省の原子力保安院も同じ基準を言っていた。たとえば、記者会見を担当していた西山参事官は、1時間20マイクロシーベルトという値について、「1年と1時間という時間の差はありますが」と断りつつ、「1時間20マイクロシーベルトという値は、一般の人の被ばく限度(それは1年間で時間は違いますがと断って)の50分の1です」と言っている。
つまり1時間20マイクロシーベルトの50倍が一般の人が1年で被曝しても良い限度ということだから、それが1ミリシーベルトであることを説明している。
 
これらの証拠から、原発事故の直後では、日本社会はまだ誠実さが残っていて、NHKも経産省も事実をそのまま(民主主義のご主人たる国民に)伝えることができたことが分かる。もちろん、事実は「一般公衆の被ばく限度は1年1ミリシーベルト」であり、その後、2年間ほど日本社会は、「間違いが正しい」という奇妙な状態が発生し、「間違いを言う人が、正しいことを言う人をバッシングする」ということが続いた。
 
一度、大きく崩れた道徳は回復するよりも坂を転げ落ちるように、「自分の都合の良いことならなんでも言っても良い」ということになり、土壌の汚染基準、食品基準、汚染物質の表示義務など次々と基準とそれに基づく法律は無視されるようになった。
ちょうどその頃、2011年8月のことだが、14歳の少年がわずかな放射性物質を使っているキーを取り扱ったとされて補導された(輸入した蛍光塗料がついている小さなキーホルダー)。同じ時期に警察庁は、相手が弱いと見ると(14歳の少年)法律を適用し、強いと思うと(東電)「放射線は大したことはない」という大胆な変身を遂げた。
 
原発が爆発して、原発に対する信頼性、被爆したという事実、汚染された日本の大地や海・・・失ったものは多かったが、そのうちでも最大級のことは、「日本人の遵法精神」を失ったことだった。(平成27年2月11日)