「原発事故の確率」となるとO東大教授が豪語していた「1億年に1回」という数値が直ぐに思い出されます。
O教授は福島原発の事故が起きるまでは多くの原発訴訟で国側の証人として登場した人で、講演などでは「プルトニウムは呑んでも安全だ」とまで述べていました。
彼は元々東電社員から東大準教授に転じた人ですが、原発事故が起きると雲隠れして連絡が取れなくなりました。国大である東大の教授が所在不明になることはあり得ないので、外線の電話に対しては「全て不在と断るようにした」ということなのでしょう。
本来の学究であれば、現実に31年に1回あるいは10年に1回の頻度で事故が起きてしまったときにこそ、自分の理論と現実との齟齬について語る責任があったのではないでしょうか。それを「雲隠れ」して完全に避けたのは「1億年に1回」には説得力のある根拠がなかったということの証明です。恥ずかしくて表に出られなかったのでしょう。
河北新報が「事故確率 机上の空論」を載せました。今後6回にわたって「議論の土台」について連載するということです。
世界の実際の原発重大事故の確率は「11年に1回」です。これは福島原発事故を1回と看做した場合で、3回(=3基)と看做せば頻度はもっと上がります。
原子力規制委は、「累積稼働100万年に1回」を目標に据えているということですが、あまりにも現実との乖離が大きすぎてどう理解すべきなのか、そのこと自体に迷ってしまいます。
河北新報の「議論の土台」第1回を紹介します。
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<神話の果てに> 事故確率 机上の空論
/第15部・議論の土台 (1)安全ですか
河北新報 2015年2月3日
<計算法で桁違い>
原発の安全性をめぐって桁違いの二つの数字がある。「100万年に1回」と「31年に1回」。いずれも福島第1原発のように、炉心溶融(メルトダウン)から格納容器損壊へと連鎖する過酷事故の発生確率を示す。
3万倍もの差があるのは、計算方法が根本的に違うためだ。前者は個々の機器が機能しなくなる割合が土台。10年に1回故障する機器四つがダウンして起きるトラブルなら、発生確率は10分の1の4乗、つまり1万年に1回と見なされる。
原子力規制委員会はこの方式を採用し、「累積稼働100万年に1回」を目標に据える。計50基あれば最大2万年に1回のペースで事故が起きることになる。
後者は、原子力利用を推進してきた国の原子力委員会が福島の事故後に例示した。これまでの国内原子炉の累積稼働年数を分母、現実に起きた事故数を分子とし、現行の炉数を掛けて導く。「31年」はあくまで福島を1回と数えた場合で、1~3号機の3回と見なせば10年に1度に頻度が上がる。
<説得力欠く数字>
計算式を世界に当てはめると、悲劇が訪れるのは11年に1回。米国のスリーマイルアイランド(1979年)、ウクライナのチェルノブイリ(1986年)、福島(2011年)と並べれば実感に近い。
ただ、いずれにしても確率で論じるのは実像を見誤る恐れをはらむ。
避難住民へのアンケートなどを通じ、被害の実態を見てきた福島大の丹波史紀准教授(社会福祉論)は「原発事故は取り返しがつかない被害をもたらす、というのが福島の教訓。確率論だけで安全性を議論しても意味がない」と指摘する。
家を追われ、被ばくによる健康被害の心配も付きまとう。原発の危険が顕在化した今、どんな数字も説得力に乏しい。
<「最後は水鉄砲」>
安全確保に向けて国は13年7月、「世界で最も厳しい」(安倍晋三首相)という新規制基準を導入した。5段階の防護策を備えるが、原発立地地域の不安を解消するには至らない。
「最後は水鉄砲ですか」。昨年10月、再稼働の手続きが進行中の九州電力川内原発(鹿児島県)の住民説明会で失望の声が上がった。
格納容器が損傷した場合はどうするのか。規制委の答えは「ポンプ車で放水して放射性物質の拡散を抑える」。福島の事故から4年近い今も、被害拡大防止の最終手段に大差はない。
世界を見渡せば、原発の安全対策は着実に進んでいる。北欧では壁を複層化した格納容器や、溶け落ちた核燃料の「受け皿」を備えたプラントも実用間近だが、国内で取り入れる動きはない。
国会事故調査委員会の元委員で科学ジャーナリストの田中三彦さんは言う。「言葉だけの世界一は無意味。本気で目指すなら、福島の事故原因や避難の課題を徹底検証しなければならない」
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原発の賛否をめぐる論点は多様だ。安全性や経済性にとどまらず、環境負荷、エネルギー安全保障面などでも推進、反対両派の主張は大きく食い違う。再稼働が現実味を帯びる今、議論の土台となる主要テーマを整理する。(原子力問題取材班)=第15部は6回続き