2015年7月8日水曜日

避難指示9月解除の福島・楢葉町住民 国に不信

 全町避難が続いている楢葉町は、住民の願いも空しく9月5日に政府によって避難指示が解除されます。町の調査で「すぐに戻る」と答えたのは全町約7400人中、高齢者を中心に17%に過ぎません。
 政府は「帰る帰らないは町民の自由」と言いますが、仮設住宅の無償提供17年3月で、住民への損害賠償は18年3月でそれぞれ打ち切られます。帰らない人たちについてはあとは知らないというわけです。
 
 政府は、「スケジュールありきの解除ではない」と強調しますが、住民たちには白々しい言葉にしか聞こえません。避難指示が解除されることで、原発事故の後処理が全て済んだということにしたい底意が透けて見えるからです。
 
 政府が言うように、年間20ミリシーベルト被曝でも全く問題がないというのであれば、まずは海外に向けて日本の基準がそうであることを明言する必要があります。日本に渡航しようとする人たちの健康問題にかかわる必要な情報は、予め与える義務があるからです。
 実は1ミリシーベルトが正しい限度であって、20ミリシーベルトは福島県の特定の地域での例外的な措置であるというのであれば、国の措置は犯罪です。海外にそのことを公表しないというのであれば二重の意味で犯罪です。
 
 いずれはそのことも当然問題になりますが、当面の生活保障の面でも楢葉町の人たちの国に対する不信の念は深まっています。
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   記者の目
避難指示9月解除の福島・楢葉町=栗田慎一(いわき通信部)
毎日新聞 2015年07月07日
◇国の思惑先行 住民 不信
 2011年3月の東京電力福島第1原発事故で全域避難となった福島県内7町村で初めて、9月5日に避難指示が解除される楢葉町。人口約7400人。町の調査で「すぐに戻る」と答えたのは高齢者を中心に17%と少ないが、政府は当面の生活補償策を示し「帰る帰らないは町民の自由」と言い放つ。「帰りたい」町民さえ、うさん臭さと責任逃れを感じ、不信を募らせる。震災前の姿に戻すのは不可能かもしれないが、政府は住民を支えようとする努力が足りないと強く思う。
 
◇町民を突き放す「帰還は自由だ」
 「息子が草刈りを手伝いに来てくれるって言うから」。曇天の6月23日、楢葉町内のJR常磐線竜田駅近くに自宅がある岩原恵子さん(78)がそう言い、庭木を覆うほどに伸びた雑草をカマで払っていた。避難先は約100キロ西の同県会津美里町にある仮設住宅。古里を離れ川崎市にいる長男(43)が震災後初めて自宅に来ると連絡してきた。それがうれしく、「みっともない庭を見せたくない」とバスで2時間かけてやってきた。
 帰還に備え定期的に一時帰宅しては室内に風を入れ掃除もしてきた岩原さんだが、震災から4年が過ぎ帰郷への思いは振り子のように揺れる。
 
 「ご近所さんの多くは『戻らない』って言うし、助け合う地域がなくてはねえ。孫たちとの同居もかないそうにないし」。同じ仮設の別の部屋に住む長女(39)一家は、2人の子どもが会津美里町の学校を好きになり、避難先での自宅再建を決めた。だからといって、長女が勧める同居も「迷惑かけたくない」。取材に応じる岩原さんの視線の先には、11年前に他界した夫と一緒に苗木から大切に育てた梅の木があった。
 
 「解除は帰りたい人のための規制緩和。帰る帰らないは自由だ」。6月下旬の住民懇談会で、政府原子力災害現地対策本部の担当者は繰り返した。「自由」を担保する措置として、解除時期と関係なく月10万円の精神的賠償を18年3月まで、仮設住宅の無償提供を17年3月まで延長する施策を示し、強い態度で解除受け入れを求めた。
 これに町民たちはカチンときた。「将来、住民に健康被害が生じたら誰が責任を取るのか」「原発事故がまた起きた場合の避難計画はあるのか」「水道に使っている町内のダムの底に沈殿する高濃度の放射性セシウムを取り除いてほしい」。矢継ぎ早に飛ぶもっともな質問に、政府担当者は「県民の健康管理は県の仕事」などと言葉を濁した。
 
 懇談会に出た岩原さんも「政府は信用できない」と思った。同時に、避難という非常事態が日常になってしまった避難者の4年余に対し、政府の想像力が乏しすぎると感じた。「帰還していいと言われても、避難で家族が離ればなれになったり、学校や仕事も変わったりしている。避難先で頑張ってきた人ほど、帰還は避難と同じ、いやそれ以上のエネルギーが必要なの」
 
◇重大課題先送り、切実な声を聞け
 「すぐに戻りたい」町民も反発する。避難指示解除に向け4月に始まった準備宿泊で「予定表 帰町の印 風光る」と解除への期待を俳句に詠んだ永山和平さん(83)は懇談会で、町に県立診療所が開業する来年2月まで解除しないよう求めた。「帰りたい人のための解除」との言葉に、帰れない人との間に摩擦が生じかねないと感じたからだ。「私たち夫婦は元気だが、高齢者の多くが長い避難生活で病気になったり体が弱ったりした。政府は見て見ないふりをしちゃいかんよ」
 
 政府は東京五輪の開催時期(20年7〜8月)を見据え、高濃度に汚染された地域を除き17年3月までに避難指示を解除する方針を示すなど、帰還政策を本格化させている。全町村避難する自治体の中で真っ先に、楢葉町の除染やインフラ整備を進めたのは、避難区域の中では比較的放射線量が低く、生活環境が整いやすいとして、原発事故被災地の復興の拠点と位置づけたからだ。当初予定した「お盆前解除」に反対する町議会に配慮し1カ月先延ばししたが、9月5日解除は政府と町のぎりぎりの妥協だった。
 
 政府は「スケジュールありきの解除」を否定する。しかし、一時緊急事態に陥った第2原発の廃炉問題や、ダムに加え森林の除染など住民生活にとって重大な課題を先送りしたまま解除を正当化しても住民に受け入れられるだろうか。政府が原発事故の責任を感じ、元の町の姿に近づける努力を惜しまないのであれば、住民の切実な声に寄り添い、問題解決に向けた方策を示すべきだ。それをせず解除すれば政府への不信はさらに深まり、安らぎのあった事故前とはほど遠い町の姿になってしまうのではないだろうか。