20日、21日の「足を運んで分かる・感じる フクシマツアー ―東日本大震災及び福島原発事故被害の今を見てみよう―」には、魚沼市と南魚沼市の皆さん4人を含めて総勢19人が参加しました。
現地では、フクシマの惨状、想像を絶する津波の規模と威力、そしていまも真剣に続けられている再生への苦難に、僅かながらでしたが触れることが出来ました。
バスツアーは幹事の皆さんの周到さによって、何もかもがとても順調でした。
常磐高速道を経て12時過ぎに第一の目的地の「道の駅 南相馬」に着くと、原発事故以来ずっと湯沢におられてその後福島に戻られたKご夫妻が、暑い中を待っておられました。
お二人ともお元気そうで感激的な再会でした。
福島の現地で脱原発活動をされている中野さん、志賀さんも待っておられました。
中野さんは福島原発事故「なりわい(生業)訴訟」の原告団長をしておられて、翌21日には原告として陳述する予定だということでした。
駅舎の和室で昼食を取りながら、中野さんからその話を聞かせて頂いて東電のあまりにも身勝手な言い分に憤慨させられました。
昼食後に志賀さんにマイクロバスに乗っていただいて、昼しか立ち入ることの出来ない立ち入り制限区域を案内していただきました。
区域内の水田は殆どが原野化されていました。また塩害を受けて葉を枯らした立ち木の群が異様に立ち尽くしていました。
志賀さんは漁業に従事していた人で原発が導入されたのは25歳のときでした。そして一貫して当時既に少数派だった「原発反対」を貫きましたが、それは自分の漁船が難破したときでも仲間からの救助が期待できなくなるかも知れないという、命懸けの行動でした。
希望の牧場では、牛たちへの愛情から、飼っていても肉牛としては出せない330頭の牛を飼い続けている吉沢正巳さんから直接お話を聞くことができました。牛たちは300kgの牧草ロールを1日に8~10個も食べるということなので、吉村さんたちが年柄年中、牧草ロールの入手のために忙殺されていることは容易に想像できました。
区域内巡回の最後に、映画「日本の青空」で知られる、終戦後作られた憲法研究会で「憲法草案要綱」を執筆した鈴木安蔵の生家に立ち寄りました。
映画の冒頭に鈴木宅の玄関のシーンが描かれますが、その玄関がいまもそのままに現存していました。
映画の冒頭に鈴木宅の玄関のシーンが描かれますが、その玄関がいまもそのままに現存していました。
志賀さんは「9条の会」でも活躍されているようです。
21日には、朝一番にKさんご夫妻がホテルに訪ねてこられて、ご夫妻の先導で『南相馬ソーラー・アグリパーク』(専属の説明員が駐在)に向かい、装置を見学しました。
そこには設備の説明会場、500kw規模の太陽光発電所(ソーラーパネル)、ドーム型(=有蓋)水耕式野菜工場(=サラダ菜栽培中)、子供たち用の太陽光発電研究装置(=パネル面に対して太陽光の向きが変わると発電量がどう変わるが確認できる)、やはり子供たち用の水力発電研究装置(=太陽光の手軽さが実感できる)などがあって、子供たち(や大人たち)が楽しめるように工夫されていました。
その後、高速道路入口の道の駅までKさんご夫妻に先導していただきました。
途中、除染で生じた土などを収納するコンテナーバッグ(黒)が至るところに置かれてありました。高速道路から見えるところは殆どがグリーンのシートで覆われていましたが、そうでないところはコンテナーバッグが裸のまま並べられたり積み上げられたりしていました。
また人家の庭先ごとに、コンテナーバッグが2つ、3つ置かれているところもありました。家の周りを除染したときのものなのでしょう。
いまはまだ無人ですが、いずれ人が住むときには勿論別の場所に移動させなければなりません。
同じく途中で、仮設の避難住宅地帯も見ることが出来ました。
とても狭くて見るからに暑苦しそうで心が圧迫されました。雨や湿気で室内にはカビが生えているともいわれ、夏は暑苦しそうですが、冬は今度は冷気が入り込んでとても寒い思いをされると聞いています。
高速道の入口でKご夫妻と分かれて一路帰路に着きました。
帰路も極めて順調で、ほぼ予定通り17時半に湯沢公民館前に到着し、全工程を終了しました。
帰路も極めて順調で、ほぼ予定通り17時半に湯沢公民館前に到着し、全工程を終了しました。
追記)
河北新報の20日号にたまたま「希望の牧場』の記事が載りましたので、以下に紹介します。
汚染牧草 被ばく牛の命綱に
河北新報 2015年7月20日
栗原市などで発生した汚染牧草の一部は福島県内に運ばれ、被ばくした牛の飼料として活用されている。
南相馬市、浪江町にまたがる「希望の牧場」。東京電力福島第1原発事故の影響で食用出荷はできないものの、募金や書籍販売の収益で和牛約330頭を飼育している。
牧場は2012年ごろ、宮城、栃木両県から広域的に飼料集めを始めた。牧場の吉沢正巳代表(61)は「栗原からは5000個程度のロールを運んだ。牛の窮状を知った農家が提供してくれている」と話す。
1キロ当たり100ベクレル超の放射性セシウムを含む汚染牧草は本来、飼料に活用できない。国は焼却を目指すが、灰処理のめどが立たず農家による保管が続く。
牧場周辺には、被ばく牛を飼うことによる環境への影響を懸念する声もある。吉沢さんは「牛は被ばくの実情を探る研究材料になる。岩手などにも飼料の供給先を開拓し、あと5年は牧場を運営したい」と理解を求める。(南相馬支局・斎藤秀之)
汚染牧草を食べる被ばく牛=希望の牧場