2017年10月8日日曜日

08- 原発事故こそが国難ではないのか 原発事故から3回目の衆院選

 経済封鎖された北朝鮮の金正恩は軍に現行+1カ年分の石油の備蓄を命じ、一般国民にはガソリンや灯油を買うことを禁じました。そのためガソリンスタンドに出来ていた行列がなくなったということです。これから極寒の時期に向かう中で灯油が手に入らなくなれば、凍死する人たちが続出するのではないでしょうか。経済的締め付けは常にこういう風に作用します。
 世界の首脳の中で誰よりも厳しく「徹底的な経済制裁を課すべきである」と主張した安倍首相は、そのことについてはどう考えているのでしょうか。
 国のトップが困るだろうと考えたのであればそれは浅はかというべきです。こうした思慮の浅さは決して国外問題に留まるものではありません。

 福島原発事故から最初の2年ほどは、福島の復興は「喫緊の課題」、「最優先事項」であると枕詞のように言われましたが、原発事故が起きてから3回目の衆院選を迎えようとしている今は、「復興」のキーワードは忘れ去られようとし、「国難」という認識も消されつつあります。
 いまも福島から茨城県に避難している3500人にとっては、復興の歩みは「廃車寸前の車より遅く」、避難指示が解除されてもインフラなどが整わず、帰還してみても店は少ないし、夜は明かりが街灯しかないという具合で2日といられない』のが実態だということです。

国が原発を推進したのだから『原発事故』は国難の筈。それなのに国は何も責任を果たしていない
 放置されている避難者たちの怒りは募ります。
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<衆院選> 避難者「国難忘れないで」 原発事故から3回目 茨城
東京新聞 2017年10月7日
 衆院選は、東京電力福島第一原発事故が発生してから3回目となる。事故により避難している人は県内でも、いまだに約3500人に上る。ただ、各政党はさまざまな政策をPRするが、「復興」のキーワードは徐々に薄れてきている。県内の避難者らは、原発事故という「国難」を「忘れないで」と訴えている。(鈴木学、酒井健、山下葉月)

 「議員らは『復興はスピード感を持って』と言っていたけど、廃車寸前の車より遅いよ。復興に立ち上がり始めた今こそ、国の力が必要なのに。福島のことは、どこかに行っている」
 福島県浪江町から鉾田市に避難している会社役員菊地孝さん(75)は、ため息交じりに話す。
 浪江町は今年三月三十一日に避難指示が解除され、戻れるようになり、復興は進んでいるように見える。
 だがその前月に菊地さんの自宅周辺で放射線量を測定すると、国の除染基準になる毎時〇・二三マイクロシーベルトを超えているところもあった。自宅はネズミに食い散らされていたこともあり、結局、取り壊した。今は鉾田市に建てた家で日常を送る。

 菊地さんのように、避難指示が解除されても、インフラなどが整わず、帰還できない人が多い。町の居住者は1・6%(八月一日現在)にすぎない。
 「帰っている人に聞くと『二日といられない』と言う。店は少ないし、夜は明かりが街灯しか見えなくて怖いと。不安なく住めるようにならない限り、復興したとは思えない。それを整えてくれるのが、政治の仕事だ」
 安倍晋三首相は、少子高齢化と北朝鮮情勢を挙げ「国難突破解散」と命名したが、故郷に思うように帰れないような状況に、「原発事故も国難だと思うんだけどね」と嘆く。
 双葉町から北茨城市に避難している斉藤宗一さん(67)は「何か都合の悪いことがあれば選挙でごまかす」と解散の大義を疑う。

 双葉町ではホウレンソウ栽培を営み「日本橋のデパートで売っても負けなかった」。故郷は帰還困難区域になり、帰りたくても帰れない。「復興など進んでいない。国が原発を推進したのに、何も責任を果たしていない」と怒りを込める。
 県内避難者の支援団体「ふうあいねっと」代表で、茨城大の原口弥生教授は、復興庁が震災から十年の二〇二〇年度末で解散予定になっていることに触れ、「この選挙こそ、復興庁をどうするのかを議論しなければいけないのではないか。国が長期的に避難者をサポートする仕組みが必要だ」と指摘した。