原発事故によって生活の根拠を奪われた15万人といわれる被災者たちは、その後も不自由な避難生活を延々と続けさせられていて、いまだに帰村やその先の生活の目処は立っていません。
制定されてから1年以上が経つのに「原発事故子ども・被災者支援法」も全く具体化されていません。
国の直轄事業と銘打った除染の第1陣が先に福島県田村市で終了しましたが、除染後の放射線量は「平均」で0.27マイクロシーベルト(年間2.4ミリシーベルト)であったのに、国はそれ以上の除染は行わずに、住民に対して「1日8時間の被曝で計算すればよい」という言い方をする※など、住民の不安は解消されるどころか募る一方です。
※ 7月2日「被曝は1日8時間、被曝量は自己管理を」と政府が提案
全村避難が続く飯舘村の国直轄の除染は大幅に遅れていて、「いつ帰村するか(できるか)」「どこに生活拠点を置くか」の問題は、村民の頭から離れることはありません。子育て世代にとってはなおさらです。
さらに問題なのは村が除染終了後の帰村判断基準として、空間放射線量「年間5ミリシーベルト(毎時1マイクロシーベルト)以下」を挙げている点です。
こう決めた根拠は分かりませんせんが、年間5ミリシーベルトといえば年間に胸部レントゲンを100回受ける被爆に相当します。一体どこの誰が健康上問題がないと言えるのでしょうか。
チェルノブイリでも年間5ミリシーベルト以下を強制退去の対象外にしましたが、20数年経った今日、ウクライナやベラルーシで深刻な健康被害や極端な人口減少が生じています。
2012年11月10日「ウクライナでの放射線被害は極めて深刻」
2012年10月2日「チェルノブイリ原発事故による健康被害の現状」
「放射線が避難前の状態にならない限り村には帰れない」 それが当然です。
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帰村悩む子育て世代 飯舘区域再編から17日で1年
福島民友ニュース 2013年7月16日
全村避難が続く飯舘村の計画的避難区域が、3区域(帰還困難、居住制限、避難指示解除準備)に再編されてから17日で1年となる。再編後は、賠償や村内での事業再開のほか、復興住宅整備などを盛り込んだ復興計画が進められているが、国直轄の除染は大幅に遅れており、復興への影響が懸念される。「いつ帰村するか」「どこに生活拠点を置くか」。村民の頭から消えることのない問題が横たわり、子育て世代にとってはその決断と選択が一層複雑なものになっている。
同村児童委員の長正サツキさん(66)と佐藤まき子さん(60)が福島市飯野町に約1年前に再開した子育てサロンには約20組の村の親子が集う。長正さんは「同じ状況の人が集まる場所ができたことで、避難先での苦労や食の安全などの話を共有できている」と話す。
「娘の健康状態が一番の不安。心配は一生続くと思う」。サロンを利用する斎藤陽菜さん(32)が最も憂慮するのは長女菜々ちゃん(1)の健康だ。村は除染終了後の帰村判断基準に空間放射線量「年間5ミリシーベルト(毎時1マイクロシーベルト)以下」を挙げている。一方で国の除染計画では全20行政区の居住地周辺、農地の除染を本年度までに終了させるとしているが、15日現在で本年度中の除染開始が予定されているのは4行政区のみ。
斎藤さんは「放射線の影響が出るといわれているのは何年も先。放射線が避難前の状態にならない限り村には帰れない」と打ち明ける。川俣町の村小学校仮設校舎に子ども2人を通わせる佐藤順子さん(31)は「学校が川俣にある限りは帰還しない。ただ、教育設備が戻った場合の対応は決めかねている」と教育面への不安を挙げる。