今回の小出裕章ジャーナルは「チェルノブイリ30年」がテーマです。
30年前のチェルノブイリ原発事故と福島原発事故の決定的な違いは、福島は5年後の今もなお放射能が空に海にじゃじゃ漏れなのに対して、チェルノブイリは事故後10日間で兎も角も応急的に放射のを封じ込め、半年後にはコンクリートの石棺で封じたことです。
1986年4月26日にチェルノブイリ原発で事故が起きると、ゴルバチョフ大統領下のソ連は、空軍大将の指揮下で、大型ヘリコプターによりホウ酸40トン、燃焼抑制用の石灰岩800トン、放出抑制用の鉛2400トンなど、合計5000トンを原子炉へ投下する作業をはじめて6日目で投下を完了し、10日目に放射能の放出をほぼ収束させました。
(関係記事)
現在はその石棺が傷んできたため、石棺全体を覆うステンレス製の巨大カバーを建造中で、間もなく完成します。
追記 文中の太字箇所は原文で行わているものです。また原文では小出氏には「さん」がついていましたが、この紹介文では外しました。
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チェルノブイリ30年
〜第161回 小出裕章ジャーナル 2016年02月06日
「閉じ込めたところでその放射性物質がなくなってくれるわけではないので、いつの時点かでそれを何とかして始末を付けなければいけないのですが、その方策は未だにわかりません」
湯 浅: 今日はですね、「チェルノブイリから30年、そこから何を学ぶか?」ということなんですけれども、旧ソ連邦で起きたチェルノブイリ原発事故、あれ1986年4月でしたから、今年が30年目ということで、そのチェルノブイリの今と、そこから見えてくることについて小出さんに伺いたいと思います。私、高校2年生でして、当時。
小 出: そうでしたか。
湯 浅: はい。ぼーっとしていたもんですから、ほとんど覚えてないんですけれども、チェルノブイリ原発事故は原子炉の欠陥や運転員の熟練不足等が絡み合って発生し、格納容器がなかったために、炉内の放射性物質が飛散して、日本の本州に匹敵する20万平方キロメートルを汚染した。ウクライナ、ベラルーシ、ロシアで移住をせまられた人は40万人。がん等の犠牲者は、集計期間により数千人~数10万人まで諸説あるということなんですが、まず30年目を迎えるチェルノブイリ原発事故の現場ですが、今どうなっているんでしょうか?
小 出: まずいくつかの今、湯浅さんがお話下さったことに関してコメントをしたいのですが、チェルノブイリ原子力発電所に格納容器がなかったということを、日本の原子力を推進してる人達がよく言ってですね、「その原子力発電所が欠陥なんだ」「日本の原子力発電所は格納容器があるから安全なんだ」というように主張しているのですけれども、実はそれが誤りです。
チェルノブイリ原子力発電所の方も、いろいろな事故を想定しまして、日本の原子力発電所で生じるような事故、冷却材が噴き出してくるような事故を考えて、そういう場所については、いわゆる格納容器がちゃんとあったのです。
湯 浅: そうなんですか?
小 出: はい。ただし全く予想もしなったような経過で事故が起こってしまったがために、いわゆる格納容器というような物がない所から放射性物質が噴き出してきてしまったということなのです。ただ原子炉自身に欠陥があったということは本当でして、運転員が間違えたというよりは、むしろその原子炉の欠陥ということに重要な要素があったということです。
それから、放射性物質が飛散してきまして広大な地域が汚れたのですけれども、いわゆる日本でもそうですが、ロシアでも放射線の管理区域にしなければいけないほどの汚染を受けたのは、今湯浅さん、20万平方キロメートルとおっしゃいましたが、たぶん14万5000平方キロメートルです。
いずれにしてもあまり変わらないで、日本の本州の何割というような広大な所が汚染されてしまいました。そして、じゃあ現在どうなっているかということなんですけれども、事故が起きた直後に約半年かけて壊れた原子炉建屋の全体を鋼鉄とコンクリートで覆うような、私達が石棺と呼ぶ構造物を造り上げました。
ようやく放射性物質が中から出てこないような一応の対策をとったのですが、既に30年経ってしまいまして、その石棺があちこちでボロボロに壊れてきてしまっています。「何とかしなければいけない。どうしようか?」とずっと悩んできたわけですが、石棺に近づくとまた労働者が被ばくをしてしまいますので、石棺から300メートルぐらい離れた所に石棺全体を覆えるような、さらに巨大な構造物を今造っています。
私達、第二石棺と呼んでいますが、まだできていません。たぶんまだこれから1年、2年かかるだろうと思います。そして、それがようやくできた段階で、その巨大な構造物をレール上を走らせて、現在ある石棺の所まで移動させて、放射性物質が出ないようにすると。そういう計画の工事を現在やっているという所です。
湯 浅: 30年経つわけですが、廃炉への取り組みっていうのは、そうするともうほとんどできていない?
小 出: はい。一番問題なのは溶け落ちてしまった炉心、放射性物質の本体なわけですけれども、その本体はもともとあった炉心の真下の所に地下に流れ落ちていきまして、その地下で私達、「象の足」と呼んでいるのですが、いわゆる火山の溶岩が固まるような形で地下で固まっているのです。
ただそれに近づけば人間、即死してしまうというような危険物ですので、近づくことができないままで、今、石棺という物でこれまでも封じてきたし、これからも何とか閉じ込めようとしているわけです。でも閉じ込めたところで、その放射性物質がなくなってくれるわけではないので、いつの時点かでそれを何とかして始末を付けなければいけないのですが、その方策は未だにわかりません。
湯 浅: それが30年経ったチェルノブイリ原発の現状だとすると、福島まだ5年ということで、福島をチェルノブイリと比べて、小出さんがお感じになることというのはどんなことですか?
小 出: チェルノブイリの場合でも、先ほど湯浅さんがおしゃって下さったように、40万人を超えるような人達が、いわゆる自分達の故郷を追われて、あちこちに流浪化してしまったわけです。その悲劇の重さというのは、ちょっと考えて想像つかないほどのものだと私は思いますし、福島でも未だに10万人を超える人達が流浪化してしまって、どうにもならない状態が続いているわけです。
たぶん福島でも、これから何10年もそういう状態が続いていくということでしょうし、本当にその苦しさと言うんでしょうか、一人ひとりだって家を奪われ、生活を奪われたら大変だと思うのですが、何10万人もがそういう状態になってしまった。チェルノブイリでもなってしまって、30年経っても解決できないし、福島でも5年経っても全く解決できない。他の施設の事故では、こんなことは決して起こらないというようなことが、原子力発電所の事故の場合には起きてしまうわけです。
湯 浅: 今日もありがとうございました。
小 出: こちらこそ、ありがとうございました。