2016年2月23日火曜日

福島の人たちは簡単には帰還できない

 政府がいくら避難指示区域の指定を解除して安全を宣言し、それをもって賠償を打ち切る口実にしようとも、危険な区域に住民たちが簡単に戻ることはありません。地方自治体がたとえ「25%の住民が帰る」という見込みを発表してもそれを信じる人はほとんどいません。
 10%やそれ以下の帰還率で、一体どのようにして完結したコミュニティが形成されるというのでしょうか。超々過疎の地域が自立できるための支援について政府は真剣に考えているのでしょうか。
 安全宣言を出して手を引くということではなくて、今後少なくとも10年くらいを掛けて、地域社会の真の復興のために財政的な支援や行政上の知恵を発揮することこそが東電や行政には求められています。9月の中間決算で空前の黒字を出したと言われる東電が、避難者たちに対する賠償を打ち切るなどはもってのほかです。
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原発とともに盛衰 商店街帰還か決別か
河北新報 2016年2月22日
 東京電力福島第1原発事故で全町避難する福島県浪江町には、原発とともに発展し、双葉郡では最も規模が大きい商店街があった。町は早ければ来年春の避難指示解除を目指している。商店街から人影が消えて5年。帰還か決別か。商店主らにも決断の時期が近づく。(福島総局・桐生薫子)
 
 「シャッターを下ろしている店さえなかったんだ。古びた商店街でも、正直に商売していたのに…」
 1月下旬、一時帰宅した浪江町商工会長の原田雄一さん(66)は、静まり返った商店街を見詰めた。
 先輩の精肉店は昨年末、取り壊された。地元に愛された老舗だったのに、いとも簡単に。スーパーを営んでいた同級生は3年前、将来を悲観し自ら命を絶った。
 
 JR常磐線浪江駅から北東に延びる商店街は原発とともに発展した。1960年代に建設が始まると、夜は飲食店に原発作業員が集い、地元の人と酒を酌み交わした。東電や関連会社の従業員の家族らが買い物をし、家族ぐるみの付き合いも多かった。
 通りごとに七つの商店街で構成されていた。世間の不景気も関係なく、客足は途絶えず、住民1人当たりの飲食店数の多さが全国でトップ級になった時期もあった。
 昭和元年に創業した時計店の3代目である原田さんも恩恵を受けた一人だった。お客さんが店に入る前から90度のお辞儀をする名物店主。年間数億円を売り上げた時期もあった。
 「うちなんて古い店に比べたらひよっこだけど、かわいがってもらったな」。1万人分の顧客リストはもう使えない。
 明治初期に始まった「十日市祭り」が風物詩だった。11月下旬、瀬戸物や植木、服などを売る出店が並び、3日間で10万人の人出でにぎわった。
 祭りは仮役場がある二本松市で震災半年後に復活し、今も続くが、規模も熱気も違う。「こうなって初めて、地域のつながりはいいなって気付く。もう遅いかな」
 
 双葉郡で最も大きい商店街に育てたのが原発なら、半世紀後に崩壊させたのも原発だった。商店主と家族は全国に散らばった。避難先で商売を再開した人もいれば、賠償金を「退職金」代わりに廃業した人もいる。
 県商工会連合会の調べでは、浪江の事業再開率は1月時点で36%。復興需要がある建設関係が中心で、商圏を喪失した小売業、卸売業は伸び悩む。商店街で営業を再開したのはガソリンスタンド2軒だけだ。
 町商工会が昨年9月に実施したアンケートによると、避難指示解除後、町での事業再開を望んだ事業者は回答数(243人)の37%にとどまった。
 5年の月日が流れる中で店主の高齢化が進み、後継ぎたちも離れていった。「古里を思う気持ちだけじゃやっていけない。それが現実だよ」。原田さんがため息をついた。
 
 
<原発事故>断念 理容室「帰還信じられぬ」
河北新報 2016年2月22日
 福島県浪江町は東京電力福島第1原発事故で全町避難を余儀なくされ、双葉郡随一の規模を誇った商店街も崩壊した。古里を追われた商店主らを訪ねた。
 
 愛用のはさみとくしは持ち出した。ただ、避難先で店を再開する気力は湧かなかった。
 浪江町の商店街で「モンマ理容室」を営んでいた門馬光男さん(74)は、長男夫婦や孫が住む会津若松市の借り上げアパートに身を寄せる。
 横浜市で修行を終えた45年前に店を構えた。「裕福じゃなくても納得できる生活だった。それが突然、プツンと切られるなんて」。やりきれなさが募る。
 昨年8月、福島市であった葬式の会場で、時計店を営んでいた同級生の男性と再会した。「店はどうすんだ?」。門馬さんが尋ねると、男性は「俺らみたいな個人事業主は信用が第一。避難先で一朝一夕で築けるもんじゃねえ」と力なく答えた。「俺もだ」。うなずくしかなかった。
 来年春の避難指示解除を視野に、町はことし10月、役場敷地に仮設商業施設を整備する。門馬さんの下にも出店の意向を確認するアンケートが送られてきたが、「希望しない」に丸を付けた。
 町には以前、約2万1000人が住んでいた。町が昨年実施した意向調査で帰還を希望した住民は17.8%。「町は約5000人が戻ると言うが、信じられない。お祭りに屋台を出すのとは違う
 最近、グラウンドゴルフを始めた。新たな友人もでき、ぽっかり空いた心の穴を埋めてくれた。「ずっと部屋にこもっていたから、思い切って参加してよかった」。難しいことを考えるのは、少し疲れた。