今回の小出裕章ジャーナルは、「原発訴訟の希望と絶望」がテーマです。
直近の高浜原発3、4号機の運転差し止め仮処分の異議審(林潤裁判長)では、その決定文が樋口英明裁判長(当時)の仮処分決定文(46ページ)の約5倍の分量であったことをもって、より精緻な判断を下したかのように評価する向きがありますが、単に国や原発側の主張を長々と引用して追認するだけであれば価値はなく、樋口決定のように論理的に疑念が生じる余地がないほどに判示が尽くされていることこそが重要でした。
小出氏は前回(2月21日:「原発と司法」)、「司法が行政に従属していると思うようになって以降、原子力に関する限りは裁判に関わらないようにしてきた」と述べましたが、今回も自分が関与した伊方原発の訴訟で、判決は「国の主張を羅列して、最後にこれが相当と認められると裁判官の言葉が書き並べられているというものだった」と述べました。
司法への絶望のほどが伝わってきます。
しかし今回はもんじゅ訴訟にタッチした海渡雄一弁護士がインタビューに加わるなかで、「絶望したらその時が負けなんで、やっぱりできることを探すことしかない」(小出氏)と前向きの言葉を聞くことができました。
追記 文中の太字個所は原文で行われているものです。また原文では小出氏と海渡氏には「さん」がついていましたが、この紹介文では外しました。
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原発訴訟の希望と絶望
〜第164回 小出裕章ジャーナル 2016年02月27日
「国の主張を羅列して、最後にこれが相当と認められると裁判官の言葉が書き並べられているという、ただそれだけの判決だったのです」
景山佳代子: ここからは、実は今回のゲストの海渡雄一弁護士にも参加していただきます。よろしくお願いします。
小 出: はい、ありがとうございます。
海渡雄一: よろしくお願いします。
小 出: はい。海渡さん、こんにちは。よろしくお願いします。
景 山: おふたりはもう長い…ずっと前から?
海 渡: ぼくはもんじゅ訴訟というのを中心にやってたんですよね。小出先生は伊方訴訟をやられていて、熊取なんかにもだから何度も行っておりました。
景 山: はい。このおふたりの因縁と言ってもいいのかどうかわからないですけど、おふたりの長い付き合いから、今の原発の状況についてお話を伺っていこうと思うんですけれど。小出さんはもう現在、裁判には関わりませんと、明言されるぐらい訴訟というか司法の限界を感じていらっしゃるんですが、この辺、海渡さんは逆にずっと司法の場で原発と戦ってこられたという、このおふたりなんですけれども、ちょっと小出さんが感じた司法の限界とか問題点というのをちょっと伺ってもよろしいでしょうか?
小 出: はい。私は、今海渡さんもおっしゃってくださいましたけれども、伊方原子力発電所の設置許可取消処分裁判というのにずっと関わっていました。そして自分で言うのもおかしいのですけれども、国の科学者との間で非常に詳細な論争を繰り広げたのです。
そして私たち、いわゆる原子力発電所が危ないと言って証言した学者の方が、国から出てきた学者に対して圧勝したと私は思っているのです。判決はとにかく国の主張を羅列して、最後にこれが相当と認められると裁判官の言葉が書き並べられているという、ただそれだけの判決だったのです。
それを受けて私は、ああやはりこういうことだったんだ。日本の司法は行政から独立していない。三権分立なんて言っているけれども、そんなものはやはりないのだと、原子力というような国の政策の根幹に関わるものに関しては、司法は無力だと私は痛感しまして、それ以降は原子力に関する限りは司法には関わらないという態度を貫いてきてしまいました。
景 山: そうですね。逆に海渡さんは、司法の場でずっとこの原発の問題に関わっていらっしゃったので、海渡さんから。
海 渡: ひとつ質問なんですけども、伊方の時期以降にふたつ、3.11の前にもんじゅの控訴審の時と、志賀原発の地裁判決という勝訴判決があったんですが、それも上訴審では取消されてしまったんですけれども、3.11の後に大飯と高浜で、樋口さんの判決と決定という、僕から見ても本当にこういう素晴らしい裁判官がいたのかなと思うような裁判官が現れて判決を変えてくれた。これをこれからどうやって守っていくか、覆されてしまった高浜をどう覆すかというのが僕らの任務なんですけども、その点小出さんどういうふうに思っていらっしゃいますか?
小 出: 大飯原発の判決で、樋口さんが大変素晴らしい文章を書いてくださったんですね。何か関西電力などによると、原子力から抜けたら火力発電をやるために原油を買わなければいけない。国富がそのために流出してしまうというような主張をしていたわけですけれども、それに対して樋口さんがコストの問題なんか大したことではないと、豊かな国土とそこに国民が根を降ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失であると、当裁判所は考えているという判決文で結んでくれているわけで、本当にこんなまっとうな裁判官がいてくれたのだと私は感激しました。
なんとか樋口さんのこの判決を持って行かなければいけないと私も思いました。ただ残念ながら高浜3・4号機の仮処分も結局は、新たに最高裁から送られてきた裁判官に取り消されてしまうということになったわけで、私は樋口さんという裁判官がいてくださったことを本当にありがたく思うけれども、でもまだまだ日本の司法というのはだめなんだなぁと。海渡さんには申し訳ないですけど、私は思いました。
海 渡: 今、最高裁は確かに裁判所の中でアベレージで取れば保守的な裁判官が多いと思います。原発推進というふうに考えている人もいるんでしょう。だけども、日本国民全体が原発からもうやめた方がいいという人が多くなっているんだとすれば、裁判所の中もそういうふうになってるはずで。そして自由に判決が書ける環境さえできれば、僕は次の樋口判決に匹敵するような判決というのは近い将来出せるんじゃないか。今はいい裁判官がいたら、その裁判官を人事異動させてしまうというほどひどいことは、僕は最高裁はしなくなってるんじゃないかなあと。だからこそ樋口さんが決定かけたんだと思うんですよね。
小 出: ともすれば、私は絶望しそうになってしまうこともよくあるのですけれども、でも絶望したらその時が最後の負けなんだと、やっぱりできることを探すことしかないと、自分に言い聞かせるようにして毎日を生きています。
海 渡: いや、僕も絶望してますよ。一番ひどかったのは、ぼく浜岡原発訴訟の一審の判決をもらった時はしばらくうつ状態みたいになってた時があったんですけどね。でもやっぱりこうやって続けられているのは、もんじゅで川崎さんという裁判長に勝たせてもらったとか、樋口さんのふたつの判決や決定をもらえたとか、日本で原発訴訟で勝った例っていうのはそんなに4つしかないんですけど、そのうち3つはぼくが関わっている事件なんでですね。そういう自負もあるし、やっぱり裁判官の顔を見ながらやっていると、真剣に考えてくれている人もいなくはないんですよね。
そして今まで負け続けた判決だと言っても、3.11前の負け続けた判決の中にも裁判官の悩んだ形跡というのはいっぱいあるんですよ。それが実を結んで僕は樋口決定になったんじゃないかなあと思っていて。当面はあきらめないで、原発訴訟を一生懸命やってみようと思っています。どうか、よろしくお願い致します。
小 出: こちらこそ、よろしくお願いします。
景 山: なんか、おふたりのあきらめない感じっていうのがちゃんと次の世代に次の世代につながっていると私も思います。はい、ありがとうございました。
小 出: ありがとうございました。