日本には地震予知連絡会というものがあります。できてから47年になりますが、ただの一度も予知できた試しがありません。要するに地震がいつどこで、どれだけの規模で起きるかの予知は、全くできないということです。
現実に熊本地方の予震もM7.3の本震も、阪神淡路大地震、中越大地震、東日本大地震などの巨大地震のいずれもが、その直前においてすら予知はできませんでした。熊本大地震で今後地盤の割れが進む方向についても、一時は東北東方向(伊方原発方面)に進むと見られましたが、今は南西方向(川内原発方面)に向かっているという見方がされているようです。つまり関連して起きる地震(群発地震?)についても、それらが現実に起きてからいろいろな推測が出来るというだけの話です。
もしも川内原発を熊本大地震に匹敵する地震が襲ったとしたら、福島原発事故の二の舞になることはもう明らかです。川内原発の耐震限度は620ガルなのに対して、熊本大地震の震度は1580ガルの加速度を持っていたからでひとたまりもありません。
それにもかかわらず政府=規制委は川内原発を止めようとはしません。此度の地震で現実に加わった震度が、設計基準の620ガルに比べてはるかに小さかったというのがその理由ですが、それは遠いところで起きたのでそうだったというだけのことで、川内原発の近くでは起きないという保証があるわけではありません。
共産党は政府に対し、川内原発をこのまま動かし続けていいのかと検討を求めましたが、政府は原子力規制委に判断を任せるということでした。
その規制委は面子を考えたのでしょう、動かしても大丈夫ということだったようです。それはしかし科学的根拠があるわけではなく、川内には多分巨大地震は来ないだろうという”ヤマ勘”があるだけの筈です。。
いま九州で起こっている地震の震源域がどこまで広がるか分からないという状況のなかで、なぜ停止させるという決断ができないのでしょうか。
いまは、万が一原発事故が起これば避難の手段となるべき新幹線や高速速道路が使えない状況です。つまり住民が避難できない状況にあるのだから、そういう緊急事態の場合には、少なくともその状況が復旧するまでは止めるというのが、正しい対応の筈です。
まして電力需要が逼迫しているわけでもないのに、何故そんな危険なことをするのか不可解です。
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「川内」運転 住民ら不安 政府、地震域拡大でも静観
東京新聞 2016年4月17日
熊本地震発生後も、新規制基準の審査に適合とされた原発として全国で唯一稼働中の九州電力川内(せんだい)原発(鹿児島県)は運転を続けている。政府は「止める必要はない」と静観の構えだが、地震活動が広がり、周辺の住民からは不安の声も上がる。
九電などによると、通常は原発の半径五十キロ以内で震度4以上の揺れが観測された場合、国に状況を報告。原子力規制庁が原発に関する情報発信を強化した十五日以降は、距離にかかわらず震度5弱以上の全ての地震が報告対象となり、川内原発でも運転員が原子炉の状態をその都度確認し、現場パトロールも実施しながら運転を続けている。
規制庁の担当者は「再稼働前の審査で、地震の揺れや外部電源の喪失、火山噴火に対する事業者の備えを確かめた。一連の地震で、その前提が崩れたとは考えていない」との立場だ。
地震が拡大した大分県と豊後水道を挟んで四国電力伊方原発(愛媛県)がある。県と四国電は十六日未明、県庁で記者会見を開き、伊方1~3号機に異常はないと説明。四国電担当者は、再稼働前の最終的な手続きである3号機の使用前検査に「影響は出ないと思う」と強調、七月下旬の再稼働を目指す姿勢を変えていない。
熊本地震でも原発の地元や周辺には動揺が広がる。川内原発のある鹿児島県薩摩川内市で飲食店を営む女性(71)は「運転は続けてほしいが、予測の付かない地震がこれだけ起こると心配がないわけではない」と話す。川内原発建設反対連絡協議会の鳥原良子会長は「川内原発周辺にも活断層があり、いつ南九州で大きな地震があるか分からない。とにかく運転を止めてもらわなければ」と語気を強めた。
松山市の市民団体「伊方原発をとめる会」の和田宰(つかさ)事務局次長(63)は「再稼働の方針を考え直してもらいたい」と訴えた。
◆「異常あってからでは…」即時停止を 文化人6人要請
九州で相次ぐ地震を受け、フォトジャーナリストの広河隆一さんら文化人六人が十六日、川内原発の即時停止を求める要請文を、九電に送ったと明らかにした。要請したのは他に、作家の落合恵子さん、沢地久枝さん、広瀬隆さん、ジャーナリストの鎌田慧さんと、若者のグループSEALDs(シールズ)の山田和花(のどか)さん。要請文では「異常があってからでは遅いということは、東京電力福島第一原発事故の経験から、誰の目にも明らか。人々は、次の大地震が川内原発を襲うのではないかという恐怖にさいなまれている」と記した。