熊本大地震はまだ広がりを見せていますが、川内原発は依然として運転を続けています。そこには万一の事態、想定外の事態に対する惧れの念は全く欠如しています。
それはきっと福島大震災での責任問題に関しては、すべて「想定外」の事故の一言で片付けられてきたことと無縁ではないのでしょう。その基本は日本の支配層に対する官憲の追及の甘さということです。
そこで思い出されるのは、2013年10月にイタリアの裁判所で、地震学者グループに禁固6年の有罪判決が下された事実です。
それは2009年にラクイラで起きた大地震で309人が亡くなるという大「事件」が起きたのですが、それについて司法が、政府の地震予知の機関に所属していた地震学者6人が、事前に現地を調査して大地震が来ることはないと住民に説明したことが間違っていたために309人の犠牲者を出した、と認定したからでした。他に900万ユーロ以上の罰金も科せられました。
それは日本人の感覚からすると厳しすぎるもので、イタリアの学者たちも猛反発しましたが、判事には判事の論理があったのでしょう。
いずれにしてもそれは、日本の司法が東電の経営者たちに対しては一貫して不起訴処分を続けているのとは非常に対照的でした。
櫻井ジャーナルは、原発事故における責任問題に触れる中で、福島原発事故による放射能の実際の放出量は公式発表よりも2桁近く多いのではないのかということも論じています。驚くべき内容ですが、その説明を読むと十分に納得できます。
その種の公式発表の大きな誤りにも本来は当然責任が伴います。この場合は誤りというよりは、承知の上でのゴマカシというのが正しいように思われます。それが実際には放置されたままでこのまま闇に消えるように思われます。
いずれにしても保存しておくべき記事です。
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九州で大きな地震が頻発しているが、
福島で責任を問われないと学んだエリートは原発に無頓着
櫻井ジャーナル 2016年4月19日
4月14日に熊本県熊本地方で最大震度7(マグニチュード6.5)の地震が発生して以降、その周辺で大きな地震が頻発している。16日にはマグニチュード7.3の地震も起こり、これが本震だったということになった。九州や四国の大地は非常に不安定な状態になっていると言えるだろう。
多くの人が指摘しているように、日本のような地震国に原発を建設すること自体が間違いなのだが、こうした地震が頻発している時期に原発を動かすなど正気の沙汰とは思えない。つまり、現在の日本は狂気に支配されている。
原発を推進させている狂気を生み出しているものはカネと核兵器。個人レベルでは、金儲けしたいという物欲、原発推進に荷担して出世しようという権力欲、核兵器を手にして周辺国を威圧したいという支配欲などが原発を止めさせないのだろう。東電福島第一原発の過酷事故からも彼らは学んでいる。
2011年3月11日には「東北地方太平洋沖地震」で東電福島第一原発が破壊され、燃料棒は溶融、大量の放射性物質を環境中に放出する事故を起こした。原発推進派は放出量を1986年4月26日に起こったチェルノブイリ原発事故の1割程度、あるいは約17%だと主張していたが、算出の前提条件に問題があると指摘されている。
放出量を算出する際、漏れた放射性物質は圧力抑制室(トーラス、リプレニッシングチャンバー=格納容器下部のドーナツ状のもの)の水で99%を除去できるとされていたようだが、実際はメルトダウンで格納容器は破壊され、圧力は急上昇してトーラスへは気体と固体の混合物が爆発的なスピード噴出、水は吹き飛ばされていたはず。また燃料棒を溶かすほどの高温になっていたわけで、当然のことながら水は沸騰していただろう。つまり、放射性物質を除去できるような状態ではなかった。
そもそも格納容器も破壊されていたので、放射性物質は環境中へダイレクトに出ていた考えるべきで、チェルノブイリ原発事故の6倍から10倍に達すると考えても良いだろう。元原発技術者のアーニー・ガンダーセンは、少なくともチェルノブイリ原発事故で漏洩した量の2〜5倍の放射性物質を福島第一原発は放出したと推測している。(アーニー・ガンダーセン著『福島第一原発』集英社新書)
放出された放射性物質の相当量は太平洋側へ流れたとも推測されているが、それでもチェルノブイリ原発の事故に匹敵する汚染が陸でもあったと考えるべきだろう。
ロシア科学アカデミー評議員のアレクセイ・V・ヤブロコフたちのグループがまとめた報告書『チェルノブイリ:大災害の人や環境に対する重大な影響』によると、1986年から2004年の期間に、事故が原因で死亡、あるいは生まれられなかった胎児は98万5000人に達する。癌や先天異常だけでなく、心臓病の急増や免疫力の低下が報告されている。
総放出量の評価はともかく、福島第一原発の周辺で大量被曝した住民がいたことは間違いない。例えば、原発の周辺の状況を徳田虎雄の息子で衆議院議員だった徳田毅は2011年4月17日、「オフィシャルブログ」(現在は削除されている)で次のように書いている:
「3月12日の1度目の水素爆発の際、2km離れた双葉町まで破片や小石が飛んできたという。そしてその爆発直後、原発の周辺から病院へ逃れてきた人々の放射線量を調べたところ、十数人の人が10万cpmを超えガイガーカウンターが振り切れていたという。それは衣服や乗用車に付着した放射性物質により二次被曝するほどの高い数値だ。」
また、事故当時に双葉町の町長だった井戸川克隆は、心臓発作で死んだ多くの人を知っていると語っている。セシウムは筋肉に集まるようだが、心臓は筋肉の塊。福島には急死する人が沢山いて、その中には若い人も含まれているとも主張、東電の従業員も死んでいるとしている。
原発の敷地内で働く労働者の状況も深刻なようで、相当数の死者が出ているという話が医療関係者から出ている。敷地内で容態が悪化した作業員が現れるとすぐに敷地内から連れ出し、原発事故と無関係と言うようだ。高線量の放射性物質を環境中へ放出し続けている福島第一原発で被曝しながら作業する労働者を確保することは容易でなく、ホームレスを拉致同然に連れてきていることも世界の人びとへ伝えられている。だからこそ、作業員の募集に広域暴力団が介在してくるのだ。
放射能汚染の人体に対する影響が本格的に現れてくるのは被曝から20年から30年後。チェルノブイリ原発事故の場合は2006年から2016年のあたりからだと見られていたが、その前から深刻な報告されている。そのチェルノブイリより速いペースで福島の場合は健康被害が顕在化している。
日本で原子力を推進した政治家や官僚、その政策を実行した電力会社、原発を建設した巨大企業、融資した銀行、安全神話を広めた広告会社やマスコミ、その手先になった学者など責任をとるべき人びとは多い。
破壊された環境を元に戻し、被害を受けた人びとへ補償する義務がそうした人びとにはあるのだが、事実上、責任は問われなかった。焼け太りというべき状況もある。金融破綻で銀行が救済され、その責任者が不問に付されたのと似ている。
こうしたことを原発推進派は学習、今回の地震で九州や四国の原発が破壊され、その地域が大きな被害を受けたとしても、自分たちは責任を問われないと確信している。そうならば、住民の安全を考えた結果、冤罪で失脚させられた福島県知事、佐藤栄佐久のような目に遭うのは損だと彼らなら考えそうだ。
日本にしろアメリカにしろ法治主義は放棄している。もしTPP(環太平洋連携協定)、TTIP(環大西洋貿易投資協定)、TiSA(新サービス貿易協定)が批准されたなら、民主主義の外観も消滅する。国をコントロールできる「私的権力」が「民意」を政策に反映させようとするはずはない。原発をどうするかも支配層の個人的な損得勘定が決めることになるだろう。