2018年11月18日日曜日

18- 伊方原発再稼働容認は安全神話の復活

 伊方原発3号機を運転しないよう求めた仮処分申請の抗告審で、高松高裁がそれを退けた理由は、「原子力規制委が行った審査には合理性がある」という型通りのものでした。
「阿蘇山で運用期間中に破局的噴火が起きる根拠は不十分」なので、再稼働を取り止める理由にならないとしました。逆に運用期間中に噴火が起きないという証明もできないにもかかわらずにです。(大分地裁では「社会通念」上危険はないと判断されるとしました)
 また地震学の権威である島崎・東大教授が低すぎると指摘した基準地震動についても、「規制委の判断に合理性がある」と判断しました。直近の北海道胆振地震をはじめ最近の大地震は活断層が知られていないところで起きています。そんな中で一たび過酷事故が起きれば周囲一帯に大被害を及ぼす原発の基準地震動を650ガルというような低い値に決めて良い筈がありません。
 裁判所は、原発の再稼働を進めるという最高裁事務総局の方針に従って、審理において対立した部分についてはすべて「規制委の判断に合理性がある」で片づけています。しかし規制委自身が「新規制基準は原発の安全を保障するものではない」としているのですから、それには何の説得力もありません。
 住民の避難計画が実効性を有していないことを認めながら、再稼働の障害にはならないとしていることも論外です。
 
 ところでトランプ大統領が批判を続けるCNNの記者証を没収したのは、「適正な手続きを欠いた」ものであるとしてワシントンの連邦地裁は16日、記者証をCNN記者に返還するよう命じました。せめてこの程度の裁判所の独立性がなぜ日本では保てないのでしょうか。
 
 裁判所はかつて原発の「安全神話」を前提に原発を普及させるという国策に加担し、住民からのすべての原発訴訟を斥けてきました。福島原発の大事故でホンの一瞬だけ反省の弁を口にしましたが、いまは再び「安全神話」に立ち戻り、原発の再稼働を次々と認めています。
 これでは福島の悲劇はいずれまた繰り返されます。
 東京新聞の社説を紹介します。
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(社説) 伊方原発容認 安全神話の復活なのか
東京新聞 2018年11月17日
 噴火も地震も取るに足らない、避難計画は不完全でもいいと言うのだろうか。四国電力伊方原発の運転差し止めを求める住民の訴えを司法はまたもや退けた。「安全神話」の亡霊を見る思いである。
 「原子力規制委員会の審査には合理性があり、四国電力が策定した最大の地震の揺れや噴火の影響についての評価も妥当」-。
 
 高松高裁は、四国電力が示したデータに基づいて、規制委がくだした新規制基準への「適合」判断を丸ごと受け入れたかのように、住民側の訴えを退けた。
 破局的噴火は予知できない、地震の揺れの評価方法に問題がある-という専門家の指摘も顧みず、九月の広島高裁、大分地裁、そして今回と、繰り返される判断だ。
 一方で高松高裁は、原発周辺の自治体が策定を義務づけられた避難計画に関しては、陸路も海路も輸送手段に懸念があって、屋内退避施設も不足しており、「不十分だ」と認めている
 
 再三指摘してきたように、日本一細長い佐田岬半島の付け根に位置する伊方原発は、周辺住民にとって、“日本一避難しにくい原発”との声もある。
 実際に事故が起きたとき、原発の西側で暮らす約四千七百人の住民は、船で九州・大分側へ逃れる以外にないのである。
 海が荒れれば船は出せない。地震で港湾施設が被害を受けたらどうなるか。避難者を港へ運ぶバスなども、確保できる保証はない。その上、屋内退避場所さえ、足りていないというのである。
 
 現状では、多くの住民が避難も屋内退避もできず、放射線の危険にさらされる恐れが強い。そのような認識がありながら、司法はまたも住民の訴えを退けた。避難計画の軽視が過ぎる
 規制委が基準に「適合」すると認めた以上、福島のような過酷事故は起こり得ない、との大前提に立つからだろう。
 これでは、安全神話の復活と言うしかないではないか。
 規制委は、原発のシステムが規制基準に「適合」すると認めただけで、安全の保証はしていない。規制委自身も認めていることだ。避難計画の評価もしない。それなのに規制委の審査結果を司法は追認するだけだ。こんなことでいいのだろうか。
 
 責任は棚上げにしたままで、原発の稼働が次々許される。
 「安全神話」が前提にある限り、福島の悲劇はいつかまた、繰り返される。